奥大和ライフジャーナルOkuyamato Life Journal

五條市 2021.7.15 / コラム

地域の人たち同士のつながりを大切にしながら、私も新たなつながりを結びたい。五條市のコミュニティナースのまちづくり

写真=柗本幸実、桝田采那 文=柗本幸実

コミュニティナースという“在り方”をご存知ですか?

コミュニティナースとは、「日常的にまちに存在して健康や安心安全に貢献する医療人材」(矢田明子『コミュニティナース まちを元気にする“おせっかい”焼きの看護師』より)。

その活動は2016年から少しずつ日本中に広がり、奥大和の各地でも活動している人が複数います。

2019年春、コミュニティナースとして地元に飛び込んだのは、桝田采那(ますだあやな)さん。彼女の地元・五條市西吉野町は、約2300人の住民のうち、65歳以上が50パーセントに迫るまちです(2020年10月1日現在「住民基本台帳」より)。

今回は、桝田さんがコミュニティナースとしてどんな活動をしているのか、住民として地元に戻って感じていることなど、お話しを伺いました。

桝田さんが幼いころから見てきた西吉野町の一風景

―コミュニティナースとして活動するまでのお話を聞かせてください。

地元の高校を卒業後、五條市外の看護専門学校へ進学し、看護師免許取得後は奈良県内の総合病院で働きはじめました。

患者さんはさまざまな状況で入院してきます。例えば、脱水で倒れてしまった一人暮らしの人がいました。見つかるのが遅く、状態が悪化して運ばれてきて、結局、その人の希望どおり自宅へ退院するのが難しくなったんです。早めに病院に行くよう勧める人がいれば、帰りたい場所に帰れる人は増えるのではないかと思いました。

地域には“慢性的に病気を持っているけど元気な人”が結構いると思います。当時、私が知らなかっただけかも知れませんが、地域の元気な人に健康を自分ごとに思ってもらうための働きかけは少ない気がしていました。

そんな中、友人がコミュニティナースのことを教えてくれて、やってみたいなと思っていたところ、ある集まりへの参加がきっかけで奈良県の奥大和移住・交流推進室が主催する「奥大和コミュニティナース養成講座(以下、講座)」の担当者さんと連絡を取ることができました。

タイミングよく話が進み、講座に参加してみると「地域に看護師がいるのはすごく魅力的だ」と感じたんです。病院での経験を活かし、看護師の新しい働き方に挑戦したいなと思いました。

奥大和コミュニティナース養成講座での一幕

講座のあと、五條市が奈良県の働きかけでコミュニティナースを募集する話があると知り「やりたいです!」とその場で伝え、2019年4月から五條市の地域おこし協力隊としてコミュニティナースの活動をはじめました。

活動拠点はまず慣れた地元がいいのではという考えから、西吉野町になりました。うまく説明できないんですけど、地元にいるとほっとするから、地元を元気にしたいんです。なくなったらいやだなって思います。

ーコミュニティナースとしての活動内容を教えてください。

コミュニティナースは資格ではなく、ひとつの考え方です。住民さんに元気でいてほしい思いは同じですが、その地域の特徴やその人の持ち味によって、活動内容は100人いれば100通りです。

私の場合、ご自宅へ戸別訪問をしたり、住民さん主体の自主サロンや体操教室に顔を出したりしています。

2020年は(地元の特産品である)柿の生産者さんに立ち寄ってもらおうと、柿の選果場で「まちの保健室」を開きました。ご高齢の住民さんだけでなく、柿の生産者さんなど働く世代の方と会う機会もつくっています。

心がけているのは、住民さんと顔なじみの関係をつくって、必要なときに相談してもらえるようにすることです。

住民さんに存在を覚えてもらうと「あんた、あの人のとこも行ったってよ」と他の住民さんが情報を教えてくれるようになりました。インターネットが発展した世の中だけど、ここでは人と人の直接のつながりで話が入ってきます。

西吉野町は、梅や柿などの畑の間をぬって家があり、車がないと移動しにくい集落もあります。そうなると出てくるのが「外へ出かけることが難しい」という課題です。ではどうやって住民さんとつながっていけばよいか。
迷いながら歩む中で「住民さんが外に出かけられないのであれば、私が行こう」と思うようになりました。

住民さんのお宅に向かう桝田さん

戸別訪問では、住民さんと少しずつ話を広げます。「最近、体調はどうですか? 前に言ってたあれどうですか?」という感じで。「困っていることはないですか?」と聞くと「ないなあ」と言われることがほとんどなので……。何気ない会話の中で、住民さんの困りごとや不安に思うことを探すようにしています。

