奥大和ライフジャーナルOkuyamato Life Journal

下北山村 2018.11.7 / コラム

世界を旅して「夢見た暮らし」と、下北山村の「きなりの暮らし」が重なるところで。

2017年4月から下北山村に暮らしの拠点を移して、早1年半。忙しくも充実の日々を過ごしています。

私は、ここ下北山村に来る前は、夫と共に約3年かけて世界と日本のローカルな暮らしを訪ねて巡る旅をしていました。「世界一周ハネムーン」と称して飛び出した無期限の旅。観光地を足早に周るのではなく、訪れるその土地土地での出逢いを大切にしようと、ホームステイなどを通して、現地の人と暮らしを共にするという旅のスタイルをとっていました。

母なる大地を感じて生きる体験

北インドのラダック地方では、標高4000m級の過酷な環境の中で、昔ながらの伝統的・自給的な暮らしを送るチベットの民に出逢いました。厳しくも美しい自然と共に生きるラダックの人々は、強く優しく、朗らかでした。日々の営みが生命に直結している暮らしが、いかに尊くたくましいものであるかを彼らから学びました。

絶景の中をトレッキングしながら、主食となる大麦の畑へ

羊や山羊は家畜ではなくて、共に生かし合う家族。
ミルクをいただき、毛皮はウールやカシミヤとして生活の糧に。

ニュージーランドのワイへキ島では、小さなエコビレッジで暮らす最高にカッコいい家族に出逢いました。

若いころに、世界中を旅して周ったというホストのご夫婦。
中心となって立ち上げたエコビレッジは、現在、息子さん世代へと受け継がれている。

自然エネルギーを効果的に取り入れ、環境負荷の少ない暮らしを実践し、食べるものはできるかぎり自分たちのコミュニティでまかなう暮らし。エコビレッジで管理をしているブドウ園のブドウで作るビオワインはどこまでもフルーティーで、特別な日に開けるというその一本のボトルから、世界中どこに行っても味わえない至極の贅沢を感じました。

快適にオシャレに、毎日を楽しんで、好きなことを仕事にしながら生きる彼らの姿は、今でも私の「暮らし」に対するモチベーションを後押ししてくれています。

旅を通して得た、人生の宝となる出逢いと学び

書き始めるとキリがないくらいに、たくさんの出逢いと学びで溢れる旅でした。日本で生きているだけでは出会うことのなかった文化や価値観にもたくさん触れることができました。

暮らすように旅をする中で、私は、今までの自分の暮らし方が、いかに人任せで、無責任なものであったかに気が付きました。食べるものも、着るものも、生活のために必要なあらゆるエネルギーも、休日の過ごし方までも、すべてお金を払って手に入れることしかしていませんでした。自分で何かを産み出したり、作ったりすることはほとんどなく、それができるということにも気がついていませんでした。

だからこそきっと、旅をはじめるずっと前から、「手作りの暮らし」というものに強い憧れを抱いていたのだと思います。

グローバル化した社会において、自分の暮らしが、遠くの誰かの暮らしを犠牲にしているという事実にも向き合いたいと思っていました。息をのむような絶景を目にしたり、大自然の偉大さを感じたりするにつれ、自然環境に悪い影響を及ぼす暮らし方に対する後ろめたさも強くなりました。見えない大きな流れに翻弄されるのではなく、自分たちのペースで、自分たちで責任をもって、自分たちの手で暮らしを紡いでいきたい。そんなおぼろげな希望と目標が心のうちで大きくなっていきました。

コスタリカ、首都サンホセ近郊。荒れ地を開墾して、セルフビルドで家を建て、
オーガニックファームを始めたのは私たちと同世代の若いカップル。

樹々をかき分け森の奥深くに入った先の沢水から生活用水をひく。

実際に旅の中で見てきた「手作りの暮らし」は、時にストイックで、時に泥臭くもあります。

切り取った写真のように、キラキラした部分ばかりでないのは確かだけれど、地に足ついた実直な暮らしを送る彼らからは、満足感や充実感が満ち溢れているのを感じました。彼らの身体の内から出てくる力強さや人間らしさを目の当たりにするたびに、「こういう風に生きたいなぁ」と単純に思ったものです。

 

そして重なる、「夢見た暮らし」と「きなりの暮らし」

“人にも自然にも優しい持続可能な循環型の暮らしを、ステキに楽しく、快適に実現することは可能である。しかもそれは、自分さえ心を決めれば今からでもすぐにはじめることができる”

この気づきは、実際に私の暮らし方を転換させるに足る、大きなきっかけとなりました。長い長い旅を通して得た最大の学びと言えるかもしれません。旅の間に、見て、聞いて、感じて、動いて、たくさん学んできたことを、今度は自分たちの手で形にしていきたい。そう思い、帰国後に暮らしの拠点を自然豊かな下北山村に移したのです。

