お母さん、忍者の草鞋(わらじ)がほしい
まもなく7歳になる息子が先日妻にそう言った。息子はなかなかの藤子不二雄フリークで、入り口はもちろん「ドラえもん」、次に「オバQ」と「パーマン」をつまみ食いして、「キテレツ大百科」に落ち着くかと思いきや、現在は「忍者ハットリくん」に大ハマり中。おもちゃの刀を常に背負い、折り紙の手裏剣を懐に隠し、「ニンニン!」が口癖だ。
そんな彼が、忍者の履物である草鞋にたどりつくのは、必然だったと言える。
しかし困った。今の村に住んで8年目。手探りで畑はしているものの、いまだ米作りにまで到達できていない我が家には藁なんてない。そもそもあっても作れない。作り方がわからない。
お習字の先生が作れるかもしれないから、聞きに行ってみようか。
妻と息子は、家から歩いて3分ほどのご近所のお宅を訪ねて行った。そして1時間ほど経って帰ってきた息子の手には、綺麗に綯(な)われた藁縄が握られていた。
先生、縄つくるのめっちゃうまいね!
いただいた藁の束を抱えた妻は、興奮を隠せない様子だった。妻によれば、先生はこんな感じで言っていたらしい。
雨の日はね、縄を作るのが農家の仕事やったんよ。子どもたちもそれを手伝って。こうすんねんでって教わったわけでもないし、生活の中でやってたから、どうやってるのかって聞かれても、おばちゃんよう説明できへんわ。 やってるの真似して覚えていって(笑)
昨年、神社の頭屋をさせていただいたときに、村のおっちゃんからしめ縄の綯い方を教わっていた僕は、その手作業の美しさを知っている。動きにムダがなくて、滑らかで、自然。その姿は一言で言うと、超カッコイイのだ。
そこから家族4人で草鞋のための縄づくりが始まった。おっちゃんから先んじて技術を受け継いでいる僕は、「こうやんねんで」と子どもらに綯って見せる。
最初はなかなかうまくできない子どもたちも、数を重ねるたびに段々と上手くなる。真剣に、でも楽しそうに、縄を綯う彼・彼女らの様子を見て、僕は誇らしい気持ちだった。
おっちゃんから僕へ、おばちゃんから妻へ。そして子どもたちへ。
この土地で、人から人へ、連綿と受け継がれてきた生活の技術が、今、我が子のもとへ届いている。この土地になんの縁もなかった僕たち家族が、村の方々に受け入れてもらって、その一員として、この村の営みを引き継いでいる。それは何とも言えずありがたいし、誇らしいことだと思う。
少しずつ上手くなることが嬉しくてたまらない子どもたちは、「はい、もう終わり」と言っても、「もう一本だけ!」と延長戦をお願いしてくる。そりゃそうだ。できるようになるのって、大人だって楽しいのだから。
そんな子どもたちを眺めながら、妻は言った。
私たちが草鞋を作りたいなんて言わなかったら、先生が受け継いだものは、途切れてしまったかもしれないんやな。それってすごいことやんな。
本当にそう思う。これは、ここに人が住むようになった頃から、ずっと受け継がれてきている、人間が生きるための技術なのだから。
先日お会いした方が言っていた。「失われたら取り返しがつかない気がする」って。どうしたって失われてしまうことはある。失われるのは必要とする人が少ないないからだ、とも言える。でも今、僕たちはまさに、さまざまなものが「消失する」瞬間に立ち会っている。
それは文化だったり、技術だったり、歴史だったり、信仰だったり、命だったりする。
都市で暮らしていると実感しづらいけれど、実はすべてがつながっている。何かひとつが失われたら、必ずどこかに影響する。僕たちは、その失われていくものが担っていた価値を、本当に知っているのだろうか。
経済成長を最優先し、都市に人口を集中させた結果、ここ数十年の間に一気に核家族化が進んだ。そのことによって、生活の中にあった伝承の機会が損なわれてしまった。
これまで失われたことのないものが、僕たちの時代にいよいよ失われようとしている。今、僕たちが受け継がなかったら、伝承が途切れ、その価値は忘れ去られ、「なかったこと」になってしまう。本当にそれでいいのだろうか。
気がつけば、僕はこの村でたくさんのものを受け継いでいる。その価値を、その意味を、僕なりに、子どもたちや世間に伝えていこうと思う。彼らが大人になったとき、そこに価値を感じるかは彼らが決めたらいい。受け継がなくたっていい。
「未来」なんてつくれない。僕たちには「今」しかない。
「今」を積み上げた先に、「未来」は自然に現れてくるものだから。
僕には僕にできることを。
あなたにはあなたにできることを。
今、それぞれの場所で。
Writer|執筆者
合同会社imato代表。編集者/ライター。1981年、熊本県生まれ。神奈川県藤沢市で育ち、2012年に奈良県に移住。宇陀市在住。2児2猫1犬の父。今とつながる編集・執筆に取り組んでいる。