奥大和ライフジャーナルOkuyamato Life Journal

十津川村 2019.5.30 / 対談

母子の絆は距離と時間を越える。十津川村長と新十津川町長が語る、今なお続く「十津川の縁」。

写真=西岡潔 文=赤司研介(SlowCulture

時は明治22年8月。『大日本帝国憲法』が発布され、新橋〜神戸間をつなぐ東海道線が開業した頃。奈良県吉野郡一帯を、凄まじい豪雨が襲い、十津川村もかつてない大水害に見舞われました。

大水害によって川がせき止められ湖が出現した十津川郷

死者は168人。生活の基盤を失った者は約3,000人にのぼりました。新たな生活の地を求めて、2,489人が北海道への移住を決断。神戸から船や汽車を乗り継ぎ、最後は徒歩で50キロものぬかるんだ道を進み、トック原野に入植したのが明治23年6月のこと。水害から10ヶ月が経過していました。

たどり着いた土地は、まさに自然のままの原生林。暮らしをつくるための開墾作業は困難を極めますが、人々は地道に森を切り開き、のちに新十津川町となる集落が生まれていきました。

原生林の開墾の様子

厳しい暮らしの中でも、生まれ育った土地にならって文武両道を尊ぶ人々は、教育施設を建設。水田開発も推し進め、大正期には人口も15,000人を超え、道内でも屈指の米作地帯に成長するまでになりました。入植から129年が経過した現在も、新十津川町の人々は親しみを込めて奈良県を「母県」、十津川村を「母村」と呼んでいます。平成23年の「紀伊半島大水害」の際には、約5,000万円の義援金等で十津川村を支援し、約1,500キロもの米も届けられました。

平成29年6月20日に行われた「新十津川町開町127年・町制施行60周年記念式典」には、荒井奈良県知事、奈良県議会議員団と更谷十津川村長も出席。新十津川町の熊田町長は、「不撓不屈、質実剛健、一致団結の三つが合わさっての十津川魂を、これからも受け継いで頑張っていきたい」と、その思いを語りました。

未曾有の大水害という悲劇をきっかけに分かれ、奈良と北海道という異なる土地で生きることになった十津川の人たち。しかし「不撓不屈」「質実剛健」「一致団結」を合言葉に体現される十津川魂は遠く離れても薄まることはなく、今なお、お互いの地を思い合い、支え合い、共に行き来しながら暮らしています。

そんな母の村、子の町を束ねるそれぞれの首長おふたりにお話を伺うと、そこには地方の町村がこれからの時代を生き抜いていくひとつのヒントになるかもしれない、地域同士の豊かな関係性がありました。

130年後も続く、人々の交流

–まず、村と町、現在どのような交流が行われているのか教えていただけますか?

更谷村長:明治22年の大水害で村が壊滅状態になった時に、約2,500人が移住しました。それから129年が経つのですが、以降、新十津川の方々は「開町記念式」を毎年行っていらっしゃるんですね。「もう一年がんばろう」「先人に感謝しよう」という心持ちでされていると伺っており、私たちも必ず出席させてもらっています。

十津川村の更谷慈禧(よしき)村長

入植時2,500人だった人口は現在6,700人に増えていて、でも現在、その2,500人の血脈は全体の1割、700人なのだそうです。にも関わらず、町民の方々が「我々の生まれ在所は十津川なんだ」ということを言ってくれている。たった1割しかいないんですよ? それが本当にありがたいし、なんでそこまでしてくれるんだろう考えてみると、「開町記念式」を中心に、毎年昔を思い続けて伝え続けてきたことがこの絆をつくってきたのではないかと。村長として、このことをずっと忘れてはならないと思っています。

そして平成23年、奇しくも明治の大水害と同じコースをたどった台風によって「紀伊半島大水害」が起きました。明治のときは168名が亡くなって、今回も7名が亡くなり、未だ6名が行方不明です。しかしこの水害によって、私たちは村内のみならず、新十津川の方々との絆も改めて感じることになりました。

義援金という形で町から5,000万円という支援をいただいた上に、住民の方たちが自主的に集めてくださったお金を3,000万円もいただいた。血のつながりがある者は1割しかいないのに、ここまでしてくれるのかと。その関係がどれだけ強いか、痛切に感じました。

平成の合併論議があったとき、前町長さんとですが、「どうせ合併するなら十津川村と新十津川町で合併やろう」と笑い合いました。町長も半分ずつしようと(笑)。お酒をいただきながら喋った思い出ですが、忘れないですね。そんな関係は、他にはどこにもないですよ。

熊田町長:当町も昭和30年の災害の時に、母村の方々から義援金をいただいています。お互いがお互いに対して熱い想いを持っていて、困った時には助け合う連携が自然となされる。みんなが親戚であるかのようなつながりが、脈々と受け継がれているのを感じます。

新十津川町の熊田義信町長

一昨年、奈良県の荒井知事が「開町記念式」に来てくださって、明治22年当時の知事が移住民たちに対して読まれた告諭、しかも本当に読まれた書面を出してきていただいて、読んでくださったんです。「これから行く北の大地は豊かな地だから頑張って開墾しなさい」「別れは辛いけれど一致団結して頑張れ」といった内容なのですが、先人たちも、この告諭をひとつの糧に大変な開墾に勢力を尽くされたのではないかと思い、とても感慨深かったです。

–子どもたちがお互いの町村のことを学ぶ機会などはあるのですか?

