奥大和ライフジャーナルOkuyamato Life Journal

下北山村 2019.3.29 / コラム

日本淡水魚がつなぐ街と村。僕が森に関わる理由(後編)

写真・文=都甲ユウタ(カメラマン)

前編はこちら

みなさんの暮らしの中に、山や森はありますか?

何気なく目にする山、それを見て人工林かそうでないか、意識したことがある人は実はあまりいないのではないでしょうか。

少なくとも僕は無関心でした。

整然と密に並ぶ杉木立。人が植えて、育て、伐採し、また植える。そんな何百年も昔から続く人工林のサイクルの途中には、木を伐採し過ぎては山が崩壊し、木を保護してはまた崩壊するという出来事がありました。それが今、僕たち人間は、木を伐らな過ぎることで山が痩せ、崩壊するという歴史上初めての問題に直面しています。

山に入る人が減っている。手入れが必要な山は多い。

去年の夏のこと。仕事で3日間、下北山村に滞在する機会がありました。前編で綴った通り、森や淡水魚への関心をいだくようになった状態の僕。

下北山村と雑誌ソトコトが開催する「むらコトアカデミー」の様子。撮影中も前のめりでお話を聞いていました。

そこで過ごし、耳にした村民の方の話が深く深く入ってきました。3日目の終盤には、「ここに住めたらいいな」と妄想するまでになり、興奮冷めやらぬまま、数日後には家族を連れ出して下北山村へ遊びに出かけました。

家族で川遊び。村と家族をくっつけようと必死でした。

そこで出会ったのが村役場の北直紀さん。村の林業を見直し、盛り上げることに力を注いでいる方です。そんな彼から、一枚のチラシをもらいました。そこには「きなりの森つくり研修」という文字が。

北さんの「森に関わろうとする原体験」も、僕と同じ川遊び。

森はつくることができる。そのシンプルな言葉に、大きな可能性を感じました。

林業について何を知るでもないし、それで稼ぎたいわけでもない。でも、森に関わるには知識も技術もいるだろうし、図らずも訪れた森に入り、それらを学べるチャンス。村から街に帰る朝、僕は北さんに「研修に参加したい」と伝えました。彼は驚いていたけれど、どこか嬉しそうでした。

会うと森についての話が止まらない。

この「きなりの森つくり研修」の目的は「自伐型林業」の実践にあります。

木材の大量生産を目的とした皆伐(そこにある木を全て伐採する)を伴う現行の大規模林業ではなく、持続可能な森づくりを目的とした、間伐(立木を間引く)と小さな幅の林道(作業道)を密に張り巡らせる小さな林業、それが「自伐型林業」です。

達人の道作りを目の当たりにする。何もなかった山肌にあっという間に道ができる。

冒頭で書いた、伐らな過ぎて崩れる山、いわゆる放置林へ積極的に入り、自伐型で施業をしていこうとする機運が全国的に高まっています。

下北山村はかつて林業が盛んな場所でした。当時は皆伐型の林業だったそうです。北さんのおじいさんやお父さんも林業に携わってこられ、村には多くの人工林が、子の代・孫の代まで残る資産として植えられてれています。

小さな村にも沢山の人工林が残されています。

初めて持ったチェーンソー(チェンソーじゃなかった!)に緊張しながら木を切り、自分が乗るなんて考えたこともなかったバックホーを操る。触れるもの全てが新鮮で楽しかったけれど、何より嬉しかったのは「仲間と学ぶ」という経験ができたこと。

10月から今年の1月まで続いた研修は、熱い仲間たちのリクエストを受け、現在も定期的に行われています。研修の場である下北山村の美しさ、主催する北さんの想い、森つくりの先輩でもある地域おこし協力隊の方々の軌跡を肌で感じることが、僕ら研修生をあつーくしているのは間違いありません。

伐倒の技術はもちろん、木が倒れた後の予測を常にすること。これが難しい。

基礎からみっちりと。

ロープの結び方も安全に直結する要素。とにかく安全第一。

チェーンソーの刃の手入れ。どんな世界にも細かな技術やこだわりがあって面白い。

研修で通う日々を通して信頼できる仲間にも出会え、「村に住めたらいいな」と考えることが多くなりました。

そもそも僕は、物事を一直線で結ばずにはいられない性分で「女性とお付き合いする=結婚する」ということだし、「ギターを上手く弾きたい=プロを目指すべき」「写真を撮る=仕事にしたい」で、「魚採りをずっとしたい=森へゴー!」なのです(ギターは挫折しました)。

我ながら愚直に迷わず、まっすぐ進んで来た道に、大きな迷いが生まれました。僕一人であれば、今まで通り一直線に”移住”へ結べるのですが、妻と子どもは直線では結べません。家族とはいえ、人はそう単純ではないのだと痛感することになりました。

そんな中、何度も頭をよぎっていた“関係人口”という言葉。「村に関わりたいなら住む」、これしか考えられない僕にとって、村外から関わるという発想はあれども「実行する訳あるかい!」と切り捨てていました。

でも、毎週のように村にお邪魔し、本業の写真でも関わる機会をいただき、本記事を書いているこの状況って“関係人口”真っ最中じゃなかろうか。ジビエという言葉を聞いて「それどんな漢字なんだ?」と思いつつ、真顔で知ったかぶりをしていた少し前の僕には、信じがたくありがたい現状です。

こうして、いつのまにか“関係人口”を自覚していった僕は、どのように下北山村に関わっていくのかを意識するようになりました。

村民と関係人口、それを誰も意識せず“好き同士”が笑ってる。下北山村の一番素敵なところ。

暖かくなってきた3月の末、僕らは下北山村から離れた街中にある森で開催されたイベントに出店していました。森にまつわることを下北山村の暮らしに根ざした形でやっていきたい。そんな想いで結成されたチームです。名前はまだありません。

初会議。やりたいこと、希望と理想だけをひたすら書き出して、チーム名が決まりません。

今回は、薪割りをしてもらった方にコーヒーを振る舞うことに決め、100名以上の方に薪割り体験をしてもらいました。

北さんの同級生で昨年村に帰ってきた村役場の上平さん。会うたびに山装備が増えてる男前。

会議の後に薪割り体験。これがイベントのヒントになりました。

家族にも森を体験してもらう。子どもたちの、生命が沸き立つようなテンションに驚く。

そこでひとりの少年に出会いました。初めて体験した薪割りが楽しくて仕方がないようで、何度もやってきては薪を割る割る。

初めて薪を割った子どもたちが、「もっと割りたい!」と駄々をこねていたのが印象的でした。

少年と記念写真。写真左のデザイナー・河野さんは林業研修で出会い、もうすぐ村に居を移します。

少年は言いました。「ひとりで下北山村に行ってみたい」。それを聞いた僕らの感激っぷりはもう言葉では表せません。翌日、彼のお父様から連絡があり「家に帰っても興奮が冷めないようで、本気で村に行きたいそうです」と。

森や地域に関わるきっかけは人それぞれの理由があり、そこから離れることだってよく耳にする話です。僕は街に住み、村に向かいます。好きな人たちに会う方法が森に入ること。森に入ることは僕の好きな魚採りのためになる。これが僕が森に関わる理由です。

川と森がより美しく輝く今年の夏。あの少年と下北山村で会えたら、ガサガサに誘ってみようかな。

Writer|執筆者

都甲 ユウタTogo Yuta

1984年、大分県生まれ。橿原市在住のカメラマン。魚採り「ガサガサ」に夢中になったことをきっかけに、川を綺麗に保つための森づくりを目指し、下北山村で出会った仲間たちと日々勉強中。

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