そこには会いたい人と見たい風景、 そして学ぶことがたくさんありました。
写真・文=西岡潔(合同会社オフィスキャンプ)
十津川村にある小さな集落に通うようになってもう10年以上は経つだろう。はじめて訪れたのはある撮影のためだったのか、近くに来たので寄っただけだったのか。その辺はうろ覚えである。急な山道を登っていき、行き着いたのが道の終点のこの集落だった。
「ただいま~!」と、自分の実家や田舎に帰ったような感じで家に入っていく奈良県庁の担当者Fさん(この人とも10年以上一緒に奈良の各地を巡ることになる)。
「どういう場所でどういう関係なのだ…?」
家に上がらせてもらい、ちゃぶ台を囲んであれこれ世間話を一通りすると、「お腹すいたなぁ」ということになり、おばあちゃんたちはめはり寿司の支度を始めてくれた。私も一緒にめはり寿司を握った。
そしてお腹が満たされると、おばあちゃんたちは「昼寝でもしていくか?」と勧めてくれる。縁側のある部屋に通されると、庭の花と向かいの山が綺麗に見える。そこで、座布団を枕がわりに少し昼寝をした。
この感じはなんなのだろうか。
大阪に育ち、今はもう田舎のない私にとっては、子どもの頃のうっすら残っている、四国の曽祖母の家の記憶が蘇るようだった。それ以来、この集落には撮影やそれ以外でも近くに寄ることがあれば、おばあちゃんたちの顔を見に寄ることにしている。
私が出入りし始めた当時は、おばあちゃんたちの旦那さん方も元気におられたのだが、数年前に他界。
現在は姉妹のように、おばあちゃんたちは支え合い暮らしている。
まだ車道が通ってない頃、おばあちゃんたちは山を越えて嫁いできたそうだ。
当時のここでの暮らしはほぼ自給自足だっただろうし、今もいろんな種類の作物を育てながら暮らしている。
めはり寿司を包む高菜の葉も自分たちで育てるし、「むこだまし(粟)」や「十津川なんば(とうもろこし)」といった固有種も育てている。
「むこだまし」は粟の一種で、普通の粟は黄色だが、この種は白色で「お婿さんが米の餅だと騙される」というところからこの名がつけられたそう。また別の機会に詳しく固有種に関してもお伝えできたらと思う。
いつも明るく迎えてくれるおばあちゃんたちにどこかしら強さを感じるのは、長年食べるものを自分で育ててきた強さがあるのかもしれない。
平成23年9月の「紀伊半島大水害」で十津川村は甚大な被害を受け、道の分断や崖崩れが多発した。その時も我々の心配をよそに、避難することもなく日常に近い生活を続けられたのも、長年自立した生活があったからこそなのだろう。
十津川村の盆踊りは「重要無形民俗文化財」にも選ばれているが、高年齢化と人口減少により、地区ごとに開催されていた盆踊りも少なくなり、神納川地区の盆踊りも数年開催されていなかった。それが、UターンやIターンの若者の力で再開されることになった。
十津川村の踊りは扇を両手に持ち舞うように踊る、とても華やかな盆踊り。それは複雑で、何度も参加している私でも、未だにうまく踊ることはできないが、おばあちゃんたちは実に軽やかに踊っていた。
年が明けてまもない寒い日、撮影で十津川村に来たので挨拶も兼ねて寄ってみると、役場で購入した桜の苗をこれから植えるところだった。
桜の花が咲くのは数年先になるから、自分たちは見れないかもしれないけれど、来てくれた人たちが喜んでくれたら嬉しいので植えるのだそうだ。
桜の苗は集落の玄関口の、今はもう手が入っていない畑に植えられた。
私にとってのかけがえのない場所でもあるこの集落。
いつまでも元気でいてほしいおばあちゃんたち。
日本には、こういった故郷のような場所は一昔前まで数多くあっただろうし、現在も知らないだけで存在している。
ただ触れ合える機会がとても少ない。
自然や環境に適応し、季節のサイクルと共に生活し、育て、食する。
そんな姿に力強さと優しさと、生きていく知恵を学ぶ。
この集落から帰る坂道をくだる時、振り返るとおばあちゃんたちはいつも手を振って見送ってくれている。
その姿を見る度に、「また帰ってくるね」と心の中で呟くのでした。
Writer|執筆者
1976年、大阪生まれ。写真家。東吉野村在住。合同会社オフィスキャンプに所属。習慣や常識的な事柄を再確認しながら、社会から消えてしまいそうな、記憶にかすかにとどまる光景を写真に収めている。