奥大和ライフジャーナルOkuyamato Life Journal

下市町 2019.12.26 / コラム

未来を拓く音楽会

写真・文=張領太

ある夜のこと

ダッダッダッダ!
ドンドン、ドンドン、ズドーン!
バン、バン、バン!
ギャー!ワー!オー!
バタン!ウェーン!
かあちゃーーーん!

隣の広めの講堂では、子どもたちが誰に気兼ねするでもなく、はしゃぎ回っている。だいたい子どもとはそういうものだが、あの小さな体のどこにそんなエネルギーがあるのか不思議に思うほど、走り、転げ、大声をあげている。

私がいるのはその講堂と壁一枚隔てた、職員室なのか、休憩室なのか、大きなソファーがコの字型に置かれた部屋で、そこに私を含め7人の大人たちが集まっていた。薪ストーブが、体にも見た目にも暖かな空間を作り出してくれている。

2019年10月初旬。夜の8時過ぎ。場所は、奈良県下市町広橋にある旧広橋小学校。既に廃校となった、木造二階建ての学び舎である。

この日は、約1ヶ月後に迫った、今年で5回目かつ5周年を迎える「manabiya音楽会」の会議の日だった。出席者の中に、この音楽会が始まるきっかけをつくったタカノカオリさんとフクニシチコさんもいた。

出席者の皆さんは、ご本人たちの希望もあり、愛称で。

水道業者のナイト兄、高野槙生産のTONさん、会社員のゲキちゃん、農家のトシちゃん、みんなの姉さんあっちゃん、音楽会のムードメーカー・ヒロくん。みんな、職業や年齢もバラバラ。タカノさんや、フクニシさんのように、小学校や幼稚園に通う子どもたちを育てている世代もいれば、長きに渡る職場勤めを終えた世代もいるし、生まれも育ちも下市で、何十年も広橋に住んでいますという人も、外から引っ越してきた人もいる。

そんな、今風に言えばダイバーシティ(違うか?)な人たちが集まった会議では、チケットの売れ行き、出店者への連絡調整、当日の設営の段取りなどが話し合われていた。

隣では子どもたちが騒ぎ回り、こちらでは大人たちが真剣に話し合っている。窓から煌々と明かりが漏れる。外から見たら、きっと廃校には見えないだろう。そう思った瞬間、ふと自分がこの学校の生徒で、この場所がまだ「生きている」ような錯覚に陥った。廃校になる前も、子どもたちはこんな風にはしゃぎ回り、大人たちは真剣に、子どもたちの未来について話し合っていたのだと思う。

広橋小学校が廃校になったのは、今からちょうど20年前の1999年のことだ。当たり前だが、廃校になる前は、この場所で学んだ子どもたちがいて、教えていた大人たちがいた。

そして、それはとても素晴らしい時間だっただろうと想像させるほどに、木造二階建ての校舎は素晴らしい。何というか、映画やドラマに出てくるような「あたたかい校舎」そのもので、誰かとおしゃべりしたり、一人で本でも読んでいたりしたら、あっという間に何時間も経ってしまいそうな空間なのだ。

会議が進むうちに、タカノさんとフクニシさんがこの校舎のある町内会の会合に参加したという話題になった。二人の目的は、「地区の人が音楽会のことをどう思っているのか知りたい」というものだった。

「音楽会をやっている」と言っても、地区が総出で協力してくれている訳ではなく、音楽会で中心的な役割を担ってくれている住民のメンバーは数名だ。

そんな中で出席した会合では、役員の方から「そんな音楽会をやって何になるの?」「地区の人はやっていることも知らない」という厳しいご意見をいただく一方、「参加したことはないけれど応援してる」「住民も少ないこの地区でこんなコンサートをやってくれるのはありがたい」という意見も出たとのことで、二人は「地区のみなさんの本音が聞けて本当に良かった」と言った。

そして、一呼吸おいた後、こんな質問も出たと教えてくれた。

あなたたちは何のために音楽会をやってるの?

その言葉が二人の口をついた瞬間、会議の参加者全員が、いやその場の雰囲気がというべきか、それらが少しフリーズしたように感じた。二人はまるで自分たちに語りかけるように、「ほんと、何で私たちはこんな音楽会やってるんだろうね」とやわらかく言った。

「少しでも地区を盛り上げられたら」
「若者が頑張ってるから手伝いたい」

出席者のみんなはそれぞれに思いの丈を語った。タカノさんは「何のためにやってるんだろうね。強いていうなら、やりたいからやっているかなー」と、フクニシさんは「うーん、なんかコソっとやり続けていきたいなー」と言った。

音楽会のはじまり

「manabiya音楽会」は、5年前のタカノさんのある直感がきっかけで始まった。

タカノさんは愛知県の出身。東京でパートナーのダイスケさんと出会い、ダイスケさんの祖父母がかつて暮らしていた広橋の空き家へと家族で引っ越してきた。そして初めて広橋小学校を目にしたとき、「ここで好きなアーティストの音楽が聞きたい」と思った。

まもなく、タカノさんは隣町の大淀町に住むフクニシさんに出会う。フクニシさんは、広橋小学校の卒業生だ。同い年の二人は、「コンサートしたい」「じゃあ、やろう」と、実にシンプルにスタート。以来、地区の人たちが協力してくれて、現在まで音楽会が行われている。

私が「manabiya音楽会」に関わることになったのは、同じく5年前の9月頃だったと思う。同じ下市町へ引っ越してきた縁で顔見知りだったタカノさんから「相談したいことがある」と言われ、私と連れ合いを含め3人で話をした。「旧広橋小学校という素晴らしい場所がある」「そこでコンサートをしたい」「ぜひ協力してほしい」という様な趣旨の話だったと思う。

