奥大和ライフジャーナルOkuyamato Life Journal

宇陀市 2021.7.30 / インタビュー

過去から現在、そして未来へ。「深野つながり写真展」と、村を愛する一人の女性から感じたつながりの可能性。

写真・文=北森克弥

2021年2月23日。「深野つながり写真展」は、深野の人たちの集いの場であり、憩いの場である深野集会所で開催された。

発起人は南泰代ちゃん。宇陀市深野生まれ、深野育ち。彼女も僕と同じく、一度深野を離れ、そしてまた深野に戻ってきた幼馴染であり、大切な仲間でもある。

彼女が発案・企画してくれた、「深野つながり写真展」を通して、僕が感じた未来の可能性の話を、皆さんにご紹介したいと思う。

僕は泰代ちゃんを勝手に、深野を素敵な未来に導いてくれているリーダー(先導者)になる人だと感じている。

これまで、深野でさまざまな企画や取り組みをしてくれており、その活動は、ヨガ教室、環境保全の勉強会や、日本ミツバチ保全のための活動など多岐に渡る。

環境活動家・古川十豊さんを招いての「ベンガラ染」体験

BeeForest活動家(日本ミツバチの保全)・吉川浩さんに深野の里山を案内しているところ

そんな泰代ちゃんが、村の女性陣と一緒に企画した今回の写真展。それは単なる思い出の共有に留まらず、これからの深野の可能性を広げるきっかけになるものだと僕は直感した。そして、「どのようにしてこの写真展が生まれたのか、彼女自身からそれを聞いてみたい」と強く思うようになり、インタビューを申し込んだのだ。

そこには僕の想像を超えて、深野はもちろん、他地域、日本中、もしかしたら世界へも広がっていくかもしれない、泰代ちゃんの素敵な思いが込められていた。

開催前から起こる予想外の数々。

そもそも泰代ちゃんはなぜ写真展を開催しようと思ったのか。そのきっかけを聞くことから、僕の人生初インタビューはスタートした。

「なぜ写真展を企画したの?」

そう聞くと、彼女は「もともと写真展は開催しようとは思ってなかってん」と笑った。

春頃から、深野で定期的なマルシェを開催できたらいいなってみんなで考えててん。今までは、私個人でもそうやし、仲間ともいくつかのイベントを企画して、村の人たちも集まってくれてた。でも、こっちからの思いが一方的というか、みんなとの距離が遠いなって感じてて。来てくれてはいるけど、離れていくような感じもしてて。

確かに私自身、環境保全のために知ってほしいことを村の人たちに伝えたくても、それは結果として村の人たちを否定したり、自分の思いを強制することになってしまってた。その時は、「それでも今伝えないといけないことや!」と思ってたんやけど。だから今マルシェを開催しても、この距離感だと、楽しんで参加してもらえないなっていうのは自分の中でも引っかかっててん。

 そんな時に仲間とマルシェの話をしていたら、突然写真展の話になって。写真展は、写真を貸してもらえたら、貸してくれる人も主体的に参加できる、老若男女みんなで協力してもらえるものになるって思った。

高齢になると、受け身になっていくのは自然やと思う。いろんなことを人にやってもらうようになるけど、「ゴチャゴチャになってしまっても、全員参加型!」みたいになったらいいなって思ってん(笑)。

そして泰代ちゃんと仲間たちは、村の人たちの協力のもと、開催に向けた準備を進めていくこととなった。が、それは準備段階から、彼女が想像した以上の展開を見せる。

まず、各家庭に「写真を探す」というプロセスが生まれたことによって、家族間での新たなコミュニケーションが生まれた。

我が家でもそうだったが、「これは誰やろ?」「いつの写真や?」「これって昔の学校!?」など、写真を通して、妻、父母、祖母が話している姿をよく見かけるようになる。そんな様子が興味深かったのか、子どもたちが訳もわからず、「なになに?!」とその輪に入ってくることも。それぞれの家でも同じようなことが起きていることは容易に想像できた。

さらにそのコミュニケーションは、家族の枠を飛び超え、ご近所同士のあいだでも生まれた。

犬の散歩や畑作業で出会う人たちの話題にのぼり、見つかった「びっくり写真」が会話に花を咲かせることもあった。

そんなもんがあったん!?

それうちにもある写真や!

あんたがそれ持っていくんやったらウチはこっち持っていくわ!

