祖父が遺した洋館でカフェをオープン
2021年5月5日。
29歳になった私は御所市朝町に「Tsumugu」というカフェをオープンさせた。
ここは祖父がレース会社を営み、暮らしていた場所だ。
カフェをオープンするまで、20年ほど倉庫と化していた。
ハイカラだった祖父の住まいは洗練されていて、幼い頃から別世界に来た気分になる空間でワクワクした。
お店の顔であるカウンターは、曽祖父が生前、創業したレース会社の事務所で使用していたもの。100年以上前の家財は味があり、特別な存在感がある。同様に、玄関の扉、食器棚なども移築し、客席のテーブルクロスには実際に作っていたレース生地を使用している。
これらの素材が生きるよう、新旧の融合を意識し、内壁のレンガは一枚一枚自分たちで貼るなど、塗装や客席づくりを大工さんに教わりながら、ところどころ手作りした。リノベーション期間中はほぼ毎日、家族をはじめ、友人、元同僚などが日替わりで手伝いに来てくれた。
ランチには、地元で採れた無農薬野菜を使用している。田舎ならではの「近所の方からもらった野菜」を昔からよく食べていたから、本当においしい野菜はすぐにわかる。濃くて甘くて、体が喜ぶのだ。
コーヒーにもこだわった。「ASAMACHI BLEND」は名の通り、朝町をイメージしたオリジナルブレンドだ。手前味噌だが、ほのかな甘みで、一口目から癒やしを届けるやさしい味がする。「Tsumugu」のテーマカラーである3色のコーヒーカップは、幼馴染の陶芸家に作ってもらった。ひとつひとつ手作りだからこそ、より一層おいしく感じていただけるはずだと思っている。
店の外には、看板ヤギの「シロ」がいる。一緒に暮らし始めて5年目。店先の広場の草刈りが彼の仕事だ。
正直なところ、初めはヤギとの接し方に戸惑ったが、毎日顔を合わすにつれ、すり寄って来たり、話しかけてくれたり、じゃれ合ったり。一日中草を食べていたり、雨が降ると落ち込んだりする姿に今では虜になっている。なぜかずーっと見ていられる。
私だけでなく、多くの方の心をほぐし、笑顔にしてしまう様子を何度も見てきた。彼には本当に不思議な力があるようだ。
失意の底で気づいた故郷の魅力
祖父母のいるこの場所で家族と住み始めたのは5歳の頃。
当時、学校のみんながポケモンの話題で盛り上がる中、昆虫や山菜採りに夢中だった私は全く話についていけなかった。下校途中、近所のおじいちゃん・おばあちゃんと世間話をして野菜を分けてもらったりもした。自然との生活、人との何気ない会話が当たり前で、ゲームやマンガよりも楽しくて、心地の良い時間だった。
英語教授をしていた祖父の影響もあり、小さな頃から海外に何度も連れて行ってもらった。イギリスで出会ったベレー帽を被った少年に憧れ、海外により一層惹かれるようになった。
外国語大学を卒業し、ホテルマンとして社会人をスタート。
もともと人と話すことが大好きで、相手に喜んでもらったり、笑ってもらったりすることが好きだった。その延長で「おもてなし」を学びたいと思い、その道のプロである「ホテル業界」に大きな期待を抱いて入るも、理想と現実は180度違った。
過酷な労働環境や上司から日々浴びせられる心ない言葉たち、人間関係などによる強いストレスに当時20歳の私は耐え抜くことができず、出勤前後の記憶が飛んでしまうなど精神的な疲労が身体に現れるようになり、約1年で退社を余儀なくされた。
そんな失意の底にいる私を救ってくれたのが、生まれ育った朝町だった。
ただベンチに腰掛け、自然の中で緑を感じ、鳥や虫の声を聴き、心を落ち着かせる。それだけで不思議と元気が湧いてくる。それは一番身近にある、最高の治療だった。
遠出できない今こそ、日常に少しの癒やしを
それから数ヶ月して、新しい仕事を探し始め、たどり着いたのが某コーヒーチェーン店だった。
コーヒーが特別好きだった訳ではない。
いつも働いている人がキラキラして見えて、そこに自分が笑って働いている姿がイメージできた。それだけだった。でも、5年をそこで過ごし、責任あるポジションを任せてもらうなど、入った頃には想像できなかったくらい、自分の意見、働き方、人との関わりに自信が持てるようになっていた。
もっとコーヒーのことを学びたい…
そう思った私は、一大決心をしてコーヒーチェーン店を退職。コーヒー文化をより深く学ぶため、オーストラリア・メルボルンに渡り、「さぁこれから!」というところで、コロナウイルスの影響により街がまさかのロックダウンに。決まっていた仕事も当然クビになり、緊急帰国を余儀なくされた。
再び陥った失意の中、「人任せでなく自分の力で何かを始めよう」と決心。今度は1年間、カフェづくりに専念した。
そんな紆余曲折を経たからこそ今の私があり、このカフェがある。オープンして半年が過ぎ、「ここに来るとなんだか落ち着く」というお声をいただく度に、とてもうれしい気持ちになる。
あなたが日々の生活で息苦しさを感じたとき。よければぜひ一度立ち寄ってほしい。遠くへは行きづらい今だからこそ、日常の少しの癒やしが大切なのだと思う。
レース会社を営んでいた曽祖父が遺した家具や生地。祖父が建てた洋館。
糸を紡いできた2人の想いと共に、御所市の新たな「歴史」となれるよう、私もこの場所でたくさんの物語を紡いでいきたい。
Writer|執筆者
1992年、御所市生まれ。外国語大学を卒業後、ホテルやコーヒーチェーン店での勤務を経験。29歳のときに、祖父が残した洋館をリノベーションしてカフェ「Tsumugu」をオープン。