奥大和ライフジャーナルOkuyamato Life Journal

下市町 2024.1.31 / コラム

大人も子どももワイワイ賑やか、花井商店の大掃除。

写真・文=花井慶子(花井商店)

夏休み、正月休みの前に工場は大掃除をする。普段の掃除では手が回らない所や時間がかかる機械のメンテナンス、在庫整理などを行い、2日間かけて工場中を綺麗にする。

こんな所にこんな物が!?

普段見ない柱の隙間から見たことのない工具などが出てきて面白い。細かいひっこ(木の細かい粉)を掃き出して、ひっこの山ができるのも楽しい。

子どもの時は、工場が遊び場やったなー。
製品使って遊んで、怒られたなー。

兄は一日かけて、「台車」と呼ばれる丸太を製材する機械をメンテナンスします。男子たちは、普段手の回らない製品の片付け、移動などをして、注文が来た時に材をスムーズに出せるように整理します。

この膨大な量の木。どこにどんな材があるのか。大体は把握している工場のみんなは、ほんとすごい! 女・子どもたちは溝の泥揚げや、掃き掃除、草引きを。

最後は、軽トラとトラックの洗車をして夕方終了。

めっちゃ綺麗になったなー

そう思ったら、工場のみんなが帰ると兄はもう仕事をする。「おお、せっかく綺麗になったのに!」と思うのを毎年繰り返すのだが、毎年繰り返せていることがありがたいことである。

掃除、整理整頓が不得意な私。

どーせすぐ使うし! 汚れるし! そこまで掃除しやんでもええんちゃう!?

と思うけども、掃除が終わったら気持ちいいし、次の始まりに向けて心の切り替えができるのかと思う。

翌日から他のみんなは休みでも、父と兄は常に仕事。丸一日休んでいる日は、一年うちに何日あるのだろう。小さい時から、工場はいつも21時ごろまで動いていた。母は事務を一人でこなし、かつ夕方から夕飯まで、工場に呼ばれて仕事。嫁に来てすぐ機械で怪我をしたこともあるそうだ。母の実家はきっと「えらいとこに嫁にやってしまった」と思ったに違いない。

花井商店は、祖父の代から始まった吉野杉専門の製材所で、昔は樽の仕事もやっていた。工場が遊び場で育った私は、木が普通に近くにあって、当たり前で、木に対して何とも思っていなかったし、工場で仕事をする気も、まったくなかった。

大学を出てから12年勤めた神社を退職したと思ったら、ちょうど父親が免停に! その間、運転手をすることになり、一年だけ工場で仕事しようと思っていたのに、いろんな所に父と行き、いろんな市場を訪ね、いろんな材木屋さんに会い、父にしても周りの木関係の人にしても、「なんでそんなに木の話を楽しそうにするのだ? 吉野杉ってそんなにすごいのか?」と思っていた。

それが気がつけば、自分も工場に10年も居てるし、吉野杉で物を作るようになっていた。

吉野杉の面皮で作った髪飾り
川上村の旅館「朝日館」の透かし彫り看板

黒滝の森林組合でも仕事をさせてもらい、気が付けば、周りは木の人ばかりで、毎日山や木の話を聞いて過ごしている。

昔は羽振りのよかった材木業界も状況が変わってきて、材木の値段も下がり、林業、材木に関わる人も減ってきている。建築様式は様変わりし、安価な外材が使用され、和室がない家も多いし、見える所に木を使う場面も激減していると思う。

木はめっちゃ長持ちするのになあ……。

と私は思うが、木に関しては私はこの環境にいるからそう思うのであって、ジャンル外のことや興味がないことは、さほど調べることもしないし、適当に手に入れるか詳しい人に任せている。なので、私も知り合いに木について知りたい・買いたいという人がいたら、いろいろ紹介できるようになりたいと思う。

まだまだ分からないことの方が多いが、周りのおっちゃんたちは最高に木に詳しいし、木を愛しているので、何でも知っている。父や兄が市場で丸太を選んで買っても、製材してみると予想以上に良い木だったり、イマイチだったりと、挽いてみないと分からないので、丸太を買うのも博打のようだ。

でも、どんな木でも、たくさんの人の手によって大切に育てられてうちの工場に来たのかと思ったら、どんな端っこも捨てるのがもったいないと思うし、木を愛する人たちのことを思うと無駄にはしたくない!

この端っこ、いつか何かに使えるのでは!

と思い、ついつい置いといてしまう。
でもまぁええか。また、大掃除の日も来るし!

Writer|執筆者

花井 慶子Hanai Keiko

下市町の製材所で産まれ育ち、大学で服飾を学び、神社で奉職した後、花井商店に入る。 吉野杉の面皮を使った装飾品などの製作にも取り組む。吉野や木の良さを多くの人に知ってもらいたいと思い、日々活動中。

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