奥大和ライフジャーナルOkuyamato Life Journal

下北山村 2021.3.15 / インタビュー

下北山村で自分らしく生きるインフラをつくる。東京から移住した「ムラカラ」森田沙耶さんの挑戦。

自分らしく生きる。

それは言い換えれば、自らの評価を世間や他人に委ねるのではなく、自分自身で決めていくことであり、「幸せとはこういうもの」という社会がつくったイメージではなく、自らの心が感じる豊かさに従って生きていくこと、と言えるかもしれません。

個人的には、自分らしく生きることの重要性は2011年の東日本大震災以降により顕著に語られるようになり、多くの人が「自分らしい生き方とは?」と自らに問いかけ、模索した10年だったようにも思います。

そんな「自分らしく生きる」を後押ししようと、2020年に奥大和でビジネスを開始した東京の企業があります。それが「株式会社リヴァ(以下、リヴァ)」です。

今回は、「リヴァ」 に所属し「ムラカラ」という新規事業を立ち上げた森田沙耶さんに、下北山村で取り組む事業のこと、きっかけ、感じている可能性などについてお話を伺ってきました。

森田沙耶(もりたさや)
東京都八王子市出身。2014年、「リヴァ」に新卒入社後、「リヴァトレ市ヶ谷」にて復職・再就職コーディネーターに。2017年より下北山村プロジェクト(現:ムラカラ)のリーダーも務め、2020年に下北山村へと移住。

「リヴァ」や新規事業「ムラカラ」について教えてください

私が勤めている「リヴァ」では、「自分らしく生きるためのインフラをつくる」をビジョンに掲げ、一人でも多くの人の「自分らしい生き方」を共に探し、「何度でもチャレンジできる仕組み」を提供しようとビジネスを行っています。

2010年に創業し、現在の事業は主に4つです。うつ病の方への再発予防訓練、職場復帰・再就職支援を行う「リヴァトレ」、企業向けに休職者支援を行う「リヴァBiz」、福祉事業者の業務効率化を支援する「LACICRA(ラシクラ)」、そして2020年11月に下北山村でスタートした宿泊型転地療養サービス「ムラカラ」です。

「ムラカラ」では現在、私を含めた3人のスタッフが村へ移住し、事業にあたっています。

サービスの対象者は、うつ病などの精神疾患で休職・離職されている全国の方々。利用者さんは村内のシェアハウスでの共同生活やプロのメンタルケアなどを通じて、健康的な生活習慣と再発予防法を獲得し、対人スキルと問題解決能力を身に付けながら、多様な価値観に触れる機会を通じて生き方・働き方を再検討していきます。

都市部で自宅から通う通所型のサービスではケアしきれない、生活を丸ごと見直す機会を、日々の文脈から切り離した環境の中でつくります。

下北山村とはどういうご縁があったのですか?

村を訪ねることになったきっかけは、下北山村が主催した「奈良・下北山むらコトアカデミー」というプログラムに個人的に参加したことです。複数回の講義とワークショップ、2泊3日の現地研修を通じて、「自分と村がつながる方法」を考えるというのが「むらコト」から提示されたお題でした。

もともと地方や地域活性の取り組みに関心のあった私は、東京で復職や再就職の支援業務をする中で、利用者の方に都市部とは異なる生き方・働き方を提案できるといいなと考えていたので、講座の最終回のプレゼンテーションで、「リヴァを通じた利用者の短期宿泊プログラムを下北山村で展開してはどうか」という提案をさせていただきました。

ただ正直なところ、この時はプランを発表するために考えた企画だったので、「本当にやるかはさておき」だったんです。でも、思いがけず県の方も村の方もおもしろがってくださって、数ヶ月後には県と村と「リヴァ」とで、プランの具体化を目的とした三者協定を結ぶことになって、あっという間に実証実験をすることになりました(笑)。

実証実験はどんな内容のものだったのでしょう?

初年度こそ参加者は2名でしたが、2年目の参加者は合計9名。複合スポーツ施設の受付業務や温泉の掃除といった仕事のほか、バーベキューなどを通じて、製材所の経営者やアマゴの養殖をされているおじいさん、ゲストハウスを営む若いご夫婦など、さまざまな生き方、その価値観に触れる機会をつくることができました。

その後、プログラムは「自分自身と向き合う3週間プログラム」に発展。その間も何かと、県や村の方にご協力いただき、個人としても、会社としても、力強く背中を押していただきました。

「ムラカラ」の状況について教えていただけますか?

正式リリースを行った2020年11月から現在に至るまで5名の方がサービスを利用してくださっていて、そのうち2名が、街とは異なる暮らしに豊かさを感じ、村への移住も検討されています。

また、宿泊棟の掃除や参加者の夕食を作るお仕事は、地元の方に携わっていただいています。そのなかで、地域の食文化のことや、この土地での生活の様子について話してくださったり、温かく利用者さんと関わってくださっています。

村に移住されて、森田さん自身にも変化はありましたか?

私自身、下北山村に通うようになって4年、暮らしはじめて半年が経ちますが、知り合いが増えて、なんだか大きな家族の一員になったような感覚でいます。

東京では、大半の人が自分の住んでいる地域に誰が住んでいるのかわからないまま暮らしていますよね? 会いたい人には会いにいかなければ出会えません。でも、こちらでは住んでいる場所に知り合いがたくさんいる。その安心感はすごいです。

今後はどのような展望を描いていらっしゃいますか?

当面は事業を軌道に乗せることが目標ですが、ゆくゆくは生産活動をやっていきたいです。

畑を借りているのですが、野菜を育てるだけじゃなく、商品にして、販売して、下北山村の発信の一端を担えるようになりたいですね。 その結果、地元の人の新たな雇用につなげたり、「ムラカラ」の対象者ではなくても、生きにくさを抱える人や障がいのある人の居場所をつくったりできたら良いなとも思っています。

新型コロナウイルスの影響もあって、村の方々に気軽に会いに行けないのがもどかしい状況ではあるのですが、あせらず、しっかり、村の方々も利用者の方も、私たちもうれしい事業展開をしていけるよう、これからもがんばっていきたいと思います。

——(インタビューここまで)—————-

下北山村は、奈良や大阪といった都市部から車でおよそ3時間のところ、奥大和の中でも最も奥の奥、大自然のただ中にある人口約800人の村です。もちろん電車なんて通っていません。

それは一般的には「不便」と語られますが、人々が世界中とオンラインで瞬時に接続できてしまう現代において「気軽につながれない」という土地の立地は、反対から見ればとても貴重な存在。都市部での生活の中、さまざまな理由で心身を傷めてしまった人たちが、物理的に俗世を離れ、自然を感覚しながら自分自身に集中し、村の人々との交流を通じて安心を得て、“回復”するにはうってつけの場所なのです。

一人の女性の小さなアクションから生まれた「ムラカラ」は、人々との巡り合わせと土地の力を借りて、「村への関係者を増やす」「人々の回復を促す」「地域に雇用の場を生む」という可能性を秘めた事業に育ちはじめています。

もし、あなたの身近に都市部の生活で心身を傷めている人がいらっしゃったら、「ムラカラ」のことを話してみてあげてください。その小さなアクションが、その人の「自分らしく生きる」を後押しするかもしれません。

Writer|執筆者

赤司 研介Akashi Kensuke

合同会社imato代表。編集者/ライター。1981年、熊本県生まれ。神奈川県藤沢市で育ち、2012年に奈良県に移住。宇陀市在住。2児と2猫の父。今とつながる編集・執筆に取り組んでいる。

関連する記事