奥大和ライフジャーナルOkuyamato Life Journal

五條市 2023.8.24 / コラム

住まいと職場ともうひとつ。地元・五條市に町家を借りてみたら、チョコまみれの日々になった。

写真・文=柗本幸実

ことの始まりは2018年の夏。
住まいと職場ともうひとつ、地元に拠点がほしくなった。

奈良県西部、和歌山県と接する五條市で生まれ育ち、地元の病院に就職。小学生の頃から思い描いたリハビリテーションの仕事(作業療法士)に就く夢を実現し、「地元のじいちゃんとばあちゃんには最期までらしくあってほしい」と思いながら働いて3年目を迎えていた。

家は好きだし、職場も好きだ。生まれ育った地元で暮らせていることにも満足していた。ただ、職場と住まいの往復が1日の大半を占める生活に何か変化を生みたくなったのだ。自分の拠点があれば今より面白いことが起きる予感がして、空き家は恐らくあるだろうから、知人にどこか紹介してもらえないかお願いしてみることにした。

すると、早速市内の五條新町の中にある、大正時代前後に建てられた町家を紹介してもらえることになった。

五條新町通りの街並みは1キロ近く続く

内見も順調に進み、祖父のように温かく見守ってくれる大家さんとの契約も終え、冬のはじめには拠点ができた。

さてここを何に使おう。

当初はこれという目標も立てず、自分が機嫌よく趣味活動をする場にした。寝食の環境を整える前に一通りの文房具を揃え、持っていた本を全て運び込み、コーヒーを淹れる道具を置いた。自分が自分らしくいられる活動に没頭できる場所が欲しかったのだと思う。実際、本を読んだり、カメラの会をしたり、友人たちとごはんを食べたりした。

しばらくすると、ある変化が起きていることに気がついた。週末に町家に行くこと自体が、自分がご機嫌でいられる活動になっていたのだ。「あれ、本を読むために来たのだけど、何もしていない時間を過ごしていたな」というふうに。何もしないことをしに行ける場所があるって安心なんだと思った。

そしてもうひとつ、変化が起きた。
それまでにはなかった新しい関係性が、次々と生まれていった。

五條新町には江戸から昭和にかけての建築がたくさん残っていて、国が指定する重要伝統建造物群保存地区に登録されている。すぐ近くを流れる吉野川にはかつて船着場があり、商いが活発に行われていたそうだ。

外に出れば川の音に包まれて癒しの時間も過ごせる

今でも、江戸時代から続く造り酒屋「山本本家」さんがあったり、岡持ちをバイクにのせて、地域内に配達して回る「お食事処 山直」さんがあったりする。

清酒や柿ワインで有名な山本本家さん。甘酒も美味しい。

山直・山口さんの愛機と岡持ち

週末を過ごすためだけに五條新町で家を借りている子がいるよ。

そんな紹介文とともに、五條の同世代との接点をもらえるようになっていった。

インド刺繍で洋服を作る伊達文香さん、地元素材にこだわった日本料理を作る中谷曉人さん、故郷・オーストラリアの大切なワインを販売する飯田正豪さん。こう書いていると、皆で一緒に食事をしながら会話した場面がいくつも思い出される。五條新町で出会った皆のそれぞれの人となりが好きだ。

こちらがイトバナシの伊達文香さん(写真提供:イトバナシ)

源兵衛の料理人・中谷曉人さん(写真提供:源兵衛)

A-Tradingの飯田正豪さん(写真提供:A-Trading)

毎週末、五條新町に通い始めると五條の歴史に興味を持つようになって、数年ぶりに五條文化博物館に行ってみた。

建築家・安藤忠雄氏が設計した五條文化博物館

自分が幼少期を過ごした阿太(あだ)地区の歴史にまず驚いた。

阿太は五條市東部にあって、大淀町との境に位置する

阿太の話が、縄文・弥生時代から始まると思っていなかった。そういえば昔、小学校の校庭から遺跡が見つかったと習ったような気がする。自分が生まれるずっと前から生きてきた人たちの暮らしが積み重なって、文化や自然、建物が残っているのだなと素直に思った。

阿太を流れる吉野川。小学生のころ、毎年授業でカヌーをした

五條新町へ通い始めて1年が過ぎた頃、今につながる大きな転機があった。

五條市には1300年以上の歴史を持つ榮山寺というお寺があって、国宝に指定された八角円堂と梵鐘や、重要文化財に指定された灯籠などがある。五條市民であれば皆が知っているお寺だ。

