奥大和ライフジャーナルOkuyamato Life Journal

宇陀市 2020.7.15 / コラム

僕たちが生きる「消失の時代」に、土地の文化を受け継ぐ意味。

写真・文=赤司研介SlowCulture

お母さん、忍者の草鞋(わらじ)がほしい

まもなく7歳になる息子が先日妻にそう言った。息子はなかなかの藤子不二雄フリークで、入り口はもちろん「ドラえもん」、次に「オバQ」と「パーマン」をつまみ食いして、「キテレツ大百科」に落ち着くかと思いきや、現在は「忍者ハットリくん」に大ハマり中。おもちゃの刀を常に背負い、折り紙の手裏剣を懐に隠し、「ニンニン!」が口癖だ。

そんな彼が、忍者の履物である草鞋にたどりつくのは、必然だったと言える。

しかし困った。今の村に住んで8年目。手探りで畑はしているものの、いまだ米作りにまで到達できていない我が家には藁なんてない。そもそもあっても作れない。作り方がわからない。

お習字の先生が作れるかもしれないから、聞きに行ってみようか。

妻と息子は、家から歩いて3分ほどのご近所のお宅を訪ねて行った。そして1時間ほど経って帰ってきた息子の手には、綺麗に綯(な)われた藁縄が握られていた。

先生、縄つくるのめっちゃうまいね!

いただいた藁の束を抱えた妻は、興奮を隠せない様子だった。妻によれば、先生はこんな感じで言っていたらしい。

雨の日はね、縄を作るのが農家の仕事やったんよ。子どもたちもそれを手伝って。こうすんねんでって教わったわけでもないし、生活の中でやってたから、どうやってるのかって聞かれても、おばちゃんよう説明できへんわ。 やってるの真似して覚えていって(笑)

昨年、神社の頭屋をさせていただいたときに、村のおっちゃんからしめ縄の綯い方を教わっていた僕は、その手作業の美しさを知っている。動きにムダがなくて、滑らかで、自然。その姿は一言で言うと、超カッコイイのだ。

そこから家族4人で草鞋のための縄づくりが始まった。おっちゃんから先んじて技術を受け継いでいる僕は、「こうやんねんで」と子どもらに綯って見せる。







最初はなかなかうまくできない子どもたちも、数を重ねるたびに段々と上手くなる。真剣に、でも楽しそうに、縄を綯う彼・彼女らの様子を見て、僕は誇らしい気持ちだった。

      

おっちゃんから僕へ、おばちゃんから妻へ。そして子どもたちへ。

この土地で、人から人へ、連綿と受け継がれてきた生活の技術が、今、我が子のもとへ届いている。この土地になんの縁もなかった僕たち家族が、村の方々に受け入れてもらって、その一員として、この村の営みを引き継いでいる。それは何とも言えずありがたいし、誇らしいことだと思う。

少しずつ上手くなることが嬉しくてたまらない子どもたちは、「はい、もう終わり」と言っても、「もう一本だけ!」と延長戦をお願いしてくる。そりゃそうだ。できるようになるのって、大人だって楽しいのだから。

 

そんな子どもたちを眺めながら、妻は言った。

私たちが草鞋を作りたいなんて言わなかったら、先生が受け継いだものは、途切れてしまったかもしれないんやな。それってすごいことやんな。

本当にそう思う。これは、ここに人が住むようになった頃から、ずっと受け継がれてきている、人間が生きるための技術なのだから。

先日お会いした方が言っていた。「失われたら取り返しがつかない気がする」って。どうしたって失われてしまうことはある。失われるのは必要とする人が少ないないからだ、とも言える。でも今、僕たちはまさに、さまざまなものが「消失する」瞬間に立ち会っている。

それは文化だったり、技術だったり、歴史だったり、信仰だったり、命だったりする。

都市で暮らしていると実感しづらいけれど、実はすべてがつながっている。何かひとつが失われたら、必ずどこかに影響する。僕たちは、その失われていくものが担っていた価値を、本当に知っているのだろうか。

経済成長を最優先し、都市に人口を集中させた結果、ここ数十年の間に一気に核家族化が進んだ。そのことによって、生活の中にあった伝承の機会が損なわれてしまった。

これまで失われたことのないものが、僕たちの時代にいよいよ失われようとしている。今、僕たちが受け継がなかったら、伝承が途切れ、その価値は忘れ去られ、「なかったこと」になってしまう。本当にそれでいいのだろうか。

気がつけば、僕はこの村でたくさんのものを受け継いでいる。その価値を、その意味を、僕なりに、子どもたちや世間に伝えていこうと思う。彼らが大人になったとき、そこに価値を感じるかは彼らが決めたらいい。受け継がなくたっていい。

「未来」なんてつくれない。僕たちには「今」しかない。
「今」を積み上げた先に、「未来」は自然に現れてくるものだから。

僕には僕にできることを。
あなたにはあなたにできることを。
今、それぞれの場所で。

Writer|執筆者

赤司 研介Akashi Kensuke

合同会社imato代表。編集者/ライター。1981年、熊本県生まれ。神奈川県藤沢市で育ち、2012年に奈良県に移住。宇陀市在住。2児と2猫の父。今とつながる編集・執筆に取り組んでいる。

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