奥大和ライフジャーナルOkuyamato Life Journal

高取町 2023.2.1 / コラム

ずっと好きになれなかった町との関わりが、想像もしなかったワクワクにつながった話。

※本記事は高取町のWebメディア「和になる高取」(2023年に閉鎖)から転載しました

 

文=平良喜代子(ケスクセ) 写真=赤司研介(imato)

私は「Qu‘e st ce que cest(ケスクセ)」という名前で、モロッコカゴ編み(Tシャツを細く切った編み糸「Tシャツヤーン」を使ったカゴ編みの手法)の公認講師としてワークショップを開催したり、作品を作ったりしている平良といいます。

私は高取町で生まれ育ち、結婚するまで暮らしていました。

大阪市内の高校に通い、大学時代のバイト、就職先も大阪市内。当時は、交通の不便さに加え、今のように欲しい物が通販ですぐに手に入ることもなく、「通ってみたいな」と思うお店や場所もなく、正直、面倒な田舎特有のしがらみや生き辛さが強くて、好きになれない町でした。

結婚し、暮らし始めた街は交通の便が抜群で、自分に必要なネットワークがある場所へ気軽に出かけられる立地。隣近所の目を気にする必要もなく、道も平坦で、最近では「住みやすい街ランキング」に登場するような街暮らしに、すっかり慣れて満喫していました。

しかし、生まれた子どもたちが幼い頃は、長期休みに帰省する度、普段味わえない自然を身近に感じ、楽しく過ごす様子を見て、実家が高取にあることを感謝したものです。

「川でカニやエビを捕ったり、そこいらの土手の草を滑り台にして遊んだり、森でイノシシに遭遇したり、夜にはフクロウの鳴き声に驚いたり。そんな同級生はいなかったよ」と、あるとき娘が当時のことを話してくれました。

介護のための帰省中に出会ったワニナル

子どもたちが大きくなるにつれて帰る頻度も減っていたのですが、一昨年には高齢の母が一人暮らしになり、いろいろと生活に支障をきたすことも増え、頻繁に高取へ通うことになりました。

そんなある日、実家からの帰り道に土佐街道を歩いたとき、目に止まったのが当時工事中だった「ワニナル(チャレンジショップとコミュニティスペースを併設した複合施設)」でした。どんどん素敵な建物に仕上がっていくのを見るにつけ、「やるやん!高取!」と。

当時の私は、母の介護で自分の生活が機能せず、世界から取り残されたような焦燥感や寂しさの中、どうにも後ろ向きになる気持ちを持て余し、高取に通うのが苦痛になりつつありました。何が嫌で、何が変われば楽しい気持ちで高取に通えるんだろう。そう考える日々でした。

そんなときに「ワニナル」のチラシを見ていて、「そうやん。私が行けないのだったら、高取に大好きな人たちや素敵なもの、おいしいものに集まってもらえば楽しいんじゃない!?」と思ったのです。

それからはチラシを持ち歩き、「ね、ここで一緒に何かしません?」と心当たりに声をかけていきました。いつも何かと相談にのっていただいていた、大阪・南堀江で雑貨カフェ「シャムア」を営まれているMさんにお話してみたところ、ご自身も奈良・宇陀のご出身だったこともあり企みに乗っていただけることに。

シャムアの店内。素敵な雑貨がいっぱい。

また、ひょんなご縁で大阪・梅田の阪神百貨店でのイベント「モロッコカゴで旅気分」を開催することになり、その際にご一緒いただいた方々、さらに新しくご一緒いただく方々にも「ワニナル」に集結してもらえることになりました。

「これはもうたくさんの人に集まってもらいたい!」となんとかチラシを作成し、チャレンジショップで開業された「カリー事変」や観光案内所「夢創館」に置かせていただくと、なんと「カリー事変」の旦那さんのお母さんが私の同級生だったことが判明!「ワニナル」という名前の通り、本当に「輪になり広がる」展開に驚きの連続でした。

小さな一歩が想像もしなかった町との関わりを生んだ

迎えた2022年4月17日、開催当日はおかげさまでたくさんの方にお越しいただき、大盛況となりました。来場者の方からは「ここは高取なの?」といううれしい声もいただきました。

