奥大和ライフジャーナルOkuyamato Life Journal

御杖村 2020.12.1 / コラム

われらが祝い唄「伊勢道中唄」

写真・文=小関 吉浩(桃俣獅子舞保存会

村に息づく祝い唄

よく、奈良県には全国的に有名な民謡がないと言われます。しかし、それは地元に根付いた民謡がないということではありません。五線譜に採られず、録音もされてこなかったけれど、祝いの夜も祭りの朝もどこからか聞こえてくる、人々の体に染み込んだ歌が各地の集落に受け継がれています。

宇陀郡御杖村桃俣(うだぐんみつえむらもものまた)の鎮守「春日神社」の秋祭りには、「桃俣獅子舞保存会」が獅子舞を奉納します。「伊勢大神楽」の流れをくみ、現在、鈴、剣、荒廻し、魁曲など10座の獅子神楽と、お祭りに付随した祝い唄や千本杵の餅つきなどを継承し、祭礼最後の山場に奉舞する「継ぎ獅子」は「桃俣伊勢道中唄(いせどうちゅううた)」で囃(はや)します。

祭りの場を通して祝い唄の「伊勢道中唄」と「餅つき唄」を生きて歌い継いできたのです。

獅子舞奉納(本宮)

祝い唄「伊勢道中唄」の心

桃俣の「伊勢道中唄」は、伊勢本街道の宿場町桃俣で、街道の難所「鞍取峠(くらとりとうげ)」を越えてきた伊勢参宮の客を迎えるための歌が始まりと言われます。祝い唄として、地元の祭礼をはじめ、婚礼や建前などで歌われてきました。

「伊勢道中唄」の歌詞は基本的に音数が「七七七五」で、長いものは「七七七五七五・・・」と続きます。

音頭取りが数多くの歌詞(自分で創作してもよい)の中から場にふさわしいものを選んで音頭に乗せ、それに合わせて皆で「ハヨイヨーイ」とか「ホンマカヤー」と合いの手を囃します。

春日大社式年造替奉祝 檜皮・お砂奉納千人行列 伊勢道中唄で先導

祝いの席で、祝辞や乾杯の音頭、締めの言葉とともに「健康で幸せに暮らせますように」「家運が隆盛でありますように」など、その場にいる人と共有したい気持ちを音頭に託し、喜びを分かち合うのがこの歌の心なのです。歌を通じて「言霊が幸(さき)わう」のです。

桃俣伊勢道中唄

  1. はーよーほいなー
    お伊勢参りして ハヨイヨーイ  扇を拾うた ヨーイセーコーリャセー
    扇めでたや よーほい御一同さんよ 末繁盛よ
    ホンマカヤーットーコーセーエー ヨーイーヤーナー
    アレワイセーコレワイセー ソーリャーヨーイートセー
  2. めでためでたの 若松さまよ 枝も栄えて 葉も茂る
  3. ここの館は めでたい館
    鶴が空から舞い降りて 亀は池から這い上がり
    鶴と亀との言うことにゃ 鶴は千年亀万年
    ここの館は 末繁盛

※歌詞のうち、漢字とひらがなの部分を「音頭」が歌い、カタカナの合いの手を皆で囃す。太字が「七七七五」の部分。

御杖の子供たちに

さて、今年、御杖小学校から、「3・4年生が御杖村内の祭りについて総合的な学習の時間に調べているので、講師として来てもらえないか」というお話をいただきました。1時間の授業で、郷土に伝わる獅子舞のことや「伊勢道中唄」「餅つき唄」について話をしたり、子供たちに歌のお稽古をつけたりしてほしいということでした。

御杖村は奈良県の東部、大和から伊勢への国ざかいに位置します。村を貫いて「伊勢本街道」が伊勢へと続き、かつては参宮の宿場として賑わいましたが、今は過疎と高齢化が進む山村です。親世代の減少に伴って御杖小学校の児童も年々減り続け、3・4年生は合わせて8人となってしまいました。

小学校からの依頼を喜んでお受けし、先生方と打ち合わせをしながら、やるからには単に知識を伝えるだけでなく、祭りを守るためにこれまで保存会がしてきた取り組みと、獅子舞を通してご縁をいただいたつながりについてわかりやすく伝えることにより、地元の人々が営む暮らしに育まれた文化こそが世界にまで通用し得る自分の武器になることを子供たちが感じ取って、この村で育ったことに自信と誇りと夢を持てるような時間にしたいと考えたのです。

