生まれ育った高取町でまちづくりを。「有限会社ポニーの里ファーム」明見美代子さんが描き続ける、「地域で共に生きる」ということ。
※本記事は高取町のWebメディア「和になる高取」(2023年に閉鎖)から転載しました
写真・文=百々弥薫(irotoridori photo works)
高取町の南西に位置する丹生谷(にうだに)で生まれ育った明見美代子さんは、19歳から50歳まで高取町役場に勤務し、二人の娘さんの子育てを経て、現在も夫の健治さんと高取町で暮らしています。
美代子さんは1995年から健治さんと共に、「ノーマライゼーション」(高齢者や障害者などを施設に隔離せず、健常者と一緒に助け合いながら暮らしていくのが正常な社会のあり方であるとする考え方)な社会を目指し、「NPO法人ポニーの里をつくろう会(以下、ポニーの里をつくろう会)」の活動をスタート。障害者乗馬・在宅介護支援事業・デイサービス・居宅介護支援・生活援助・身体介護・就労継続支援B型といった福祉事業を通じて、地域づくりを続けてきました。
現在は、若者の居場所づくりや就労支援を行う「一般社団法人なら人材育成協会」と高齢者への訪問介護を行う「株式会社ゆいまーる奈良」の代表、「ポニーの里をつくろう会」の副会長、農業生産法人「有限会社ポニーの里ファーム」の代表という4つの団体・役職を兼務。
支援が必要な人、生きづらさを抱えている人、制度のはざまで困っている方やその子どもたちを地域や社会とつなぐ活動に取り組むほか、農業法人として障害者や高齢者の「地域交流」や「仕事づくり」を目指して事業を展開しています。
「障害がある人もない人も地域で一緒に生きよう」という思いで、ありのままを受け入れて、つながりや触れ合いを増やしていきたい。今はその人それぞれの必要性に応じて包括的な取り組みをしたり、課題別に取り組んだりといろいろやっています。公的な制度にのっからない部分も、自分たちの動きによってつなげることができると思っています。
原点は夫婦と地元住民で始めた「乗馬セラピー」
28年前、美代子さんが夫婦でテレビを見ていたとき、東京にある「ハーモニーセンター」での障害者乗馬の様子が映し出されました。その姿を見て、夫の健治さんが「これだ!」と直感。夫婦で東京を訪ね、そこでの情報と経験を持ち帰ったのが「乗馬セラピー」の始まりでした。
当時、夫が仕事を辞めて、まちづくりの一貫として、居場所がある人もない人も含めた交流の場として「ポニーの里をつくろう会」を立ち上げたんです。最初はリサイクルショップで啓発活動をしたり、資金集めをしたりしていました。
会が発足して3年目、地元の人の賛同により約3000平米の開拓された山林を無償で借り受けることができ、多くのボランティアの協力を得て乗馬センターを開設。5年目には、補助金を活用して「アニマルセラピー」の事業を開始しました。
牧場ができてからは、そこが障害のある子とお母さんたちの居場所になり、私も毎週土日に通うようになって、だんだんと私の方が楽しくなっていきましたね(笑)。
同時に、ボランティアの方や障害のある子どものお母さんたちに対してヘルパー資格の取得をサポートし、高齢者の訪問介護事業をスタート。また、「障害者にもキャンプができる環境を」と考え、主婦や学生、その他ボランティアの人々にも声をかけてキャンプ事業にも着手。だんだんと若い世代も集まるようになっていきました。
このようにして、美代子さんは人を通じて社会の課題に気付くたび、「ああ、これではダメ。なんとかしなきゃ」と事業を広げてきました。うまくいかなかったことも多々あったそうですが、経験を重ねるうちに、さまざまなことを前向きに受け取れるようになったといいます。
同じように過ごしていても、障害のある子はもちろん、お母さんたちもスタッフもそれぞれいろんな人生を抱えていて、みんな価値観は同じじゃない。
うまくいかないことがあっても「裏切られた!」とか思うんじゃなくて、「それぞれ違うんだからしょうがない」とか、「そのときはエネルギーが足りなかったんだよね」とか、いろんな受け止め方ができるようになったことは大きな学びだった、と今は言える(笑) 。
自分たちの子どもが寂しがったりすねたりすることもあったし、泣いたり笑ったりしながら、今思うと全部楽しかったですね。
生きづらさの中で気づいた福祉の楽しさ
なぜ美代子さんは、こんなにもたくさんの事業に取り組むのでしょうか。その衝動の源泉には、「恵まれているとは言えなかった」という幼少期の家庭環境と、「生きづらかったという感覚があるのかもしれない」と、美代子さんは話します。
