奥大和ライフジャーナルOkuyamato Life Journal

宇陀市 2021.9.15 / コラム

付箋だらけの愛おしい町で生きていく

写真・文=大窪宏美(cafe equbo*

私が生まれ育った宇陀市大宇陀は、ほどほどの田舎町です。

山があり、田畑があり、その中にぽつぽつと民家が建っていて、どの都道府県にも大抵ありそうな、ありふれた景色が広がっています。

いつからか、自分が見るこの町の風景の中には、沢山の書き込みがあることに気が付きました。学生時代のノートや使い込まれたレシピ本のように、線を引いたり注釈をつけたりと、色や大きさも様々なメモ書きが至るところにびっしりと貼り付いているのです。

それはまるで、影も形もない付箋。他の人には見えませんが、折に触れて私の心に飛び込んできます。

内容は様々。例えば「春に蕨(わらび)がたくさん生える土手」「よく鹿が飛び出してくるから、運転注意の道路」みたいな経験をもとにした実用的なメモや、「いつも行っていた駄菓子屋さんがあった場所」「ランドセルが水没して泥だらけになった田んぼ」というような思い出深い覚書など。よく目につく大きなものもあれば、普段は忘れているようなとても小さいものもあります。

夏になると家の近くの空き地に咲く、待宵草(マツヨイグサ)の黄色い花。この花の付箋には、とても懐かしい記憶が記されています。

待宵草はその名の通り、日が沈むのを待って開花する一日花。小学生の頃、この花を見るため、母と二人でお散歩に出かけたことがありました。

たった一晩しか咲かずにしぼんでしまう儚さに、興味をひかれたのだと思います。固く結ばれた小さな蕾が開くところを見てみたくて、良く晴れた夜、月明かりを頼りに自宅の坂を下りました。

街灯もまばらな薄暗い道は、心細い反面なんだか胸が躍ります。四方から虫の音が響く闇の中、まぁるく開いたその花弁は、光を集めて輝いているようにも見えました。ずいぶん前の事なのに強く印象に残っていて、夏にこの花を目にすると、毎年のようにその日のことが蘇ってきます。

夜のお出掛けは、他にも、いくつかの場所に懐かしい記憶が残っています。

雨上がりで空気が湿ったある初夏の日。家族皆が父の車にのりこんで、田んぼの近くの小さな沢に蛍を探しに行きました。水を張った田んぼから蛙の大合唱が響く中、小さな光がふわりふわりと水草の間を舞っています。その様子がとても幻想的で、私たち姉妹は揃って大はしゃぎしたのでした。

また、獅子座流星群がやってきた夜には、少し仮眠した後ピークの時間に合わせて、流れ星を探しに出かけました。

空が広く見える場所を求めて、村に新しく出来たばかりでまだ未開通だった道路に軽トラックを停めました。それぞれ毛布にくるまって荷台にごろんと寝ころびます。雨のように星が流れる様子を見られるかもしれないと楽しみにしていましたが、観測日和と思われた快晴の空は時間が経つにつれ雲に覆われてしまいました。

結局のところ沢山の流れ星は見られなかったのですが、魔法瓶の中の温かいココアをちびちびと飲みながら空を見上げて過ごした時間は、忘れられない宝物のような記憶になりました。

この三つの思い出は、歩いてもほんの10分ほどの範囲の中での出来事です。景色や物が目印となり、記憶のページが開かれる度、私の心はいつでも当時の優しい時間に戻ることができました。

幼い頃から畑は昔から格好の遊び場でした

より住みやすい町はどこかと、市町村をランキングのように紹介したり、メリットやデメリットを検証するようなメディアをよく見かけるようになりました。暮らしの選択肢が増えた今、どんな環境に身を置くのかじっくりと考える事はとても重要で、情報を求めている人が増えたからだと思います。

私自身は条件にこだわりがあるというよりは、どちらかといえば住めば都と思う方です。地元ではなくても、長く滞在する程にどの町にも自分なりの付箋が増えてゆき、それに伴って愛着も増していきます。

二十代の半分を過ごした神戸や、昔ながらの商店が多く残る東京の下町、自室の大きな窓から駿河湾越しの富士山が見えた伊豆の田舎町…滞在した期間や理由もばらばらですが、それぞれに比べられない魅力があって、離れる時にはとても寂しく思いました。

それでも、生まれ育った町に帰ってきたかったのは、家族のそばで暮らしたいという思いに加え、こんなにも沢山の記憶に囲まれて暮らせる所はここにしかないからかもしれません。いなかった時間を差し引いても、二十年余りの時を過ごしてきた大宇陀。この町を見渡せば、積み重ねてきた日々の思い出が至る所に散らばっています。

毎年楽しみにしている大きな銀杏の葉の絨毯

秘密基地づくりに夢中になった山の中の通学路

何十回と季節が巡っても、今年も蛍は飛び、待宵草が開花しました。変わらないことの方が少ない世の中で、繰り返される四季の景色に、私は毎年見惚れ、はしゃいで、安心します。

優しくて大好きだったおじいちゃん、おばあちゃんと

過去を振り返るばかりでは前に進めませんが、楽しかった思い出や愛してもらった記憶は、私に自分らしく今日を生きるための力を与えてくれています。

生き方も暮らし方も沢山の選択肢がある時代に、私は生まれ育ったこの町で、繰り返される見慣れた景色に囲まれて住み続けたいと思っています。

Writer|執筆者

大窪 宏美Okubo Hiromi

宇陀市大宇陀生まれ。花と料理が好きな母に影響を受けながら、自然に囲まれて育つ。2014年の初夏、姉と共に営むお店「cafe equbo*」をオープン。数々の出会いに恵まれて今に至る。

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