その際、私は「地域に貢献するものが良いのではないか」「下市町の協賛のを取り付けたらどうか」「住民をたくさん巻き込んだらどうか」というようなことを話した。今振り返ると、タカノさんやフクニシさんの想いとは掛け離れたアドバイスだったと思う。

脱線するが、私と連れ合いは8年前の夏に、大阪から吉野郡へ引っ越してきた。連れ合いが「地域おこし」の仕事に携わるためだ。こっちに来るまで「地域おこし」なる言葉も聞いたことがなかったし、考えたこともなかったが、何となくそういうのが流行っているのかと思った。

大阪の大都会で疲弊しきっていた私は、吉野川の広さと、川と地続きにつながる雄大な山々の景色に圧倒された。朝起きたら、布団の中でひぐらしの鳴き声に包まれ、昼になれば歩いて川まで泳ぎに行き、夜は信じられないほど真っ暗な夜空の星を見上げる。

外灯もまばらな中を、自転車でコンビニまで行くだけなのに、誰もいない、何もない、真っ暗なその道は、冒険さながらの気分にさせてくれた。引っ越してしばらくの間のあの感動を、私はきっと死ぬまで忘れないだろう。

「田舎はずっとこのままでいてほしい。何も変わらないでほしい」

あの時、そう感じたし、今でもずっとそう思っている。なのに、タカノさんから音楽会の相談を受けたとき、ありきたりな「地域おこし」的な視点で話をしてしまった。5年間、音楽会に参加させてもらい、タカノさん・フクニシさんたちの本心は違うところにあったなと、私はこの文章を書きながら、改めて自分の不明を恥じている。

2015年は「Akeboshi」
2016年は「Michael Kaneko」
2017年は「Emi Meyer」
2018年は「中村 佳穂」
2019年は「児玉 奈央」

毎年出演アーティストは変わるが、不思議と音楽会の雰囲気は変わらない。若者も年寄りも、子どもも大人も、カップルも家族連れもお一人様も、お洒落をして、普段着で、めいめい思い思いにのんびりと過ごしている。そんなイメージだ。

音楽の評価や好みはもちろん人それぞれだが、読んでいただいているあなたにも、ぜひ一度、来てみてほしいと思う。知らないアーティストでも良いじゃないか、むしろ、それこそが出会いだ。

音楽会の「意味」

「何のために音楽会をやっているのか?」

私は音楽会を主催する立場ではないが、個人的に、物事は意義や意味に囚われ始めた瞬間から窮屈になるような気がしている。案外、音楽会がのんびりとした雰囲気になるのは、タカノさん・フクニシさんをはじめ、スタッフのみんなが共通の「何のために」を持たず、その年その年を思いっきり楽しんでいるからではないだろうか。

「manabiya音楽会」は、今や広橋や下市にとって欠かせない、大切な文化だ。

その素晴らしい一日からは、それ以外のもっと素晴らしい日々を暮らす、背伸びしない、等身大の人間の息遣いが感じられる。日常と切り離された空間でもなく、日常にどっぷり浸かった空間でもなく、日常と地続きだけれど、どこか既視感があるような、懐かしい感じなんだけれど、やっぱりどこにもない、ここにしかない特別なひとときがある。

そんな時間が生まれるのは、多くの人生や思いが交差し、未来に羽ばたこうとするかつての子どもたちの夢や希望、その残像が残る旧広橋小学校という「学び舎」だからこそだと私は確信している。

どうか、これからも、大きな意味や目標を持たず、「manabiya音楽会」を楽しくコソッとやり続けていってください。

また、ある夜のこと

ダッダッダッダ!
ドンドン、ドンドン、ズドーン!
バン、バン、バン!
ギャー!ワー!オー!
バタン!ウェーン!
かあちゃーーーん!

2019年12月中旬、旧広橋小学校で「manabiya音楽会」の忘年会が行われ、タカノさん、フクニシさんはじめ、お馴染みのメンバーが揃った。その場で、今後も継続して旧広橋小学校で音楽会や催しの運営を行っていくことを目的の一つに、このメンバーでNPO法人を立ち上げることが話題に上がった。

その他にも、みんなでいろんな話をした。

フクニシさんは、「自分が音楽会を開催するモチベーションの中に、何も現状を変えられないかも知れないけど、どんどん人が少なくなっていく中で、この場所や地区、まちの行末をしっかりと見届けたいという思いがあることに気がついた」という。

タカノさんは「決して、この広橋地区が移住者で溢れかえるってことだけが正解じゃないと思う。それより、私は自分の好きな人たちと、自分の好きな場所で、好きな音楽を聞くとか、そういうことを大切にしていきたい」と言った。

そして二人は「どこに行っても、音楽会をやる意味は?目的は?と聞かれることが多い。内心、『そんなに意味や目的を持たなくちゃいけないのかな?』と思うこともある。本音をいうと、みんな意味や目的を考えすぎなんじゃないかと思う。自分の楽しめることをやるってだけじゃダメなのかな」と言った。

奈良県吉野郡下市町広橋。

きっと、多くの人が知らないであろうこの場所で、静かに、だけど着実に、自分たちの足元を見据えながら、未来を拓く取り組みが動き出している。

特別感謝=タカノカオリ・フクニシチコ・野口あすか
表紙写真提供=タカノダイスケ

Writer|執筆者

張 領太Jang Yeongtae

1983年、兵庫県生まれ。下市町で暮らし、現在は愛媛県在住。息子と猫が大好き。福祉職。福祉も大好き。たまに頼まれて映像制作も行っている。奈良に来て一番よかったことは、大家さん夫妻に会えたこと。

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