奥大和ライフジャーナルOkuyamato Life Journal

宇陀市 2020.3.30 / コラム

小さな農村で、すべてを大事に生きる 

写真・文=赤司研介(SlowCulture
協力=阿南誠子(さとびごころ

「ほんなら、あんじょうよろしゅうたのむでぇ、へへへへへ」

御歳81歳。同じ集落で暮らす北中のおっちゃんは、何か言い終わった後に「へへへ」と笑う癖がある。僕は、おっちゃんが笑うと、つられて笑ってしまう。一緒になって「へへへ」と笑う。

そのとき、不思議と少し心が解けるのを感じる。少し優しい気持ちになっている。

ねじり鉢巻がよく似合う

おっちゃんは働き者だ。

15歳から大工の修行を始め、20歳で独立。73歳で引退するまで、宇陀市内はもちろん、お隣の名張市や桜井市などで家を建ててこられた。53年という歳月の中で棟上げした家は100を下らないという。

村の観音さんの小屋を建てる若かりし頃のおっちゃん

村内を歩けば、おっちゃんが建てたお宅があちらこちらにある。どこも立派で、里山の風景に馴染む、美しい姿をしている。

おっちゃんの家の天井。その職人仕事のすごさに圧倒されずにはいられない

ふと、「そもそも大工に引退ってあるのか?」と思い、「今、誰かから『家を建ててよ』って頼まれたら、できるんですか?」と聞いてみた。

「そらできるでぇ。でも今は百姓で忙しいし、『若い人に頼んでよ』と言っとんねん。へへへ」

その言葉通り、大工を引退後、おっちゃんの仕事は百姓になった。今もおばちゃんと二人三脚で、畑8反、田んぼ6反を毎日管理している。

出会うといつも、さらっと大事なことを教えてくれるおばちゃん

ほうれん草、小松菜、水菜、大根、キャベツ、白菜、えんどう、やまいも、ごぼう、大豆、小豆、南京、冬瓜、スイカ、唐辛子、トマト、きゅうり、なす、とうもろこし、かぶら・・・。本人もすぐには思い出せないくらいたくさんの野菜をつくり、農協に出荷している。

暖かい時期の朝、僕がたまに幼い我が子たちをバス停まで送って行くと、トレードマークのねじり鉢巻を頭に巻いて、軽トラックで畑に向かうおっちゃんとすれ違う。

僕は、もしも「ねじり鉢巻選手権」なるものがあったとしたら、おっちゃんが日本一になるだろうと思っている。漫画のキャラクターみたいに、本当によく似合っているのだ。

餅つきの時もねじり鉢巻

飲んで歌って、笑う

おっちゃんは酒飲みだ。

日本酒も焼酎もビールも、まるで水のように飲む。神事や行事ごとの後には、供物のお下がりを村のみんなで分け合う「直会(なおらい)」が開かれるのだが、いつも顔を真っ赤にして、「のんどるけ?」と笑顔で酒を注いでくれる。

そして特に気持ちが高揚したときには、部屋の前の方につかつかと歩いて行って、おもむろに歌いだすのである。

もちろん、昭和のはじめに生まれたおっちゃんが歌うのは、流行りの「ポップス」などではない。「演歌」でもない。平成も終わりを告げ、令和となったこの時代、耳にすることが本当に少なくなった「民謡」なのである。昔は棟上げをすると、必ず夜が明けるまで、食べて飲んで歌っていたそうだ。

「あれは〜いせ〜、これは〜いせ〜、そら〜よ〜いとせ〜♪」

おっちゃんの「伊勢音頭」や「ソーラン節」が始まると、手拍子が起こり、「よ!」とか、「は〜よいしょ〜よいしょ!」といった合いの手が入れられる。どこからともなく笑い声が上がる。気がつけばみんな笑っている。そんな力が、おっちゃんの歌には秘められている。

毎日やることがある幸せ

一昨年の秋から昨年の秋まで、僕とおっちゃんは、一年間、神社のお世話をする役をいただいた。

行事の準備や月に一度のお掃除など、さまざま一緒にさせていただくのだが、都会から移住して経験の浅い若輩者(僕)は、いろんなことに気が利かず、いつもおっちゃんを働かせてしまう。

一昨年末、神社の大掃除のときには、身の丈をゆうに超えるハシゴを担ぎ、奥さんが止めるのも聞かずに、腰にくるくる命綱を巻いて屋根に上がり、ブロワーで枯葉を落としてまわっていた。

正月の準備となれば、その辺から竹・松・笹・南天を切ってきて、藁を集めてしめ縄を編んで、ささっと門松をつくってしまう。

日がな一日農作業をして、合間に薪割りもする。

「やることがいっぱいで忙がしぃてな。全然家が片付かんねん。へへへ」。

田舎の暮らしは、都会とはまた違う形で、本当に忙しい。でも、おっちゃんはそれが幸せだという。

そら街よりも、田舎でこないして思ったことして暮らしていけるのが幸せやなぁと思てまんねん。やっぱり畑も田もあったら、いろてる(触って)んが一番ええ。あれもしよう、これもしようと思うから、朝明るなったら起きていらいにいくんや。それがいらんだら起きやんと寝とるわさ。生きていこう思うたら働いていかなあかん思てな。でも、いつかは自然と働けなくなってくるわけさ。国民年金だけじゃ施設にも入られへんし、子らに迷惑かけてしまうでな、そやから、達者なあいだに、でけたら、ちょっとでもためとかなあかんと思ていろうとるわけや。へへへ。

なんでもかんでも、全部大事

「大事にしていることってありますか?」

最後にそんな質問をしてみた。おっちゃんは、「そんなん、なんでもかんでも大事にしたいと思っとるけどな」と少し困ったように答えてくれた。「全部ですか?」、そう聞くと、「全部や」とおっちゃんは頷く。

いったいどれだけの人が、この質問に対して「全部が大事」と言えるだろう。「家族」とか、「働くこと」とか、いくらでも選択肢がある中で、「全部」という言葉は、日頃から心に持っていないと出てこないものだと思う。

自分の周りのすべての人、すべてのものごと、すべての瞬間を大事に生きる。つくって、歌って、笑って生きる。僕もそんな風にありたいと、大先輩の「へへへ」に思う。

Writer|執筆者

赤司 研介Akashi Kensuke

合同会社imato代表。編集者/ライター。1981年、熊本県生まれ。神奈川県藤沢市で育ち、2012年に奈良県に移住。宇陀市在住。2児と2猫の父。今とつながる編集・執筆に取り組んでいる。

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