山形生まれ・調理担当の私と、東京生まれ・農業担当の夫とふたり、高取町で小さな点心カフェをしています。
関西に親戚がいる訳でもなく、友人知人もいない。それぞれに「農業しながらカフェをしたい」という同じ夢を持った私たちが奈良県で出会ったのは、まったくの偶然でした。
しばらくは明日香村のアパートに住みながら、飲食店のできそうな一軒家を探していましたが、なかなか難しく……。明日香村のおとなり、高取町に越してきたのは、物件探しの間にご縁があったからでした。
明日香村で物件を探していたときとは違い、予備知識も特にないままポンと移住したこの高取町は、なんとなく「商業の町」、そして「お城」というふたつの印象しかなく。
今もお世話になっている明日香村の畑のお師匠様は、「昔は買い物の用事があると高取へ行ったものだ」と仰っていたので、余計に「明日香=農業」「高取=商業」という二項対立のようなイメージがありました。
実際に暮らしてみてからも、お店が土佐街道の側に位置しているため、「高取町=高取城」というイメージが強く、もう少し生活史のようなものが知りたいな、と思っていたときに古本のネットショップで見つけたのが、昭和39年発行の『高取町史』でした
早速購入し、ぱらぱらとページをめくってみると、武家様が多かったということもあり、なかなかにおどろおどろしいお話も多く、また「武家特有の言葉遣いが偉そうで嫌」という愚痴など、クスッとするような昔話も書いてあります。
私自身、実家から徒歩10分ほどのところに城址がある程度には城下町の生まれなのですが、豪雪地帯のせいか、あまり土佐街道のような古い建物は残っていません。
土佐街道が通る、特に「上土佐」と呼ばれる大字(おおあざ|江戸時代の村を継承した範囲・地名)は高取藩の御用商人としての商家屋敷が多く、城中はもちろん近くの村里との取引きもあったそうです。当時は牛馬に荷を引かせているため、そういった商家の門柱には、車止めならぬ、縄をくくりつけるための牛馬つなぎの金具があるとのこと。
これを機会にさっそく脚をのばしてみれば、ひとつだけ、「金剛力酒造」さんの門柱に、確かに鉄輪がありました。
明治政府によって行われた廃藩置県により職を失ったのは士族だけでなく商家もそうだったようで、いわゆる御用商人町であった上土佐は廃藩を期に、商売替えや移住者の転出入が激しくなったそうです。その間に建物の建て替えも広範囲で行われ、町並みには大きな変化があったとのこと。その時期に、あちこちにあった牛馬止めも消えていったのでしょうか。
土佐街道は、ハイキングなどで高取城跡へ向かう人々が多い通りではありますが、いかにも観光向けに整った町並みではなく、むしろ現代的な住宅の割合の方が多いように見えます。
そしてもちろん、そのほとんどが現在も住居として使われている。この風景、古いものと新しいものが多層的に同じ空間にあり、現在が長い歴史の流れと地続きにあることを、こういった定型的な言葉以上に肌でしっかり感じられることが、奈良らしさかと思います。
「土佐街道」という名前すら、なんと1000年以上前に、土佐国から労役にかり出された人たちが住み着いた(しかも帰れなかった!)ことに由来するのですから、時間の地層の分厚さに驚かされるばかりです。
土佐街道から高取城方面を見上げれば、山の緑のなかに壷阪寺の大きな観音様の立ち姿がぽっと白く光るようにあります。
ちなみに往時の高取城は白く見事な城だったらしく
『土佐の城見て雪やとおしや あれが雪かよ土佐の城』
という歌も詠まれたそうです。10kmほど離れた大和高田の辺りから帰路の目印にするほどだったということなので、相当目立ったのでしょう。
畑からの帰りがけに土佐街道を高取城方面へと走る際、私にとっては、壷阪寺の観音様がそのような感覚で、春は桜に、秋は紅葉に包まれてそこにある白い立ち姿にほっとするとは大袈裟かもしれませんが、「ああ今日も見えるな」という安心感があるのです。
また、高取町に来てひとつ驚いたことがありました。
古墳にキャンドルを並べたり、「天皇さん」というお祭りがあったり……。奈良で暮らしていると、東北生まれの私にとっては「そんなことしていいの!?」と思うようなことが当然のようにあります。
特に「天皇さん」というお祭りの名前はなんともミステリアスで気になったものの、実際に訪ねるには少し離れた大字だったこともあり、不思議だなと思っただけでそのままにしていたのですが、今回、執筆のお話をいただくにあたり「何か高取町に住んでみて気になることはありますか?」と聞かれたときに、ふっと、この「天皇さん」というお祭りのことを思い出しました。
地図を見ながら開催地である上子嶋神社へ行ってみたところ、土佐街道よりも明日香寄り、田畑を見下ろすような少し小高い山林に、静かに埋もれるようにしてお社がありました。
明日香村の地名の由来を特集した冊子を開いてみたのですが、高取町の「上子島」と接する明日香村の大字阿部山の小字(こあざ|大字よりもさらに細かく分けた区域のこと)に、「天皇」「天皇台」「天皇下」というものがあったそうで、こちらでは高取町上子島のお宮さんを「天王神社」と呼んでいたことが書かれています。
上子嶋神社へ登る坂道からは畝傍山がよく見えました。しかし、明日香村のキトラ古墳は間近に目視できるほどでもなく、何を指して「天皇」という呼称をつけたのはわかりません。しかし、よく考えてみれば、逆に何を指しているのかわからない程に「由来」に溢れている時点で、すごい土地に越してきたなと思うのでした。
古い高取史にも、上子嶋神社の項がありました。住所を「大字上子島、小字天皇」とあります。現在は大字上子島と番地の数字で表記されるので、インターネットで少し調べた程度ではこの名称の由来はわからなかったでしょう。
「天皇さん」というミステリアスなお祭りの名前の由来は、おそらく昔使われていた小字に由来するようでした。しかし、「ただの地名でガッカリ!」という訳ではなく、昔の地名が消え、それに由来した名称だけが宙に浮いているという情景には、やはり謎めいたロマンを感じます。
以前、私がまだ他県からの旅行者だった頃、奈良のお土産やさんで「石舞台古墳の上に乗ったことがある」という昔話を聞いたことがありました。
天皇という言葉ひとつで、近づきがたい、触れてはいけないものに思える私と違って、遙か昔の偉い人と今の毎日の生活が地続きになっている。東の生まれの感覚とは違う、独特の身近さがあるような。
そんな小さな「おもしろい!」を拾い集めながら、私は日々、高取町に暮らしています。
Writer|執筆者
山形県生まれ。農業研修のために移住した奈良で、同じ夢を持つ夫と出会う。高取町にて2019年「点心カフェ 花水土香」をオープン。春から秋は点心作り、冬から春はいちご農家として暮らしている。