奥大和ライフジャーナルOkuyamato Life Journal

東吉野村 2018.7.30 / コラム

波乱万丈の末にたどり着いた榛原駅で、密やかに絶品イタリアンを振る舞う「茶店珈琲」の上坂さんについて。

ちょうどいい駅にある、ちょうどいい店

榛原駅は「ちょうどいい」。

宇陀市にお住いの赤司さんの記事にも書かれていたこのフレーズ。僕も全くの同感です。榛原駅は、近鉄大阪線の終点駅。特急も停まるのに、栄えている感じがしない(というか、栄えていない)。かといって、廃れている感じもしない。自宅のある東吉野村の最寄りである榛原駅は、東京や大阪から帰ってくるとホッとするステーションなのです。

そんなちょうどいい榛原駅のすぐ前には、ちょうどいいお店があります。その名も「茶店珈琲」。店内にはジャズが流れ、木のぬくもりに癒されつつ、コーヒーとたい焼きのセットメニューなどをいただくことができます。「これがおいしい!」のは確かなのですが、今回ご紹介したいのは、このセットのことではありません。

実は、このお店では本格的なイタリアンを食べることができるんです。

なぜこんな田舎のカフェでおいしいタリアテッレのパスタや、新鮮野菜たっぷりのフォカッチャサンドを食べることができるのか。この謎を解く鍵は、マスターの上坂侑也さんの経歴にあります。

上坂さんはこんな感じ。ハンチング帽がよく似合います。

起伏に富んだ、上坂さんのこれまで

上坂さんは瀬戸内海に浮かぶ淡路島のお生まれで、海にほど近いところで育ちました。高校生の頃から料理に関心があり、調理のテクニックだけでなく栄養学も学び、卒業とともに調理師免許を取得されました。

その後、大阪にある専門学校のイタリアン科へ進まれるのですが、そのきっかけはなんと、ドラマ化もされた人気漫画の「バンビーノ」に影響を受けたからだそう。僕ら(1983年生まれ)の世代だと「スラムダンク」を見てバスケを始めた人もいましたし、少し年下には「テニスの王子様」をきっかけにテニスを始めた人も多くいました。そんな感じでしょうか。

専門学校卒業後は大阪のピッツェリアで働くも、半年ほどで転職。フレンチなどを出すお店で働いているうち、何の因果か中国は福建省へ。当時は不安よりも「おもしろそう」という気持ちが強く、思い切って渡航したのだといいます。

かの地では唐揚げや巻き寿司など、日本のB級グルメをつくることに。中国人オーナーのリクエストでどんぶり、鍋、カレーにいたるまで、何でもつくっていました。「いろいろな経験ができた」と当人は笑いますが、そのうちに「そもそもなぜ料理人になったのか」という疑問が頭をもたげ、イタリアでの修行を目指し、帰国の途につきます。

中国からいったん地元の淡路島に帰ってきた上坂さん。友人の漁師の仕事を手伝って資金を貯め、1年半後、ついにイタリアへ渡ります。向かった先は花の都フィレンツェ。3ヶ月間は語学学校に通いながらさまざまなお店を訪ね、おいしいものを食べてまわったそうです。

その後、海沿いの街にあった魚介専門リストランテで働きますが、半年後、今度は山奥の温泉地に職場を移そうと考え、その前に2週間だけ帰国。これがその後の運命を決めることになりました。

再びイタリアに戻ったところ、「新しい人が見つかったからもう来なくていいよ〜」と言われてしまったそうなのです。恐るべし!イタリア。その後も仕事を探して各地を転々としますが、万事休す。志半ばでイタリアを後にすることになり、たどり着いたのが現在の「茶店珈琲」というわけです。

外からきた人にとって榛原とはどんな土地なのか

淡路島、大阪、中国、イタリアと、国内外さまざまな土地でさまざまな料理に携わってきた上坂さんには、榛原という地はどんな風に見えているのでしょうか。

「榛原は淡路島の海がないバージョンという感じです。初めから違和感がありませんでした。お年寄りも多いし。だから「茶店珈琲」でも、最初はうどんを出してました(笑)」


ただ上坂さん、お店を続けているうちに、少し違った思いを抱くようになっていきます。

「ふと、自分が店をやっている意味って何だろうって思ったんです。せっかくやってるんだから、自分自身がおもしろいと思えることをやりたいなって始めたのが、榛原近郊の地元野菜をふんだんに使ったイタリアンを、旬の、そのとき手に入る材料でつくることでした」

確かに地方は流通の整っている中央とは異なり、手に入る材料が限られます。また、土地土地によって、できる野菜や獲れる魚介も違います。でも都会と違って、ここにはチャレンジできる場所がある。熾烈な競争や短期的に成果を出さなくてはならないプレッシャーはありません(全くないわけではないのでしょうけど)。

そんなゆったりとした空気感も淡路島と似ているそうです。「ここはお腹を下さないので好きです(笑)」と、上坂さん。

身体は正直です。自分のペースで自分のやってみたいことにチャレンジできる、そんな場所がここ榛原駅前なのかもしれません。「いつか故郷の淡路島でお店を持ちたい」と話す上坂さんを、僕はこれからも応援したいと思っています。

みなさんもぜひ一度、上坂さんのイタリアンを召し上がってみてください。

Writer|執筆者

青木 真兵Aoki Shinpei

1983年生まれ。古代地中海史研究者(フェニキア・カルタゴ史)。博士(文学)。社会福祉士。2016年より東吉野村で人文系私設図書「Lucha Libro(ルチャ・リブロ)」を運営し、キュレーターを務める。

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