そんなやり取りが方々で交わされた。

田舎の家は広く、「物を保管するスペース」が占める割合も大きい。写真を探すために、長いあいだ足を踏み入れなかった倉庫や二階の物置に光が射す機会が生まれた。久しぶりに古い箪笥を開けると、懐かしい木の香りが漂う。それと同時に昔の記憶が想起されたという人もいたそうだ。

また、深野生まれで今は街に出ておられる方が、「当日は参加できないけど、自分が選んだものも飾ってもらえないか」と、事前に写真を持って来てくれた。

会場の下準備に手伝いに来てくれたおじさまたちは、なんと10名弱。近所のおばちゃんが差し入れを持ってきてくれるというサプライズもうれしかった。

お持ち帰り用のお菓子も手づくりで準備した。

区長さんの言葉が背中を押し、思い出が人々の心の中に蘇る。

泰代ちゃんが開催の是非を相談しに行った時の、区長さんの一言も素敵だった。

コロナ禍で、村の行事も自粛していることが多い中、もしかしたら「ダメだ」と言われてしまうかもしれない。でも、今だからこそ開催したい。その両方の気持ちを抱きながら、恐る恐る、泰代ちゃんは区長さんに相談を切り出した。

しかし、区長さんの反応は予想の斜め上をいくものだった。

「やったらええやんか!」

即答だったのだ。呆気にとられた泰代ちゃんは、「コロナ禍での開催には細心の注意を払って……」と説明しようとするも、

「やり!ええことやねんから!」

と一蹴される(笑)。

写真展は、既に準備の段階から、みんなの気持ちをつなげていた。この区長さんの一言に村の方たちからの後押しを感じ、彼女はとても勇気づけられたという。

そして、ついに「深野つながり写真展」は開催された。

準備の段階から、僕はどんな写真が集まるんだろうとワクワクしていた。

全部で500枚。集会所の36畳ある和室に、人物、風景、子ども、老人、家族、農作業などなど、被写体も時代もさまざまな深野の姿が出現した。中には、白黒写真やボロボロの写真もある。

ご存知かわからないが、田舎の人は初動がものすごく早い(笑)。開催と同時にどんどん人が集まってくる。仲間で声を掛け合いながら参加してくれたおっちゃん、おばちゃん。夫婦や家族連れ、子どもや孫に連れられてやってくるおじいちゃん、おばあちゃん。続々と集まってくる。

そうそう、昔の棚田はこんな形やった。

昔は祭りでこんなことしてた。

昔は深野の学校にもこんなに子どもがおったんやで。

これがあるなら、ウチからもあの写真を持ってきたらよかった。

これ誰か、みんな聞かはるから、付箋貼っとこ。

この写真、焼き増ししてもらお。

一人でゆっくり黙々と写真を眺める人

虫眼鏡を使い、写真に映る一人ひとりの顔をじっくりと確かめる人

熱心にメモをとり、写真たちをカメラで撮影する人

ご近所さんと一緒にあれやこれやと言いながら楽しむ人

若い僕たちに、その頃の思い出や出来事を説明してくれるおじいちゃん

思い出話に花が咲きすぎて、手を取り合って笑い合う人たち

杖をつきながら、孫に手を引かれて来てくれたおばあちゃんもいた。これが久々の外出で、写真展を通して何ヶ月かぶりに会った人もいたそうだ。

最近は、村の人ともマスクをして会うことが多いから、ちゃんと顔を見れていない人もたくさんいる。この日のみんなの笑顔も目元だけしか見えなかったけど、マスクの向こうの口元はニッカリと開かれ、満面の笑顔が想像できた。

たくさんの方々が協力してくださった写真展。みんながみんなのできる範囲で、主体的に関わってくださったからこそ生まれた光景。

過去の思い出をみんなで掘り起こし、それを現在に写真展という形で表現する。その出来事が次につながっていく未来が、その場にいると不思議と想像できた。泰代ちゃんはじめ、一緒に企画した仲間の思いが、想像を超えて具現化された写真展だった。

一人ひとりの望む生き方を、手助けしていきたい。

後日、僕は再び泰代ちゃんにインタビューさせてもらった。みんなが主体的に関わってくれたこと。当日の会場でのみんなの反応。どれをとっても素晴らしかったと、正直な気持ちを泰代ちゃんに伝えた。