このイベントを通して、さまざまなご協力をくださった方々、お声掛けくださった方々との新しいつながりで、私自身の世界も広がり、こうして寄稿のご依頼までいただけることになりました。高取に住んでいた頃の自分からは想像もできない町との関わり方に、私が一番驚いています。

出店メンバーで記念撮影。みんなで「和になる」のポーズ。

昨年はそんな関わりもあったのですが、実家の家や母が作っていた畑などを管理することになり、また違った関わりを持つようになった一年でもありました。離れた場所にある家の管理は思っていた以上に大変で、実家を建て替える際に母が「庭は要らない」と言っていた理由を実感しました。

どんどん元気いっぱいに生えてくる雑草たちに悪戦苦闘。その草を処分してごみ捨てをするのも一苦労。当初は、畑や庭に「カゴ編みをするためのハーブを植えてみよう!」と意気込んでいたものの、余りの雑草処理の大変さに断念。

遠隔での管理、利用の難しさに悩むことになりましたが、役場の方から、地域の人に日々の仕事を依頼できる「高取町しごとコンビニ」の存在を教えていただいたので、今年はこうした形でも高取と関わっていければ、と企んでいます。

高取の遺伝子をしっかり受け継いでいる?

昨年一年、いろんなかたちで町に関わりながら「自分にとっての高取とは?」と考える中で、なんだか切っても切れないものがあるのではと思い至ることになりました。

実家の稼業は、父や祖父が営んでいた売薬業で、幼い頃から漢方処方に使われるさまざまな薬草が日常にある生活でした。その実家の庭に、これからまた薬草にもなるハーブを植えてみようと企んでいること、そんな話をした知人からの「雑草取りを手伝うので、ヨモギやドクダミをいただけませんか?」というありがたいご提案も。

土佐街道にお店を構えるサロン「tokitokoro(ときところ)」さんも薬草やハーブを扱われていること。何より、自分が月桃やレモングラスなど薬草でもある草花を使ってカゴ編みをしていること。実家のルーツを辿っていると、そういえば「売薬業をする前は蚕を飼っていて、織物を生業としていたこともある」と父に聞いたことがあることも思い出しました。

娘にも「巻いてな、ほどいてな、月見てな、星見てな、ぼんやとせ、ぼんやとせ(多分、坊八歳 ということではないかと)」と手遊び歌を歌っていたなぁ、うーん、なるほど、なるほど……私が薬草と糸を使ってカゴを編んでいるのは、ひょっとして、高取の実家の何かがそうさせているのかも……と不思議な気持ちに。

父が「高取は昔、新しいもん楽しそうなもんが大好きで カフェやダンスホールまであったんや」と話していたことも然り。新しいもんや楽しそうなもんが大好きな私はどうやら、そんな高取の遺伝子をしっかりと受け継いでいるのではないかしらん。

娘が「小さい頃、高取で経験したこと、おじいちゃんと話したいろいろが自分のへそ(中心)になっている気がする」と話してくれたことがありました。その言葉は、正にぴったりと私に当てはまるのではないかと。すっかりよそ者になった私は、まんま「高取人」として生活はできないけれど、これからも私の「へそ」である高取と楽しくご機嫌に関わっていければな……そう思っています。

高取のどこかで、私と出会うことがありましたら「高取って、こんな面白いことあるねんよ。 ええこと、あるねんよ。素敵な人がいるのよ」とぜひお声かけください。そして、私が「うわ! 高取で? 面白そう! 行ってみたい!」と思うこと、教えてやってください。そしてそして「一緒に何かしましょ」と誘ってください。

私も、ワクワク楽しみな高取でのいろいろ、また企んでいたりしていますので、会いに来てもらえたら嬉しいです。今年も、高取でたくさんのご機嫌に出会えますように。

※撮影協力:ゲストハウスUME

Writer|執筆者

平良 喜代子Taira Kiyoko

高取町出身、兵庫県在住。好きが高じて「モロッコカゴ編み」の認定講師に。「Qu‘e st ce que cest(ケスクセ)」という屋号で、京阪神を中心に、高取町でもワークショップやイベントを開催している。

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