奥大和ライフジャーナルOkuyamato Life Journal

川上村 下北山村 十津川村 2019.3.6 / コラム

奥大和に移り住んで12年。まだ見ぬ「絶景」を訪ねて。

文・写真=坂本大祐(合同会社オフィスキャンプ)

自分、坂本大祐は、奈良県奥大和エリアに居を移して今年で12年目になる。奥大和エリアとは、奈良県の南部と東部のエリアを指し、そのほとんどが山林に覆われているが、そこにはまだ見ぬ「絶景」がたくさん潜んでいる。そんな「絶景」をハントしようと、奈良県地域振興部の福野博昭次長をナビゲーターに迎え、写真家・西岡潔さんと共に旅に出かけた。

最初に立ち寄ったのは、我々の拠点である東吉野村からほど近い川上村。「吉野林業」の中心地として名を馳せたエリアである。 ここでは、樹齢を重ねた巨木が立ち並ぶスポットをご案内いただいた。

遊園地のアトラクションのような急勾配の山道を小型の四駆でグイグイ上がっていった先に、巨大な柱がそびえ立つ、荘厳な神殿のような林が姿を現した。

人と車との比較で、その巨大さがお分かりいただけるだろう

その存在感は、問答無用の価値をこちらに投げかけて来る。「人と自然が良い関係を保ち続けると、このような環境が生まれるのだな」と、ある種の清々しさを感じつつ、この場を後にした。

次に向かったのは、川上村から車を走らせること約一時間。奥大和の最南端に位置する下北山村だ。

こちらには「前鬼ブルー」と呼ばれる、恐ろしく澄んだ水を湛える渓谷があるそうだ。 現場に着いて車を降りると、いきなりその「前鬼ブルー」が目に飛び込んできた。青の中でもウルトラマリンに近い、淡いけれども、深みのあるブルー。

この色のゼリーがあるなら、浴槽いっぱい食べられそうだ

その清涼感にしばし浸ったのち、下北山村第二の目的地「池神社」へ。

木々の隙間から少しだけ見えるのが池神社だ

ここ「池神社」は、その名の通り目の前に佇む「明神池」を聖域とする神社で、「池に何かを投げ入れると、良くないことが起こる」という言い伝えがあるそう。 その日は穏やかな日和だったので、水面も鏡のように静かに広がっていて、周辺の木々や、気持ちのいい空が映り込んでいた。

この場所を最後に、初日の「絶景」を巡る旅は終了。

二日目は早朝から車を走らせ、日本一大きな村・十津川村の「瀞峡」を訪れた。 噂には聞いてはいたが、切り立った岸壁の連なりと、その間をとうとうと流れる川の深い青にしばし言葉を失う。

そこから、6人も乗れば定員の小舟に乗り込み、いざ岸壁の渓谷へ。 舟という乗り物は本当に不思議で、地上を走るどんな乗り物にも似ていない、独特の移動感覚がある。

走るではなく「滑る」ように進む小舟から見るパノラマは、まさに絵に描いたような世界。時間帯と天候が運良く重なったのだろうか、まったくの無風状態で、磨き上げた鏡のようになった平滑な川面に、ホワイトグレイの岸壁が映り込み、そのちょうど真ん中を、我々の小舟が進んでいくのだ。

しばし無言の後、堰を切ったように皆大はしゃぎで「これは歴史に残るぞ!」とか「10年に一度だ!」とか、とにかく世にも珍しい光景が初夏の「瀞峡」に出現したのである。 ここに、奈良県が誇る名写真家・西岡潔が同行していたのだから、一同大興奮なのも仕方がない。

舳先に立ちシャーターを切る西岡氏

興奮冷めやらぬまま岸辺に戻り、次の目的地へ向かうため瀞峡を後にした。

車を走らせること再び1時間。たどり着いたのは「果無」という集落。ここは、山の稜線に住む人たちの集落で、住民の方々は山の上から水を引き、限られた平地をつかって田畠をつくりながら、環境に溶け込むように暮らしておられた。

一見、不便そうに見えるその暮らしのなかに足りてないものは、実はひとつもないのだということに気づくまで、そう時間はかからなかった。 農作業をされていたお父さんと世間話を交わした後、最後の目的地へと車を走らせる。

たどり着いたのは「山天」集落。 こちらは、山の斜面地に畑をつくり、文字通り自給自足で、3人のおばあちゃんが元気に暮らしている集落だ。

花盛りの山吹が出迎えてくれた

着いてすぐに、みんなと顔なじみの福野次長はひとりのおばあちゃんのお家へヅカヅカと上がり込んでいく。一同後に続き、田の字づくりの家屋の畳の上で、みなで昼寝をはじめる。 自分の祖父母の住まいはこのような家ではなかったのだが、なんとも言えず懐かしい。

開け放たれた縁側から吹き込んでくる緩やかな風に起こされてみると、昼食の用意がすでに整っていて、年中出しっぱなしのこたつを囲んで、楽しい昼食がスタート。 食べきれないほどの「めはり寿司」が大皿に盛られ、決して豪華ではないが、おもてなしを感じる素敵な昼食をみな夢中で頬張った。

食べながら、ふと目を向けた時のおばあちゃん達の顔が忘れらない。

初夏の気持ちよさが、そのままカタチになったような昼食を終え、いよいよ、この旅を終えるべく、家路につく。

帰りの車中で、ずっと思いを巡らせていたのだが、そもそも「絶景」を探し求めたこの旅で自分が感じたのは、琴線に触れる「絶景」の向こうには、暮らし、働く人たちがいて、「絶景」の向こうにあるその人たちの気配が、我々の心を震わせるのではないかということ。

その場所で生き、暮らし、働く。その積み重ねが磨いた尊い「絶景」が、奥大和には無数に残されている。 気になった方は、ぜひ訪ねてみてほしい。公共交通機関では簡単に行けないところばかりだが、辿り着いたら決して後悔はないはずだ。

Writer|執筆者

坂本 大祐Sakamoto Daisuke

合同会社オフィスキャンプ代表。1975年、大阪府生まれ。2006年、東吉野村に移住し、デザイナーとして様々な企画・ディレクションを手がける。村内外をつなぐパイプ役として、東吉野村を拠点に活動中。

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