その榮山寺で「EISANJI MEETS ART創建1300年特別記念」というイベントが開かれ、その中で行われたファッションショーの準備をお手伝いさせてもらうことになったのだ。そしてこのショーを手掛けたのが、先に書いた伊達さんが代表を務める「イトバナシ」という会社だった。

刺繍ブランド「itobanashi」のお洋服は、インドの職人さんの手仕事でできている

伊達さんも五條市の出身。イトバナシが五條新町に事務所を借りたことがきっかけで私たちは出会うことになるのだが、伊達さんは年齢が近く話しやすい、お酒を一緒に楽しく飲めるお姉さん的存在だ。この、会う頻度は多くないが気心が知れたお姉さんに「榮山寺でファッションショーをするのでちょっと手伝ってもらえないかな?」と言われた。

力になれるかはわからなかったけれど、「国宝(八角円堂)の周りでファッションショー」という言葉の響きに惹かれてお手伝いすることに決めた。何を手伝ったかと言われると、そろそろ思い出せなくなってきたけれど、ショーの終わりに伊達さんたちに続いて赤い絨毯の上を歩いたことはちゃんと覚えている。

当日はitobanashiのお洋服を纏ったモデルさんがランウェイを歩いた(写真提供:イトバナシ)

このファッションショーの後、世の中は徐々にコロナ禍になった。たまたま借りていた家が誰にも会わず生活すべき時のシェルターになろうとは思いもしなかったが、実際助かったことが何度かあった。

当時は病院で勤務していたこともあり、友人・知人と会う頻度は減る一方だったが、2021年6月、伊達さんから突然連絡が来た。

五條新町でおやつ屋さん、一緒にやらない?

驚いたけれど、一瞬、ファッションショーの情景が思い出されて、「やります!」と二つ返事でOKをした。迷いはなかった。この瞬間、私は転職を決意した。

五條新町には「餅商一ツ橋」という大正時代に創業した、焼き餅や揚げ饅頭で有名なお店があった。2018年に惜しまれつつ閉店したその跡地で、2022年の2月から始まったのが、イトバナシの新事業、カカオ豆から作るチョコレート専門店「chocobanashi」だ。

ファッションショーの2年後、仕事でチョコ作りをしているなんて全く想像していなかったが、五條新町にちょっと贅沢なおやつ文化を残したいという思いで、地元メンバーを中心に奮闘している。

「餅商一ツ橋」の看板はそのまま受け継いだ

カカオ豆の選別からチョコレート作りは始まる

カカオ豆を焙煎して、すり潰して、お砂糖を入れるとチョコレートになる

本物のタイルで象った型にチョコレートを流し固めているので「タイルチョコ」と呼んでいる

カカオの産地別やブレンド別など、6種類ほどのチョコが店頭に並ぶ

昨年、借りていた町家に区切りをつけた。「“何もしない”ができる場所、自分がご機嫌でいられるための場所がなくなるのではないか?」と自問したが、そうではないという結論に至った。

町家を借り始めた頃は、自分らしい時間を大事にしたいけれども、家を借りるくらいにダイナミックなきっかけがないとできなかったのだと思う。それが、今ある暮らしの中に何もしない時間を作ったり、自分がご機嫌でいられる工夫をしたり、試行錯誤できるようになった。

満足している住まいがあるのに、なんで別の家を借りるの?

そんな質問をされることがたまにあったけれど、振り返ってみると、毎月の家賃を支払うだけで町家が好きな時に使えて、しかもたくさんの新しい関係性が生まれて……と、支払った金額以上に得られることのほうが多かったと思う。

雨の日に撮った五條新町。お気に入りの一枚

町家の契約は終わったが、転職を機に、週末だけ通っていた五條新町にほぼ毎日通うようになった。挨拶と一言、二言、地域の方と交わす言葉の数が増えた。点で見えていた景色が、線になってきた感じがある。

今、私は五條新町でチョコにまみれて、面白い日々を過ごしている。

Writer|執筆者

柗本 幸実Matsumoto Yukimi

1995年、五條市生まれ。病院で作業療法士として働いた後、2022年にモノづくりブランド「イトバナシ」に就職。チョコレート事業「chocobanashi」 の製造リーダーとして毎日チョコにまみれている。

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