私と伊勢道中唄の出会い

私が桃俣の秋祭りを通じてこれらの歌と出会ったのは、20年ほど前のことでした。

1999年の秋祭りに、伝承者有志が保存会を結成して、10年間奉舞が途絶えていた獅子舞を復活させるとき、歌を伝承していらした桃俣の上辻一巳さんと丸本昭次さんに「継ぎ獅子」の音頭を取っていただいたのが、おそらく私が初めて聴いた「桃俣伊勢道中唄」でした。

それから秋祭りを何年か経験し、夢中で獅子舞を覚えるとともに、一緒にであれば何とか音頭を歌えるようになりました。そして、「この御杖の大切な祝い唄を残していきたい」という気持ちが強くなっていきました。

2007年、和太鼓の活動もしていた私に、「太鼓曲の中に伊勢道中唄を挿入しないか」と提案してくださったのは、和太鼓指導者の神奈川馬匠先生です。

まだ、上辻さんや丸本さんのように独りでは歌う自信のない私に対して、稽古場に録音機器を持ってきて、私が失敗覚悟で思い切って歌うのを録音してくださいました。以後の練習中には「もっとこぶしを効かせて」との助言もいただきました。その頃、私はそんなこぶしを効かせるような民謡や演歌を歌ったことがなかったのです。

以来、太鼓の曲とともに人前で「伊勢道中唄」を歌うハメになりましたが、その気持ち良さにだんだんとはまっていき、同時に歌の持つ意味を祭りとともに味わいながら、この歌が大好きになっていきました。

実際、毎年の村の成人式では、「これから社会人として活躍する新成人の皆さんの心の中にある、20年間育ったふるさと御杖の自然と文化、人々の営みは、多くの人から価値を認められる誇るべきものですから、自信をもって社会のために役立つ人となってください」とこの歌を通じて伝え、お祝いしてきました。

生きた形で伝えたい

こうして獅子舞を再興してから10年が過ぎた2011年、地区の過疎化と会員の高齢化により、会員のみではあと数年で舞わせなくなってしまう状況が見えてきました。

祖先から受け継いできた獅子舞と祝い唄を、写真や動画、譜面などの記録だけではなく、人が囃して人が舞う生きた形で、桃俣秋祭りの雰囲気や周囲の山々の景色、空気感、人々の喜びの気持ちとともに伝えたい。そう願って私たちは、毎年桃俣の秋祭りに参加することを条件に、獅子舞の曲を開放する決断をしました。そして、伝承に協力し、獅子舞を習ってくださる方を募ったところ、村外や県外からたくさんの方が賛同し、集まってくださったのです。

中でも大神楽曲芸師の豊来家玉之助さんは、桃俣の舞をすべて身に付けたいと熱心に秋祭りのお稽古に通ってくださり、また仲間を誘い込んでくださいました。

稽古の風景

自分たちが受け継いできたものの価値を、これほどたくさんの方が認め、興味を持ってくださったことは、保存会会員にとっても大きな喜びであり、自信につながりました。

年に一度の秋祭り、御神前に獅子神楽を捧げるために各地から三々五々集まってくる祭り人たち。年々人の輪が広がり、賑やかなお祭りになっていきます。宵宮(よみや|前夜祭のこと)の晩は、普段静かな村に夜が更けるまで祝い唄が響き、宴が続くのです。

宵宮当家回り

桃俣あってこその伊勢道中唄

この10月、御杖小学校での授業では、子供たちが体を通して御杖の文化を学び、それを担う主体になれるように、私が「伊勢道中唄」を通じて経験してきた祭りの心、祝い唄の心、桃俣の地域のこと、そして、人のつながりから生まれるものについて思いを込めて話し、一人一人の心に働きかけました。

子供たちは事前に先生方のご指導で「伊勢道中唄」を歌えるようになっていたので、お稽古では、御杖の先人から受け継いできた祭りの心を、歌を通して子供たちに吹き込むよう一緒に歌いました。

地域で受け継がれてきたお祭りが、獅子舞が、祝い唄が消えてしまうと、地域が地域でなくなってしまいます。地域の暮らしと人のつながりがあってこその、地域に根差した祝い唄。御杖で育つ子供たちにそんな心の宝物を贈れたのではないかと思います。

これからも「桃俣伊勢道中唄」を、喜びを分かち合うという人間の美しい感情と共に歌い続けたいと願っています。桃俣の神様が引き合わせてくださった数々のご縁がより豊かに広がり、さらにたくさんの皆さんと幸せを分かち合えますように。

「末繁盛にござりまする!」

Writer|執筆者

小関 吉浩Koseki Yoshihiro

御杖村在住。御杖村に伝わる伝統行事「桃俣獅子舞」保存会、菟田野祭文音頭保存会。大和在来野菜研究家、奈良の食文化研究家、奈良の和菓子応援団長、大和の国郷土芸能実践研究家、着物男子。

関連する記事