奥大和ライフジャーナルOkuyamato Life Journal

天川村 2021.8.27 / コラム

溢れる自然の中で心豊かに暮らす。天川村で出会った先輩方の生き様から学ぶ、自分らしい生き方。

写真・文=小山夕莉乃

「天川村ってどんなところ?」と尋ねられたら、私は「格好良い大人が暮らす村」だと答えます。

今年の3月。大阪で暮らす私は「TENJIKU」というプログラムに参加し、天川村を訪れました。天のくに・木のくに・川のくに」と呼ばれるほど、自然溢れる素敵な天川村ですが、プログラムを終えて大阪へ戻る帰り道、より色濃く私の胸に残っていたのは、そこに暮らす格好いい大人たちの姿でした。

アメリカのポートランドで感じた「まちづくり」の可能性

私はこの春に社会人となり、まちづくりの仕事に携わっています。

大学では、アメリカンフットボール部でのマネージャー活動に明け暮れていた私が「まちづくり」に興味を持ったのは、大学2回生時にアメリカのポートランドを訪れたことがきっかけでした。

ポートランドの街中の風景

中学時代は反抗期があったり、高校・大学時代は強豪クラブならではの集団主義に悩む時期があったり(もちろん、感謝してもしきれない程の学びがありましたが…)。

もっと自分らしく、強く、たくましく生きることができたら、もっと幸せだろうな。

そんなシンプルな想いから「自分らしく生きるとは…?」という問いに向き合う時間が多かったように思います。自分だけでなく、すべての人が自分らしくありのままに生きられる社会にしたい。段々と、そう思うようになりました。

そうして訪れたポートランド。今思い出しても涙が出るくらい、温かい風景がそこには広がっていました。

街中に溢れる音楽やアート、毎週末のファーマーズマーケット、車よりも多く行き交う自転車や電動スクーター。廃校を、レストランやホテル、ブルワリーや映画館が入った複合施設にリノベーションした「McMenamins Kennedy School」。

広場で開催されるSATURDAY MARKETに集う人々

なんて素敵なまちなんだ!

ここで働く人、暮らす人、外から訪れている人みんなが自分らしく生きていて、とっても幸せそうに、私の目には映ったのです。

恥ずかしながら、ポートランドが「まちづくり」で有名なまちだというのは、実は後から知ったのですが、その時の学びとポートランドでの風景を照らし合わせているうちに、人々が自分らしく生きるためには「まちづくり」がキーになるのかもしれないと思い、それまでの経験がつながった感覚がありました。

前置きが長くなってしまいましたが「まちづくり」に可能性を見出した私は、帰国後から日本のいろんな地域を調べはじめ、そして偶然行き着いたのが天川村だったのです。

現地ではたくさんの方にお世話になりましたが、今回はお二方の紹介を通して、天川村の魅力をお伝えできたらと思っています。

森林業の新しいあり方を探す杉本さん

杉本さんは、天川村で地域林政アドバイザーを受託されている「森林総合監理士」で、奈良県における森林総合監理士会の会長も務めていらっしゃいます。

こちらが杉本和也(すぎもとかずや)さん

天川村は、土地面積の97%が森林であるにも関わらず、約1400人いる人口のうち、森林業に携わっているのはわずか12人。

昭和30〜40年頃、村は拡大造林施策の波に乗り、人工林の拡大にかかる「植林作業」と、植林した木々を立派に育て上げる「保育作業」で多くの村人が生活の糧を得ていました。

地形や状態を調べながら、丁寧に山道をつくります

杉本さん:しかし、それらの木々が育ってきた今、木材価格の長期低迷など、従来からの木材生産だけを睨んだ「林業」に生活の糧を求めることは難しくなってきました。その結果、村民は生活の糧を得られずに村を離れつつある、というのが現状です。

そこで、天川村では森林資源の様々な可能性を引き出し、新しい生活の糧を創出する「森林業の新しいあり方」を探し始めています。

森林業の新しいあり方。その挑戦の1つ目は、複業の可能性を模索すること。

村内にある温泉の熱源にするための薪づくり、キャニオニングのガイド、マウンテンバイク場やあまご釣りができるエリアの形成など、森林業との関わり方に多様性を生み出そうとされています。

2つ目は、積極的に地域おこし協力隊を呼び込むこと。

村長をはじめ皆が協力的で、外からも入りやすい地域だと杉本さんは言います。すでに活動している地域おこし協力隊のメンバーについて、「彼ら彼女らは、不便を厭わず覚悟が決まっていて、とても頼もしいです」と、杉本さんも大いに頼りにされている様子でした。

そして3つ目は、発信力を高めていくこと。

杉本さんは、「これまでの林業には、泥臭いイメージがあったかもしれないけれど、目標に向かって真っ直ぐに突き進む、格好良い森林業を発信していき、多くの若者に興味を持ってもらいたい」と話します。

都会生活のような利便性は欠くけれど、心豊かな生活を送ることができる。そんな生き方を望む方々に対して「森林塾」を実施されており、今後は、林業就業支援事業なども応援していかれるとのことです。

