奥大和ライフジャーナルOkuyamato Life Journal

宇陀市 2020.8.3 / コラム

開業から65年。「肉のササオカ」が教えてくれる、“今ここにある暮らし”の味わい方

文=大窪宏美(cafe equbo*)
写真=大窪宏美・赤司研介(SlowCulture)

何をするんでも、心底惚れ込まなあかん。目標があってもなくても、好っきゃないと続かへんからな。

そう話してくれたのは「肉のササオカ」の店主・佐々岡義廣さん。トレードマークの帽子をきゅっと斜めにかぶった姿は、大宇陀の町の名物です。

質と鮮度にこだわったお肉の味は折り紙付きで、そのおいしさと佐々岡さんの人柄に惹かれ、遠方から訪れるファンも少なくありません。

兼業農家である私の父が水産関係のサラリーマンということもあり、普段は野菜と魚中心の我が家の食卓ですが、連休や誕生日など家族が集まるちょっと特別な日には「ササオカのおっちゃんとこ行こうか」というのが最近のお決まりです。

分厚い日除けをくぐり、アルミ製の引き戸に手を掛ければ、「カラカラ」と軽快に鳴る戸車の音。その先で、佐々岡夫妻の明るい声が「いらっしゃい」と迎えてくれます。

大きな冷蔵庫から現れる、これまた大きなお肉のかたまり。

ええの切っとくわ。うまいでぇ。

佐々岡さんはそう言って、迷いのない手つきで切り分けてくれます。
店内に響く振り子時計の音は、さながら老舗の純喫茶のよう。

無口なマスターが挽きたての珈琲豆に細くお湯を注ぐのを、カウンター越しにじっと見つめるような気持ちで、熟練の包丁さばきに見惚れるひとときも「肉のササオカ」の味わいのうちです。

普段の生活では、お肉は小さな切り身になってから目にすることがほとんどだから、天井から吊られた立派な枝肉を切り分けているシーンを目の当たりにすると、なんだかハッとするような気持ちになり、命をいただくのだという実感が自然に湧いてきます。

美しくサシの入った焼肉用やすき焼き用はもちろんのこと、お客の顔を見てから挽いてくれる合挽きミンチも、パック詰めされ冷蔵ケースに並んでいるものとでは、色も香りもまるで違います。

ミートソースにすれば必要以上にしつこくならず、お鍋には余分な脂が浮きません。ハンバーグなら、ふっくらジューシーに焼きあがってパサつかず、下味の塩胡椒だけで充分においしいので、まずはお肉自身の旨味を堪能するべくソースなしでいただきます。

何度か訪れるうちに好みを憶えてくれていて、おすすめを用意してくれることもしばしば。「ねぇちゃんとこやったら、こんなんがええやろ」という具合に声をかけてもらうと、ホクホクとあたたかい気持ちになります。

「お父さんも中学校の帰り道に、おつかいでササオカのおっちゃんのとこ寄ったことあるわ」というのはもうすぐ70歳になる父の言葉。その一言だけでも、佐々岡さんが一代で築いてきたお店の歴史の長さに驚かされます。

その父が生まれるとき、産気づいた祖母に頼まれ産婆さんを呼びに走ってくれたのが、よくお店の椅子に腰かけて佐々岡さんと話し込んでいる「辰夫さんのおっちゃん」だと聞いた時は本当に驚いたし、「あんたのひいじいちゃんはな、牛ののど元のとこをちょっと触って、肉の質を見分ける仕事をしとったんや」と教えてくれたのもこの二人でした。

生まれた町に住み続けると、こんな風に思いがけず自分のルーツに触れることがあるのも一つの発見です。

おっちゃんがここで積み重ねてきた時間がぎゅっと詰まった店内

「肉のササオカ」がオープンしたのは、1955年。終戦から10年が経ち、カリフォルニアに世界初のディズニーランドが開園したのと同じ年でした。当時まだ10代だった佐々岡さんは、大阪への集団就職で技術と知識を身につけ、地元大宇陀にUターンしたそうです。

当時の松山通りはなんでも揃う商店街で、八百屋さんやお魚屋さん、映画館やビリヤード場まであったといいます。

買い物かごを片手に店から店へと行き交う人たちの姿は、いつの頃から少なくなっていったのか。今では多くのお店が看板を下ろし、その頃の面影はほとんどありません。そんな町の移り変わりを、佐々岡さんはどんな気持ちで見つめてきたのでしょうか。

60年以上やっとるけどな、やめたいと思ったことはないわ。いろんな大変なときあっても、それはない。考える暇もないほど無我夢中でやってきたな。

「65年もここでお店してるなんて、おっちゃんは町のシンボルやな」と私が言うと、「シンボルでは食っていけへんわ」と佐々岡さんは笑いました。

時代も人も変わっていって当たり前。わからん先が、おもしろいんや。

昭和、平成、令和と長きにわたり大宇陀で商店を続けてきた佐々岡さんの日々は、決して簡単に“おもしろい”と言ってしまえるものではなかったはず。これからどんな風に毎日を過ごせば、滲み出たように自然に、こんな言葉をこぼせるようになるのでしょう。

生まれ育った町の良さを言葉にするのは案外、旅先の景色を語るよりも難しいことですが、何度も足を運びたいと思わせてくれるお店の存在は、そこを訪れる人・住まう人にとって大きな魅力に違いありません。

「肉のササオカ」は私に、ここでの生活の味わい方を教えてくれます。

見慣れてしまった風景や、当たり前の毎日に散りばめられた心地良さは、日常的に語られることは少ないけれど、そういうものこそが暮らしの中の幸せの素。

私は今日もいつも通りのこの町を味わって、小さな一日を過ごします。

Writer|執筆者

大窪 宏美Okubo Hiromi

宇陀市大宇陀生まれ。花と料理が好きな母に影響を受けながら、自然に囲まれて育つ。2014年の初夏、姉と共に営むお店「cafe equbo*」をオープン。数々の出会いに恵まれて今に至る。

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