奥大和ライフジャーナルOkuyamato Life Journal

下北山村 2019.3.14 / コラム

日本淡水魚がつなぐ街と村。僕が森に関わる理由(前編)。

写真・文=都甲ユウタ(カメラマン)

僕は大分県生まれ、橿原市在住のカメラマンです。妻と6歳の息子、2歳の娘と暮らしています。
住まいは幹線道路と駅に近く、どこにでもアクセスできて大抵のものは手に入ります。

そんな僕が、現在なぜか下北山村の仲間たちと森づくりの勉強をするに至っています。なぜこんなことになったのか。その源流に立ち戻ってみたとき、きっかけは3年前に出会った、川で行う魚採り、通称「ガサガサ」にあることに気がつきました。僕の森づくりへのアプローチは、便利な街暮らしでは意識しない、川や森の崩壊が始まっていることを知ったところからスタートしていたのです

網一本で岩の下や魚の隠れていそうなところをガサガサ

幼少期を振り返ると、大分の田舎で育ち、それなりに自然に触れてきました。でも、当時はファミコンがスーパーファミコンへバージョンアップされた、ゲーム文化の黎明期。

見飽きた山や川よりも遥かに、画面に映る躍動的なキャラクターの方が、当時の僕には魅力的に映りました。

田舎ならではの恐ろしい昆虫に囲まれ、畳よりもフローリングに憧れ、扇風機よりもエアコンが羨ましい。田舎暮らしよりは便利な都会暮らしの方が“豊かな生活”なのだろうなと考えていました。

田んぼだらけの大分の故郷。当時は無関心だった川や水路がある風景

そのまま大人になり、写真家の師匠に出会い、カメラマンを目指し、結婚をきっかけに奈良に住みはじめ、子宝に恵まれ、贅沢しなければ取り立てて不自由なこともない暮らし。母子家庭で過ごした、今思えば人並より少し貧しかった生活に比べれば、なんの不満もない生活を送っていました。

二人の子どもはすくすく育っています

そんな3年前のある日、師匠と岐阜の山の中へ撮影に行きました。

撮影が一段落した頃、師匠はおもむろに、車からタモ網を取り出し、小さな水路で魚採りを始めました。

魚採りが好きなことは知っていたけど、川でもないこんな小さな水路で採れるの?
あっちは草ボーボーでほとんど水たまりに見えるけど…。

僕はそう思うだけで興味なし。

そんな僕にはおかまいなしに、両手にそれぞれタモ網を持った師匠は、水路を覗き込むと「いるわ」と一言。んんー!? 僕には全く見えません。

網を一本差し込み、右から左へガサガサ。もう一本を、左から右へ挟み撃ちにするようにガサガサ。網をすくい上げると、西日に照らされてキラキラと光る小さな魚が一匹入っていました。

「お、アブラハヤや」

この一連の魚採りに、ものすごい衝撃を受けました。コンクリートで固められた、網の幅と同じくらい小さな水路にこんな綺麗な魚がいるのか…。

アブラハヤ。派手さはないけど美しいざらっとした模様。撮影後、川に放すと急いで岩の下に隠れていました

草だらけの水たまりにもお魚はちゃんと住んでいました。
僕も採ってみたい!

村の子と街の子。普段の暮らしで生き物に触ることがない

それからすぐに網を二本手に入れ、魚採り「ガサガサ」に熱中する日々が始まりました。

「この魚を水槽に入れたら次はこれ」
「この種類は奈良にはいないかも」

どこに行くにも常に川をチェックする僕。もう川しか見えないのです!

魚の気配の有無を感じるようになるから不思議。
この写真、絶対にいるけれど見えない、つまり隠れている状態

そんな「ガサガサ」に熱中する中で、気になる光景に出会いました。

人の立ち入りが少ない宇陀の山奥、清流が流れるお気に入りの川に、そこそこの量のゴミが不法投棄されていたのです。そこから少し上流に行くと、老夫婦が清流をタンクに汲んで持って帰られるところでした。その間で僕ら親子が魚採りをして遊んでいる。

「この場所がゴミで溢れたら、僕も老夫婦も、この川には関わらなくなるだろうな」
「この川の魚たちはこれから先も変わらずこの川に住めるのだろうか?」

楽しいだけだった「ガサガサ」に、少しモヤモヤした“引っかかり”を感じることになったのです。

久々に行って見るとゴミは無くなっていました。でも…

上流に新たに捨てられていました。虚しい…

そこから、日本淡水魚の現状や川のことを調べるようになりました。

淡水魚(在来種)はとてつもなく長い年月を経て地域に広がり、例え同じ種の魚でも、水系や地域が変われば別種とも言える遺伝的な違いがあったりするそうです。そう、みなさんのすぐ近くに住む一匹の魚は、種の命のつながりを奇跡的に途切れさせず、今そこにいるんです。

そんな彼らが置かれている環境は厳しく、なんと全体の約40%が「希少種」とされ、この割合は他のどの生物の種と比べても、最も高い数字です(「環境省レッドリスト2019掲載種数表」を参照)。

なぜ淡水魚がそこまで追い詰められているのか。その理由の一つに、彼らの主な生息環境が「二次的自然」であることがあります。つまり里山や水田など人が手を加え、維持・管理してきた自然を住処にしてきた淡水魚たちは、幼少期の僕が憧れた豊かな(便利な)暮らしが実現するに従い、その数を減らしてきたのです

僕の淡水魚への認識は変わっていきました。一匹の魚の背景に、脈々と流れる地域ごとの膨大な歴史がぎゅっと詰まっていて、ゆらゆらと泳いでいる。当たり前の存在ではないのだと。

ちょっと大げさでしょうか?

でも、それぞれの地域に初めからいる天然のゆるキャラだと思うと、コーフンしませんか!?

この連続した流れを途切れさせたくない。これからもそこにいて欲しい。

だとすると、やはり川を綺麗に保たないといけないだろう。
じゃあ、川の水はどこから? 山からでしょ。

山だらけの奥大和。川の水の源流を辿ると、そこには原生林が広がる大台ケ原がありました。

豊かな森林は、バランスが崩れた生態系の影響を強く受けています

水を生む巨大なろ過装置である森。なんとなく関心を持ち始めた頃、仕事で下北山村に行きました。

奈良県の南東端に位置する自然豊かな場所です。過去何度か訪れたことはあったのですが、森への関心という一つのフィルターを通して見る下北山村は、それまでとはまるで違う姿で僕を迎えてくれました。

その数ヶ月後には、村で開催される森つくり研修に通うことになるのですが、その話は後編へ続きます。

※ガサガサは誰でも楽しめる川遊びです。ただし水辺は危険な場所だという前提で、各自治体のルールも守る必要があります。基本として、魚の過剰な持ち帰り、インターネット等による生息場所の拡散、ゴミの放置、放流や移植、以上をしないようにすれば、自然環境への関心という点でも大変有意義なことだと考えます。

Writer|執筆者

都甲 ユウタTogo Yuta

1984年、大分県生まれ。橿原市在住のカメラマン。魚採り「ガサガサ」に夢中になったことをきっかけに、川を綺麗に保つための森づくりを目指し、下北山村で出会った仲間たちと日々勉強中。

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