私はこの天川村という奥地で、いくつになってもパワフルに新しい取り組みを模索される姿に感銘を受けました。現状に不満をもらすのではなく、固定概念に縛られるわけでもなく、皆を虜にしてしまうような笑顔とポジティブな発言で周りを巻き込んでいく姿が、とっても格好良かったです。

杉本さん:木材生産だけでなく、森林の環境機能や文化的な機能、その他たくさんの森の恵みを利用する生業のことを、我々業界人は「林業」ではなく「森林業」と呼んでいます。天川村の良いところは「森林業」の夢が描けるところかもしれません。

杉本さんが教えてくれた様々なお話が、今も胸に残っています。

天川村の地域おこし協力隊のみなさん

役場と民間の両側からまちづくりに取り組む豕瀬さん

続いてご紹介したいのは、豕瀬充(いのせみつる)さんです。

豕瀬さんは、天川の村役場でお仕事をされながら、​地域資源を最大限に活かした持続可能な森林づくりを目指す​「一般社団法人天川村フォレストパワー協議会」の取り組みにも従事されている、天川愛に溢れていらっしゃる方でした。

こちらが豕瀬充さん

そんな豕瀬さんも、高校へ行くために村を出てしまい、実は役場に入るまで村の歴史や自然など天川村の真の魅力をほとんど知らなかったそう。

ところが、役場の業務の中で色々な人に出会い、教えをいただくうちに、天川村の自然環境や森林資源に関する様々なルーツが息づく背景や歴史、その奥深さを知り、この地域を守り伝えていかなければならないと強く思うようになったのだといいます。

豕瀬さん:例えば、日本に密教を伝え高野山を開山した弘法大師(空海)は、若い頃に天川村の代名詞でもある「大峯山」で山林修行を積んだといわれ、そこから高野に辿りついたこと。

また、天川村の洞川地域で見られる結晶質石灰岩(いわゆる大理石)は、興福寺に奉納するために光明皇后の発願によって切り出され、奈良の都に運ばれたということ。そして、その記録が正倉院の文書の中にあり、天川村の地名が国の公式的な文書に初めて記載されたということ。

藤原道長が天皇に嫁いだ娘に世継ぎが生まれることを祈るため、大峯山に登ったこと。大峯の山々の植物は氷河期の生き残りが多く、とても貴重であることなど、村の魅力を挙げ出せば切りがありません。

エメラルドグリーンに輝くみたらい渓谷

そして今、豕瀬さんが考える、村にとって一番重要なことは、やはり地域の担い手となる「人口を増やす」こと。

役場の各担当が保健や福祉、教育、医療、商工業、産業の充実を図るのも、定住条件を整え、天川村で暮らす人々を増やすため。すべてはそこに通じます。

現状に危機感を覚えた豕瀬さんは、林業の分野から地域を振興していくため、行政の枠を超える形で立ち上がった「一般社団法人天川村フォレストパワー協議会」の活動に参加。自然に近い森を育て、森の恵みを積極的に地域産業に活用する森づくりを目指しているのです。

豕瀬さん:天川村ならではの体験や暮らしを感じる機会をもっと仕掛けていかなければいけない。環境を消費する人ではなく、地域の大切な資源や文化を大切にしてくれる人が集まり、村の人々と密接につながることで、天川村のファンとなり、共に天川村を守ってくれる。外からの来訪や情報発信で、地元住民も改めて地域の魅力に気づく。それこそが「エコツーリズム」の真の姿だと思うんです。

豕瀬さんは今日も、行政と民間それぞれの立場から、好循環を生み出すためのアプローチを続けていらっしゃいます。

「自分らしく生きる」は、未知との出会いの中に

プログラムを終えた頃、気がつけば私は天川村のファンになっていました。

この村には素敵な観光地がたくさんあります。でも、私ひとりで観光地を巡るだけでは、ここまでの想いを抱くことはできなかったと思います。それは、杉本さん・豕瀬さんをはじめとする、天川村の方々との温かい交流があったからこそ。

ささやかですが、お世話になった皆さんへの恩返しができたらという思いで、この記事を書きました。「天川を理解し、天川の物語を共に紡いでくれる未来の人材へ向けて、想いを発信したい」という杉本さん・豕瀬さんの言葉が多くの人に届き、読んでいただいたうちの誰か一人でも、天川村に足を運んでみたいという気持ちになってもらえたらうれしいです!

ポートランドで「自分らしく生きること」と「まちづくり」の接点を感じた私は、天川村で「自分らしく生きること」は「色んな人に会いに行き、出会ったことのない価値観に触れることから見えてくるもの」なのだと気づかされました。

新しいものに触れることが自分らしさを見つめ直すきっかけになったり、選択肢がぐんと拡がるように感じたりした感覚を大切に、これからも色々な土地や人との出会いを楽しみたいと思います。

お世話になった宿泊先「ゲストハウス POST INN」で宿泊者と一緒にご飯を食べた時の1枚

最後まで読んでくださり、ありがとうございました!

Writer|執筆者

小山 夕莉乃Koyama Yurino

1998年、大阪府生まれ。2021年3月、ローカル体験プログラム「TENJIKU」に参加し、天川村のファンになる。夢は「ただいま!」と地元に帰るような気持ちで足を運べるホームを全国各地につくること。

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