奥大和ライフジャーナルOkuyamato Life Journal

明日香村 2018.11.28 / コラム

-peaceful Asuka-  ローカルが教わった飛鳥の魅力(後編)

写真・文=松本昌

前編の記事はこちら

カフェの人から宿の人になる

カフェでの7年の勤務を経て、生まれ育った地で自分の店をオープンさせたいと僕は独立を決心した。ところが、身内や知人の伝手を頼っての物件探しは簡単ではなく、一向に見つかる気配のないまま時間だけが過ぎていった。

ちょうどその頃、飛鳥で「ゲストハウス」のオープン準備が進んでいる話を耳にした。関係者スタッフを募集しているという。

「ゲストハウス」とは、ひとつの部屋にいくつかのベッドが置かれ、別々の宿泊客が同じ部屋で寝泊りする「ドミトリー」形式であることが多く、その分宿泊料金が安い宿のこと。滞在費を節約しながら長期の旅をする、いわゆるバックパッカー御用達の宿だ。

宿で働く仕事は、おそらくサービス業のなかでも最もお客さんと従業員が関わり合う仕事なのではないかと思う。まして小さなゲストハウスではなおのこと。接客の仕事が好きな自分には全くもって新しい分野にはなるけれど、きっとおもしろいのではないかと思えた。

独立したくても物件は一向に見つからない。でも、いつまでも働かないでいるわけにもいかない。関係者と知り合いだったこともあり、「オープンするゲストハウスで働かせてもらえないか」とお願いをしたところ、運良く採用いただいて、僕は飛鳥の宿の人として働くことになった。

飛鳥に初めて誕生したゲストハウス

ASUKA GUEST HOUSE」は、空き家だった築150年の古民家を改修した宿だ。母屋以外に、稲屋や蔵などを利用したドミトリーが2部屋、個室が1部屋と、広い和室の共有リビングスペースを設けている。

前編で書かせてもらったように、明日香村には景観を守るための「明日香法」がある。

建物を建てるにはたくさんの制約があるため、ホテルのような大きな宿を建てるのは容易ではない。村内には民宿が数軒とペンションがひとつあるが、観光地としては宿泊する場所の選択肢は決して多くはない土地といえる。しかも近年注目されているインバウンド(外国人観光客)への対応も遅く、外国人が気軽に泊まれるところはほとんどなかった。

そして、どの田舎でもある空き家の問題は飛鳥も例外でなく、増える一方。その「宿が少ない」「インバウンド対策」「空き家の活用」という大きな3つの課題をいっぺんに解決するアイデアが「空き家を活用したゲストハウス」だったのだ。

そうして生まれた「ASUKA GUEST HOUSE」には、本当に老若男女、幅広いお客様が訪れる。今のところ、そのほとんどは日本人で、外国人の割合は2割ほど。世代の幅も広く、下は20代から上は70代の方にまで利用していただいている。

人々が飛鳥を訪れる理由

飛鳥には一定のファンがいる。日本史の好きな人、考古学の好きな人、またはその両方が好きな人。明日香村が考古学ブームに沸いた1970年代以来、大きな発掘調査の説明会は毎回人が溢れるほどやってくる。

でも、飛鳥を訪れる方は考古学ファンの方ばかりではない。飛鳥時代の登場人物を覚え、人物間の関係性と場所のつながりが頭に入っていれば、たとえ田んぼの上だろうと震えるような感動を覚えられるかもしれないが、そんな体験を全ての人ができるわけではない。

「飛鳥という地名を聞いたことがある」程度の旅行者だってたくさんいる。まして外国人にしてみれば、そこに存在しないヒントから想像を膨らませるなんて難解なことをわざわざしてくれるだろうか。実際「飛鳥」に訪れる外国人は、その知名度の低さからまだまだ少ないのが現状だ。

飛鳥時代に起こったとされる「乙巳の変」の舞台・伝飛鳥板蓋宮跡

「飛鳥の歴史の魅力」は、飛鳥の土の下が実際にそうであるように、何層ものレイヤーが重なっている。飛鳥を好きになった人は、その層をひとつひとつ掘り下げて情報や知識を得て、さらに掘り下げていく。飛鳥の歴史は確かに奥深く、掘れば掘るほどおもしろくなる。ただ表面層だけでは歴史のおもしろさを知り得ることは難しい。

何が言いたいかというと、僕は「飛鳥の歴史のおもしろさ」は「今の飛鳥の魅力」とイコールではないと思っているということ。

「ASUKA GUEST HOUSE」に訪れるお客さんの多くが飛鳥を愛し深い造詣を持っておられることは、素直に嬉しいことである。でも、もっと嬉しいのはそこまでの飛鳥への知識もなかった人が、結果的にとても満足して帰って行かれる時だ。