例えば、私は毎月、車でないと上がっていけない集落に住む90代のご夫婦を訪ねています。そのお母さんは「あの子は月替わったら来てくれるんや」と訪問を楽しみにしてくれていて。お父さんは「昔より動く時間が減って眠れなくなっていたけど、(アドバイスをもらったように)散歩するようにしたら眠れるようになった」と教えてくれました。

大したことは言ってないですけど、住民さんの生活の小さな変化がわかるのは戸別訪問ならではかなと思います。地域の特徴から考えてみても、戸別訪問は大事です。

ー活動するとき、大切にしていることは何ですか?

地域での活動で大事なのは、目の前にいる住民さんが元気であることです。全員を幸せにすることは難しいけど、目の前で困っている人のお手伝いをして、少しでも状況が良い方に向かえばいいなと思うようになってきて。そういう積み重ねが大事なのかなと2年経って気づきました。

ーコミュニティナースとして地元に戻って感じたことはありますか?

学生のころは気づいていなかったけど、意外にちょっとずつ、住民さん同士がつながっていたんです。地域のおっちゃん、おばちゃんたちはコミュニティナース的な“誰かを気にかけること”を自然にしています。

(新型コロナウイルスの流行前は)集まって体操をするときにお菓子を持ってきて、「みんなで喋ろう」と声をかけてくれる住民さんがいたり。お互いの家を行き来できなくても、電話で連絡を取り合っている住民さんもいます。

しかし中には、地域とのつながりが薄い人もいると気づきました。いざというとき、必要なところにつなげられるように、日頃から考え方を尊重しつつ、ゆるやかにつながっておくことを目指しています。住民さん自身にも、困りごとが出てきたとき、どこに声をかけたら良いか知っておいてもらえたらなと。

ー地元住民として、残したいものはありますか?

昔ながらの生活を残していきたいです。春はわらびを炊いたり、よもぎ餅をつくったり。夏は梅を干したり、スイカを食べたり。秋は柿や栗、松茸をとってきて食べたり。冬は餅つきや干し柿を吊るしたり……。

とれた梅を天日干しに。

住民さんを訪ねると、季節の食べ物や花の話が自然に出てきて、自然に寄り添った生活が感じられます。それまでも、桜や梅をきれいだと思って写真を撮ることはしていたけど、コミュニティナースとして地元に戻って、季節の移り変わりを感じることが増えたなと思います。

桝田さんが撮った西吉野の梅の花

そのうち自分でも、「季節のものっておいしいな」って思ってきて。今までもおいしいとは思っていたけど、当たり前過ぎて有難いとは思っていなかったんです。今は住民さんや祖母たちが当たり前にやっている生活を受け継いでいきたいです。

季節ごとの農作物には、人の手入れが必要です。人が減っていくと採れなかったり、野生動物に食べられたりしてしまいます。地域の大きな伝統文化も大切だけど、自分の生活に密着した文化を大事にしたいです。

富有柿(ふゆうがき)は西吉野の名産

ー今後やっていきたいことはありますか。

地元に、住民さん同士がつながる拠点・場所をつくりたい思いがあります。西吉野町では昔からあった喫茶店がなくなってしまい、商店も閉店してなくなってきていて。「集まる場所がない、コーヒーを飲める場所がない」と住民さんも話しています。

ふらっと来てコーヒーを飲んで、別に喋らなくてもほっとできるような場所をゆくゆくつくりたいし、それを継続していきたい。そのために必要な経験を、今後はしていきたいと思っています。

そして、自分が歳をとったときに、人と人のつながりが途切れていないように、まちを元気にしていきたいですね。

–(インタビューここまで)–

生まれ育った地元に、コミュニティナースとして飛び込んだ桝田さん。人と人のつながりを大切にし、悩みながらも地道に、今日も住民さんを訪ねる姿が目に浮かびます。

地域には「若者がいない」と、時に耳にします。しかしそれはゼロになった訳ではなく、すでに輝いている若者はいるのだと、桝田さんから学びました。彼女のこれからの歩みも応援していきます。

Writer|執筆者

柗本 幸実Matsumoto Yukimi

1995年、五條市生まれ。病院で作業療法士として働いた後、2022年にモノづくりブランド「イトバナシ」に就職。チョコレート事業「chocobanashi」 の製造リーダーとして毎日チョコにまみれている。

関連する記事