奥大和ライフジャーナルOkuyamato Life Journal

山添村 2023.2.7 / コラム

昔ながらの里山暮らし「やまぞーえ」を残したい。流れ着いたよそ者の心を掴む、個性豊かな人々との日々。

文=夏目有砂(NPO法人どうで

2007年から山添村に暮らしています。
選択してこの地へ来たというより、流れついたという感覚です。

出身は名古屋。家の周りは駐車場やマンションばかりで、土に触れることなく育ちました。

人見知りで神経質、他人のことをどこか冷めた目で見ているような子ども時代。美大へ入学するもキラキラした世界に馴染めず、逃げるように探検部というサークルに入りました。山や洞窟、無人島などを訪れるなかで、自然への憧れを抱き、自然のなかで暮らしたいと思うようになりました。

大阪郊外にある農園レストランや、大和高原の福祉施設などで勤務した後、山添村出身の友人との出会いがあり、「NPO法人どうで」を紹介してもらって見学へ行くことになったんです。

奈良の街から車で山道を登っていき40分、だんだん不安になってきた頃に「山添村」と書かれた看板が現れました。

そして、茶工場を改装したお世辞にもキレイとは言えない(笑)事務所に案内されました。

そこには、タバコを吹かしたずんぐりむっくりなおじさんが、ただ何をすることもなく座っていて、時折、地域のおじいさんやおばあさんが野菜を持ってきては、お茶を飲んで世間話をして帰って行きました。

厨房では、その野菜を使ってお母ちゃんみたいな人が皆のお昼ごはんを作っていて、ごはんを食べ終わると「そろそろ行くか」と畑へ繰り出すおじさんたち。そうかと思えば、まだお腹を出して寝ているお兄さんがいたり……嬉しそうに独り言を言っては、「がはは!」と笑っているおばちゃんがいたり……。

この人たちはいったい……。

なんて自由な人たち、なんてバラバラな人たち。
ありのまんまの人たち、別の言い方をするとクセの強い人たち(笑)。
このとき思いました。これを「個性」と言うのでは、と。

私は、その光景に心を掴まれ、不思議と居心地の良さを感じていました。そして特に面接をすることもなく「どうで」に加わることになり、いつの間にか15年が経ちました。

「どうで」とは山添村の方言で、「最近どうで?」「調子はどうで?」という相手を思いやる言葉です。

生まれつきハンディキャップがある人、心がしんどい人、事故で片足のない人。さまざまな事情を抱えた、バラバラな個性を持った人たちが、山添村という自然豊かなフィールドの中で、地域の方の協力を得ながら、「あーでもないこーでもない」「どうで~?」と言いながら、土を耕し、野菜を育て、加工品を作り、販売し、どうぶつを飼い、それぞれの能力を発揮しています。

3年前から、私は「どうで」の事業のひとつ「YAMA-ZOE やまぞーえ」を担当することになりました。「YAMA」は「山」、「ZOE」はラテン語で「暮らし」で、「YAMA-ZOE=山の暮らし」という意味です。とてもおしゃれで気に入っています(笑)。

空き店舗を活用したコワーキングスペース「大三toco(だいさんとこ)」の運営や地域活動支援など、今まで「どうで」の中だけで留まっていたことを、「やまぞーえ」では、より外の世界とつながりながら発信する役目を担っています。

これまでに地域の方から教わった蒟蒻作り、干柿作り、しめ縄作り、味噌作り、梅干し作りなど、山添村に古くから伝わる文化、昔ながらの知恵を多くの人と共有したい。そんな思いから里山体験を開催してきました。

干柿作り体験では、村のおばあさんに講師をお願いしました。有難いことに快く引き受けてくださいました。

柿の木から渋柿を「はさんばり(竹の先をVの字に割った柿を取るための道具)」で収穫する。渋柿をくるくる包丁で剥く。竹を鉈で割って籤(ひご)を作る。その籤に「2こ2こなか6つまじく(ニコニコ仲睦まじく)」、2-6-2になるように柿を刺し、吊るして干す。

山添村では「あたりまえ」の光景が、参加者の皆さんにとっては「あたりまえ」ではなく、新鮮に受け取っていただけます。

中には、干柿を食べたことのない若者がいたり、自分の子どもの頃に祖母から教わった思い出があって、それを自分の子どもにも経験させてあげたいという思いを持ったお父さん、海外で暮らしていて日本の文化を経験する機会がなかったというお姉さんも…みんな夢中になって楽しそうに参加してくださいます。

かくいう私自身もそう、山添村へ来た当初は初めての経験ばかりでした。

こんにゃく芋って初めて見た! 今の時代に薪でお風呂を炊くことがあるなんて!
しめ縄を綯(な)う仕草のなんと美しいこと! 里芋の茎って食べられるの⁉️
家の畑にシカの角が落ちてる! 夜ってこんなに暗いものなの⁉️

すべてが新鮮でした。

村に残る昔ながらの里山の暮らしを残したい。

これは、よそ者が勝手に言っている傲慢なのかもしれません。いくら素晴らしい文化であっても、日々の暮らしの一部になっていなければ、里山体験もただのイベントに過ぎません。今の暮らしの中に、それぞれのスタイルで少しでも取り入れることができたら、その技術、その営み、その風景は、残すことができるのではないかと感じています。

今の価値観に合った里山のあり方とは…… そして、それをどう発信するのか……模索しています。まずは自分が楽しむこと、自分に染み込ませることが大切なのかもしれません。

最近では東京や大阪の大学生とつながり、一緒に活動することも増えてきました。若い感性、新しい目線を活かして山の暮らし「やまぞーえ」を残していけたら、こんな素敵なことはありません。

「やまぞーえ」の事務所には、毎日いろいろな人がやって来ます。

「ねえちゃん、いつものたばこくれ(たばこ屋もしています)」」
「キウイがたくさん取れたからいらんか~?」
「前に生えてる大きな渋柿、珍しいな、挿し木で増やしたいから取らせてほしいんやけど」
「うちのばあさんが黒豆をようさん作ったから買ってくれんか?」
「あそこの家の柿を取らせてもらえないか聞いてもらえんか?」
「あんたとこの栗、今年豊作やね、はよ取らんと猪(しし)に食われんぞ」
「路の端、草まめし(草だらけ)やんか、はよ草刈りや~」

山添歴15年。学年でいうと中学3年生くらいでしょうか。まだまだ知らないことだらけです。

そんな私ではありますが「やまぞーえ」の活動のお陰で、最近になってようやく「どうで」の一員から「山添村」の一員になれたような気がしています。これからも「最近どうで?」のこころを持って、「山の暮らし、やまぞーえ」の営みを楽しみたいと思っています。

※令和5年2月現在「NPO法人どうで」は正職員やアルバイトスタッフを募集しています。「どうで」の活動に興味が湧いた方は、ぜひ「やまぞーえ」のWebサイトに掲載されている求人情報をご覧ください。

Writer|執筆者

夏目 有砂Natsume Arisa

愛知県名古屋市生まれ。2007年に山添村へ移住。「NPO法人どうで」で働きはじめ、山の暮らしを未来につなぐ「やまぞーえ」事業を中心に活動している。スローではないバタバタライフを実践中。

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