外国人のお客さんで、訪れる前から「飛鳥」という地がどんなところか知っていた人は数えるほどしかいない。では、なぜ飛鳥を訪れるのか。それは田舎だからだ。一人旅で外国の田舎を訪れ、泊まって数日過ごすことができたらおもしろいかもしれない。そういう感覚で彼ら・彼女らは訪れているのだ。

そして、ほとんどの外国人が飛鳥に満足して帰っていく。それはとても不思議だけれど、とても嬉しいことだ。彼ら・彼女らのフィルターを通して見れば、もっと根本的な飛鳥の魅力が浮かび上がってくるのではないかと思えてきた。

あるアメリカ人は、飛鳥を「日本映画好きのおじいちゃんが見ていた映画の風景とそっくりだった」と言った。

あるドイツ人は「京都や東京は混雑しすぎていて疲れる。ここは静かで良い」と言った。

あるイギリス人は「棚田の近くで突然の雨の中おばあちゃんに声をかけられ、小屋で雨宿りをさせてもらった」という。

あるフランス人は「知らない人にもらった」とみかんを手にして帰ってきた。

あるオーストラリア人は「田んぼの脇でおばあちゃんと30分も長話をした」と言った。僕が「おばあちゃんは英語が話せたの?」と聞くと笑いながら「No」と言った。

あるゲストは飛鳥を「Peaceful」と表現した。しかもそれは一人ではなかった。何人ものゲストが、飛鳥をそう表現したのだ。僕は、はじめはそれが理解できなかった。何が「Peaceful」なのか。でも、ゲストたちの話を聞き、飛鳥の魅力を考える中で、その意図が少しわかってきた気がしている。

前編でも書いたように、飛鳥は景観を保護する法律と国営公園のおかげでかなり整備されているが、もともと農村であることから、山と川と農地と人が良い関係にある「里山風景」が見られる。つまり、飛鳥は「ほどよい田舎」なのだ。観光で田舎を求めるとしても、廃れた場所を見たいわけではなく、そこに人々の生きた姿を見たいのだ。棚田が美しいのは、そこに生活の息吹を感じられるからだと思う。

飛鳥を歩いてみてもらえれば、きっとどこかで誰かと出会うはずだ。その人に話しかければ、意外と土地のことを話してくれるだろう。観光地であり農村であるからこそ、田舎をレンタサイクルで回ることができるし、住民は外の人に慣れているので道を聞かれることへの抵抗もない。

歴史背景をいったん横に置いて飛鳥を見てみる。瓦葺きの建物と広がる田畑、耕す人、その間を歩く遠足の子供たちや自転車をこぐ観光客、公園広場で遊ぶ親子と散歩する老夫婦、そんな光景が見られる場所が「Peaceful」と表現されるのも、わかる気がした。それは飛鳥を訪れる人誰しもを包み込んでくれる魅力ではないかと思う。

いい出会いがその土地を特別なものにする

僕は宿で働きながら、本当にたくさんの旅行者と話をした。

同世代の人も、年配の方も、外国人も。僕は決して英語を上手に話せるわけではないが、きっと交流することがゲストにとって最良の思い出になると信じて話をした。たくさん話をしたお客さんは必ずと言っていいほど、見送る時にいい顔をされて出かけて行かれた。

自分に置き換えて考えた時、訪れた土地で、その土地の人と話をすることはきっと一番の思い出になると思う。それがいい出会いであればあるほど、その土地をもっと好きになるはずだ。

ゲストハウスを選ぶ人は一人旅の方が多い。決して一人になりたいわけではなくて、一人でいることで一人同士の交流が生まれるからだ。たまたまその日、同じ場所に居合わせた他のゲストと意気投合して長話をする、そんな光景を僕は何度も見てきた。だから、その土地が持つ魅力のポテンシャルももちろん大事だけれど、交流する場があることと、そこにその土地を愛する人がいるということもとても大事なことだと思う。

生まれ育った僕にとって飛鳥は特別な土地ではなかったが、長くその土地で暮らし働くことで、たくさんの地の人と、外からやってきた人と繋がった。そのことで、飛鳥は僕にとってものすごく特別な土地になった。

この「特別な土地になる」という僕の中での変化は、きっと世界中のどこでも、誰に対しても起き得ることだと思っている。

土地の魅力は人の魅力だ。

ずっと飛鳥に住んでいる人。飛鳥に移住した人。飛鳥に旅に来る人。飛鳥を離れている人。その土地に関わる全ての人がその魅力を日々積み重ねている。だから、その人たちが集えて、話して、交流することでさらに土地の魅力が大きくなるはずだ。その交流できる場となれる場所をつくりたい。そんな風に思って、僕は今、次のステップへと踏み出したところである。

Writer|執筆者

松本 昌Matsumoto Shou

1978年、明日香村生まれ。大阪芸芸術大を卒業後、明日香村内のカフェやゲストハウスの立ち上げに関わり勤務。木工作家の一面も持つ。2019年、飛鳥駅前に「Matsuyama Cafe」をオープン。

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