更谷村長:うちの中学校の修学旅行の行き先は新十津川町です。中学1年生になると全員が参加しますし、新十津川町からも来てくれています。

熊田町長:うちは全員じゃありませんが、5年生と中学1年生が行かせていただいています。普段は北海道の平地に住んでいますから、当時の水害の写真を見ても、どんなところでそれが起こったのか、なかなか想像ができないんですね。でも、険しい山々、美しい景色、よくしてくれる母村の人々、神秘的な玉置神社。町のルーツ、村のルーツを職員さんにお世話になりながら肌で感じてくるんです。

更谷村長:子どもだけじゃなくて、20代30代の青年たちも必ず1年交代で交流しています。役場職員や地域支援員なんかも行き来します。交流を通じて結婚した子もいるんですよ。新十津川に嫁にとられたんです。だからこっちも「あっちからも連れて来い」と言ってる(笑)。新十津川ってね、もう本当に親戚なんです。心を開いてしまうんです。

熊田町長:うちは本家に行く感じです(笑)。
更谷村長:分家の方が栄えとるんですよ(笑)。

見据える、これからの十津川

–全国的な人口減により、十津川村も新十津川町も例外なく少子高齢化が進んでいます。外からの移住・定住を促すために、どのようなことをお考えですか?

熊田町長:外から人がやって来たくなるためには、まず新十津川の人たちが「住んでいてよかった」と思えていることが大事だと思うんですね。そのために、高齢者のことはもちろんですが、未来を見据えて「子育て支援」と「教育の充実」を大きな柱に据えた総合計画づくりを進めています。

これは母村の、文武両道の精神に倣ったものです。医療費の助成や遊び場の整備など、子育てしやすい環境をつくっていき、些細なことかもしれませんが、行き来する人たち同士が挨拶し合える町にしていきたいと思っています。

見渡す限りに田んぼが広がる新十津川町

更谷村長:うちの十津川高校は一昨年の入学者が25名だったんです。この学校がなくなる時が、村もなくなる時だと私は思っています。だからこそ、村の中はもちろん、外からも生徒が来てくれるような場所にしなきゃいけない。

ICTの導入なども視野に入れながら、先生方にプロジェクトチームを組んで進めてもらっています。コミュニティスクールじゃないけど、地域で盛り上げて、底上げしていこうとしています。そしてこの村で育った子どもたちが外に出て行っても、また帰ってきたいと思う、そんな気持ちになれる環境をつくることが私たちの務めだと思っています。

–最後に、これからの十津川を担う、それぞれの町村の子どもたちに伝えたいメッセージがあればお願いします。

熊田町長:新十津川という町が今は当たり前に存在しているけれど、それは先人たちが並々ならぬ苦労をしてくれたおかげだということを忘れないでほしいと思います。他府県から来た人たちもたくさん暮らしているけれど、母村があるから新十津川がある。129年育んできたこの縁を、ぜひみなさんも年輪のように育てていってください。

更谷村長:どう伝えたらいいか、難しいけれど、今住んでいる我々はやっぱり村が好きなんです。なんで好きになったんだろうと考えていくと、やっぱり新十津川があったり、水害があって大変な苦労をして「それでも自分たちでつくりあげてきたんだよ」というような話をずっと聞いたり、体感したりを積み上げて、だんだん好きになってきたんだと思う。そうして私たちが体験させてもらったことを、みなさんにも体験してほしいと思います。

そのために私たちがしなきゃいけないことは一生懸命します。先人から受け継いだものを残していくことが、次の世代が十津川を好きだと思える、外に出ても惚れ直すことにつながるような気がします。そんなことを、頭の片隅に置いておいてもらえたらと思います。なんともまとまりませんけれど、「いつでも帰ってこいよ〜」、そういう気持ちです(笑)。

Writer|執筆者

赤司 研介Akashi Kensuke

合同会社imato代表。編集者/ライター。1981年、熊本県生まれ。神奈川県藤沢市で育ち、2012年に奈良県に移住。宇陀市在住。2児と2猫の父。今とつながる編集・執筆に取り組んでいる。

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