村での農作業や手仕事の場に身をおくと、ふと旅中の感覚を思い出すことがあります。日に日に熟れてくる梅の実をもぎ、地面に落ちた実をせっせと拾う場面は、ラダックで必死にアプリコットを収穫していた時と同じ。お父さんが少年のように木に登って、棒を使って実を落とす様子は、デジャヴかと思うほどにそっくりでした。

パキスタンとの国境に近いラダック、ダー村にて。ここで栽培される
アプリコットはラダックの特産品として、ジャムやドライフルーツ、オイルになる。

下北山村にて。御年72歳。少年のように、どんどん上に登っては梅の実を採っていく。

しとしと降る春雨の合間に行うお茶摘みで思い出したのは、コロンビアのオーガニックファームで体験したコーヒー豆のピッキング。ただ一心に淡々と、籠がいっぱいになるまでひたすら摘み続けました。

茶葉を天日でカラカラになるまで干すのも、コーヒー豆を何日も天日で干すのと同じ心持ち。空模様を伺いながら「あと少し、あと少し」とお日様の力を頂戴する。そうしてできあがる下北山の一杯のお番茶と、コロンビアのコーヒーファームの一杯のコーヒーは、どちらも同じく、時間と手間と愛情を惜しまずかけた、贅沢で幸せな味がするのです。

実を剥いたコーヒーの豆を天日で乾かす。雨に打たれないように気を配りながら。


摘んだ後すぐに釜炒りした茶葉を天日干し。カラカラになるまで何日も干す。


はじめて得る、暮らしの実感

この村で暮らすまでは、春の採りたての山菜がこんなにもおいしいなんて知りませんでした。おばあちゃんの手で漬けられる昔ながらの梅干しのありがたみも、手作業でするお米作りの大変さも、この村に来てはじめて教えてもらいました。やったこともなければ、知りさえもしなかったことが、下北山村に来てからの1年半のうちに随分とできるようになりました。

温かく見守りながら、必要な時に必要なことを優しく親身に教えてくださる村の方々のおかげです。毎日口にする、お米やお茶や梅干しやお味噌を自分たちの手で作れるようになった喜びは、何事にも代えがたいものでした。

思い返せば、今まで、私は直観と違和感にしたがって生きてきました。ここ下北山村で暮らすと決めたのも夫婦二人の直観。その直観にしたがって村で暮らしはじめて1年半が経った今、「このままここで暮らしていきたいな」と自然に思えている私たちがいます。

村を流れる清流。透き通った水の中を、川魚がたくさん泳いでいる。

手摘み・手もみで行う釜炒り番茶作りが終われば、初夏の梅仕事。仲間と行う田植え、真剣勝負の渓流釣り。ぐんぐん伸びる草と競争しながら汗をかく夏の畑仕事。喜び溢れる稔りの秋。大忙しの冬、地場野菜の春まな仕事や味噌仕込みに夢中になっていると、あっという間に次の春が来る。季節を重ねる毎に、自らの手でできることが増え、「生きている」という実感がもてる暮らし。そして、自然の恵みと村の人々の温かさに触れ、「生かされている」と感じられる日々。

特別なことはないけれど、安心感と幸福感の高い穏やかな暮らしが、今ここにあります。直感と違和感に加わった、下北山村での実感。自由気ままな旅暮らしにはひとまずピリオドを打ち、ようやく私も地に足が着いてきたようです。

ここからみんなと描く、人と自然に優しい暮らし

下北山村は生命力に溢れています。だから、暮らす人もまた、自ずと活き活きしてくるのでしょうか。土に触れ、四季折々の自然のエネルギーを感じながら、気の置けない家族や仲間と暮らすことは、人間らしさが、そして、その人らしさが発揮される一つの有効な方法なのだと思います。

訪れてくれる友人たちは、声を揃えて「いい村だね」と話してくれます。自然な環境で村の人と会話を交わすだけで、感じるものがあるのかもしれません。村の人が、謙遜するでもなく、自慢するでもなく、「この村が好きなんさ」って等身大で話してくれる時、「ここを選んでよかった」と私の心はほっこりします。

旅を通して「夢見た暮らし」と、下北山村のありのままの「きなりの暮らし」が私の中で重なりました。私たちが思い描く、人と自然に優しいステキな暮らし「オノ暮らし」は、ここ下北山村を舞台にようやくスタートを切ったのです。

Writer|執筆者

小野 晴美Ono Harumi

大阪府出身。大学卒業後、ソーシャルワーカーとして病院勤務。結婚し、世界を訪ねて巡るハネムーンの旅に出る。自然豊かな地を求めて、2017年春に下北山村に移住。山村地域でのナリワイ作りにも挑戦中。

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