我ながらめちゃくちゃあかんたれ(意気地がない)で、人見知りやし、人前で話せないタイプでした。勉強もできない、みんなについていけない。落ち着きがなかったり、すごく不安になったり。学校はすごく緊張するから自分の居場所じゃないし、かといって家もそんなに居心地はよくなかったのでどこも行くところがないような、そんな感じやったと思う(笑)。
高校生になってもその生きづらさは解消されず、短大に進学し保育士を目指すも挫折。2〜3ヶ月家にこもった時期もあったそうです。その後、老人介護施設に就職、数ヶ月後には公務員として学童保育で働くことになりましたが、その間もさまざまな活動をしてきたといいます。
18歳の頃から、地元の荒れている中学生たちを集めて勉強を教えたり、ボランティアで障害者の介護をしたり、脳性麻痺の人の自立をお手伝いしたり。当時まだ制度が整っていない中で、そういうことをするのがすごく楽しかった。
介護もしたことないから、「ごめ〜ん」て謝りながら、腰も痛かったりするんだけど、そのコミュニティ・空間がゆったりしていて、あくせく生産性を求められる世間の価値観とは違うものがあって、この人たちにとっての「生きる」ってなんだろうってすごく考えさせられたし、大切なことを教えてもらったような気がします。
当時は今から約40年前。障害者を守る法律や福祉の制度はほとんどなく、障害者が生きていける地域のあり方を考える人や団体による活動が全国的に広がり始めた頃でした。
「難しいことはわからないけど、障害がある人たちといるとワクワクして楽しいねん!」って言っていたら、どこかから呼ばれるようになったり、ご縁がつながったり。いろんな人たちに出会ったり、支援をさせてもらったりしたことで、自分の親のことも理解できるようになって、だんだん自分が不幸だと思わなくなってきた気がする。当時の出来事や経験は、今でも悩んだときの考える根っこになってます。
核家族化が進んだことや福祉サービスが充実したことで、昔ながらの地域のつながりも失われつつある昨今、それでも美代子さんは、「どんな人でも受け入れてくれる社会」にこだわりたいと語ります。
みんなそれぞれ価値観は違うもの。全部一緒にやろうではなくて、価値観の交わるポイントで一緒になったらいいし、それぞれ得意なところで、適材適所でいいんちゃうかなぁと思ってます。
正しい・正しくないは時代ごとに変わる。まず自分が柔軟であることは大事にして、みんなから学んで自分をアップデートしていくことがきっと生きやすさにつながるはず。私が認知症になって人格が変わっても、「またこんなこと言ってるわぁ、わはは!(笑)」と笑ってくれる社会になってほしいなと思いますね。
あったかいまち高取町でのこれから
そんな美代子さんにとって、生まれ育った高取町とはどんなまちなのでしょうか?
みんなお祭り好きで、イベントもけっこうあります。町内にも福祉事業所が多いから、高齢であったり生きづらさや障害を抱えていても認めてくれるようなやさしいところがあるんだろうなと思います。シニアが元気で、70〜80代でも現役で町のためにとがんばってるから、「私らもがんばらな!」と刺激にもなる。利便性がありながら、人のあたたかみも感じられる。若い世代も暮らしやすいんじゃないかなと思います。
最後に、これからのことを聞かせていただきました。
制度のはざまで困っている人たちがまだまだいっぱいいるので、私たちの所だけじゃなくて、うちのような活動をみんなができるように広げていけたらいいですね。合う合わないもあるから、うちだけじゃなくて、いろんなところに受け皿があったらよりいいなと。お母さんたちも含めて、みんな元気になってもらわないとね!
あとは「ポニーの里ファーム」の経営をきちんと安定させて、ほんまに雇用を生み出したい。そこで、仕事できる人もできない人も、社会の一員として一緒に支え合っていく存在としてできることをいっぱい考えていきたいし、作っていきたい。福祉ではなく、地域の農業法人の中に障害がある人やいろんなメンバーがいる。そういう「ポニーの里ファーム」が伝えられることってたくさんあるんじゃないかと思っています
さまざまな変化が求められるこの時代。人と人はもちろん、企業と企業、団体やグループ同士が手を取りあって情報や知恵を分かち合い協力し合うことで、救われる人たち、救われる子どもたちが増えていくのかもしれません。
美代子さんの活動は、これからも変化し続けていきながら、変わらない想いと共に地域や社会への希望のメッセージとして響き渡っていくのでしょう。
私個人は、いまだに何がしたいか分からない(笑)。そのときに赴くままに。人が面白いから、人が変われるきっかけづくりを面白がっているのかな。
Writer|執筆者
1986年、三重県生まれ、高取町在住。地域情報誌の営業と編集に携わる。2011年に結婚・出産し、2017年に川上村に移住。子育ての傍ら、人が自分らしく生きることを応援する活動をスタート。