アホやで、どう考えても。
フレンチプレスでハーブティーを淹れながら、山ちゃんは自嘲する。
俺、今年で五十だよ? それなのに、ほんと、いろいろやってるよ。
「実際何がしたいの?」とか言われてもさ、わかんないよね。何がしたいんだろうね? 俺。
それは僕に聞かれてもわかんないっすよ、と僕も笑う。実際のところ、山ちゃんの多動力には会うたびに驚かされていて、何か一つのことだけに囚われたり縛られたりしているような様子を一度も見たことがない。
山ちゃんこと山本晋也さんは九年前に天川村へ移住してきた、いわば「先輩」である。僕は三年前に天川村へ移住してきてから、定期的に山ちゃんのお店「おおとり」へ遊びに来ている。たいてい、それはいつも閉店後のことで、照明を落とし音楽も止めた店内、男二人で色んな話をしながらお茶を飲んで煙草を吸っている。
料理人・山ちゃんの「最近やってみたこと」の話題になると、「やってみた」経緯やら顛末、それにまつわる気付きなどが語られたのち、必ずその完成品がテーブルに登場する。
これ、超~美味いから。
今日は、薪ストーブの上で吊るした干し芋と、香草で炊いた猪肉と、手作りの柚子胡椒と、紫大根の漬物をお土産にもらった。カップに注いでくれた自家栽培トゥルシーのハーブティーを飲むと、やっぱり美味しいなぁと思う。
今日のお土産は、山ちゃんが持つ無数の引き出しのうちのほんの一例にすぎない。
実は、もともと超一流の日本料理店出身の山ちゃん。普段1,000円のランチ営業を行っている「おおとり」だが、その厨房はさながら食の実験室。「天川村の地の食材を使い、そこに途方もない手間暇をかけて、シンプルながら驚くべき美味しさを引き出す」というのが得意技だ。
閉店後の「おおとり」へふらっと遊びに行った僕は「え!〇〇(食材)ってこんな美味しかったの?」と何度も驚かされている。記憶に新しいところでいくと、自家栽培の立派なニンニクで作ったという黒ニンニク。まるでドライフルーツのような円熟した果実感を放っており、味覚の新境地を予感させるほどに美味しかった。
しかし山ちゃんにとって、それが今すぐお店の売上へとつながるかどうかは特に重要ではないようで、そんなことは脇に置いておいて、ひたすら次々に新しいものを作っている。
毎回「これ(商売として)絶対いけると思うんだよなぁ。」と自画自賛していて、僕も全くその通りだと思う完成されたクオリティなのだが、次に会った時にはまた別の何かを始めている。完成したものをお金に換えて蓄えている暇があったら、新しいものを生み出すことのほうが優先されるらしい。
「まぁ、いざお金に困ったら売れるものはいくらでもあるから」と軽々しているが、本当にそうなのだと思う。この人が力なく何かに困るという姿が想像できない。料理が上手だからではない。生き方の方針が自由だからだ。
「別に料理だけに限った話じゃないけどさ、ここ(天川村)にあるものを有効に使って、形にしてって方がさぁ、無駄がないし賢いと思うよ。じゃないと続かないと思うんだよね」と山ちゃんは言う。「地のモノ」が見事に「他にない美味しさ」に変わるところを何度も目の当たりにしている僕は、大きく頷いた。
考えてみれば、昔の人はみんなそれが当たり前だったわけだ。現代のように地域間の移動や流通も未発達だった頃、どこに住んでいようと、基本的には「ここにあるもの」からしか素晴らしいものは生まれなかったはずだ。「今日はちょっとオシャレなメシを作るぞ」なんて張り切ったとしても、カルディも成城石井もない。
やがて都市が発生し人々がそこに集中すると、都市は世の中の素晴らしいものを「集める」ということを始めた。当然そこから新たに「生まれる」ものも加速度的に増え、今や都市は素晴らしくなり過ぎ、代わりに大切なものが欠落し始めた。LEDでフェイクの炎が揺らめく電気ストーブが売れている、などという話を聞くと、おいおい待ってくれよ、と思う。
僕自身、天川村に移住する前は気に入って東京に住んでいたし、現在田舎に住んでいながらも現代人として都市の恩恵を相当に受けているので、都市を否定するつもりはない。しかしながら、田舎に来てからというもの、山ちゃんのような人に出会うたびに「ここにあるもの」から価値を作り出す力がどれほど自分に足りていないかを痛感している。
昨今深刻さを極める「田舎の過疎化」問題。「田舎には仕事がないから住みたくても住めない」ということが常々言われている。事実ではあるが、本質とは思えない。本質的な原因は田舎ではなく都市の方にある。「ここにあるもの」から価値を生み出す力が都市生活によって衰弱してしまったのだ。少なくとも僕はそうだ。さてどうしたらいいのか。
「どうしたらいいんですかね」
山ちゃんは言う。
俺いろいろやってるけどさ、実は自分がやりたいとか意味があるとか思って始めたことってほとんどないんだよ。最初は意味もわかんないまま、とりあえず直感でやってみるの。それで続けてみる。そうやってると、見えてる世界がどんどん変わってくるし、後からいろんなことが勝手についてくるんだよね。
令和の最初の年、山ちゃんは村の休耕田に水を引いて蓮を植えた。天河神社や温泉施設にほど近く、人通りは多いものの、誰も見向きもしないような場所だった。
「荒れ地になっててさ、寂しい感じだったから」と言うが、普通の人ならそれだけの理由でやろうとは思わない大仕事である。誰も気が付かなかっただけで、誰もやらなかっただけで、荒れ地の休耕田は見違えるほどに生まれ変わるポテンシャルを秘めていた。
今では夏になると蓮たちが美しい花を咲かせ、道行く人々の目を楽しませている。
Writer|執筆者
「ゲストハウス POST INN」オーナー。1991年生まれ。学生時代に海外バックパッカーを経験。東京でのサラリーマン時代に「狩猟をやってみたい」と思ったことがきっかけとなり、2017年に天川村へ移住。