すると、彼女は「実は私の人生30年間くらい苦しみやってん」と笑い、おもむろに心の内を話し始めた。

ずっと苦しかってんけど、なんか転じる瞬間があって、「そんな苦しまんでいいんや!もっと楽しんで生きていっていいんや!喜んで生きていっていいんや!」って気付くきっかけがあって。

私が中学校くらいの頃、ひいおばあちゃんが認知症になった。

おばあちゃんは苦しそうで。家族も大変で。「なんで人間はこんな苦しい思いをしなあかんねやろか、こんな苦しい思いをするために人って生まれてくんねやろか」、いつもそう思ってた。自分は何もしてあげられへん。時には酷いことも言った。自分は酷い人間、人を幸せにできない人間やと思ってた。

そんな考えを、自分の心の奥底、無意識下でいつの間にか確立してたと思う。20代になってからも考えは変わらず、「ここから、深野から離れたい」そんな気持ちがあって、一度深野を離れた。「死ぬにしても親を悲しませる」、そう考えるくらいドン底やった。

そんな風に生きてたけど、30歳になる前かな、転換期があった。自分の人生を振り返る機会。自分の内側を見るっていうのかな、外からの情報を払って、「本当は自分が何を求めてるんやろ」「どうありたいんやろ」、そんなことをゆっくり考える機会があった。

その時、深野の映像が頭の中に出てきてん。人の顔だけじゃなくって、深野の中で、つながりの中で、あったかい感じのイメージが見えてん。その時に、納得した。感動した。

「自分てほんまはこんなこと考えてるんや!こんな自分を大切にしたい」って。

「自分自身が大切や」と思ったら、「人間って大切やんな」って心の奥底でもそう感じることができた。ひいおばあちゃんの認知症のことも、「家族だけで抱えんでええやんか、みんなでやっていったったらええやんか」って振り返れた。

地球の問題も「そこの国のことは、そこの国のこと」って分けて考えてる。自分にはどうしようもないと思ってる。そんなとこまで見てられない。自分だけでも精一杯。

実際、自分も含めてみんな自分のことで精一杯やし、そう思うけど、自分一人でできないことでも、混ぜれば混ぜるほど、みんなで考えてやってたら、新しいものが生まれる。

写真展がまさにそうやってん。みんながちょっとずつ力を出し合ったら、できることも増えるし、楽に楽しくできるんやって、それは体験して気付いた。

一人ひとりが、本当に望む生き方をしてほしい。そんな世の中になってほしい。望み過ぎなんてないと思う。生きたいように生きれたらいいな。

現代は制限の方が多い。みんなの望みが叶ってほしい。そのきっかけをつくれるような存在になれたらいいな。これからも、そんな思いを込めた企画をしていきたい。

それぞれに幸せの瞬間があると思う。自分が体感したことのある、幸せという感情があると思う。いろんな人が混じることによって、体験したこともないような喜びが生まれてくると思うねん。

自分が心の奥底から望むように生きていこう。未来に向かい、その実現を信じて生きていこう。生きとし生けるすべての生命。そのつながりを大切に。時には助けられながら、時には支えながら、自然なつながりに身を任せて生きていこう。

昨今、特に日本は「安心・安全」に過ごせる環境も整い、「お金」さえあればなんでも手に入る。贅沢さえしなければ、「生きていくこと」は容易だ。でも逆に、「お金」という人間がつくり出した「情報」の保有や管理が難しい人にとっては、住みづらい世の中でもある。

そしてまた、「お金」を持っている人も、それを守り続けるために、なんとも言えない不安を抱いている。それによって、本来の「人と人とのつながり」が断ち切られていることも多いのではないか。僕は最近、そこに少し息苦しさを感じている。

もっとみんな、それぞれが自由に自分らしく生きていい。自然に生まれるつながりの中で、みんながお互いを認め合える。そんな素敵なことはない。

皆さんは人生の最後、走馬灯に何を映したいだろう。僕は、家族が、仲間が、人々が、すべての生命が、地球が笑顔でつながっている映像を観てみたい。

みんな死んだら地球に還るんだから。

そんなことを学ばせてもらった、泰代ちゃんのお話と、「深野つながり写真展」だった。

Writer|執筆者

北森 克弥Kitamori Katsuya

宇陀市室生深野生まれ。介護支援専門員・社会福祉士・介護福祉士。大阪で10数年を過ごし、長女の就園を機に帰郷。「自然」「繋がり」「自給自足」をテーマにした居場所づくりや支援の可能性を模索中。

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