奥大和ライフジャーナルOkuyamato Life Journal

高取町 明日香村 2019.8.21 / インタビュー

風のように生きて、土になる。「minimal life」瀬川さんの、土地と自然に寄り添うお米づくり。

写真・文=森裕香子

多くの史跡と里山の風景が色濃く残る、明日香村と高取町。古くから農業と共に暮らしが紡がれてきたこの地域で、「minimal life(ミニマルライフ)」の瀬川健さんは自然栽培でのお米づくりに励んでいる。

6月に入ると、この辺りの田んぼには水が張られ、青々とした小さな稲が水面に揺れる。

瀬川さんの田んぼを訪れると、時折スイスイと気持ちよさそうに泳ぐカモの群れを見かける。シラサギ、ドジョウ、トンボ、カブトエビ、コウイムシなど、さまざまな生物が息づいている。農薬や除草剤を一切使用しない瀬川さんの田んぼは、生き物たちにとって優しい環境なのだろう。

自家採種した種籾(たねもみ)を翌年へと繋ぎながら、地元の山土だけを使って苗を育て、化成肥料や有機肥料も施さない。ゆっくりと自然の力によって育つお米は、雑味がなく、米本来のおいしさが感じられる。刈り取った稲は、はざかけ(天日干し)をして自然乾燥。陽の光で、時間をかけて水分を抜くことで、米の旨みが凝縮されるという。

土地に生きる多様な生物の力と、自然の恵みをたっぷり受け取った瀬川さんのお米は、どこか力強く、甘味があっておいしい。

明日香村に移住し、この土地で米づくりを始めて7年。瀬川さんが日々どのような想いで米づくりに向き合っているのか、お話を伺った。

瀬川 健(せがわ けん)
埼玉県出身。家族で明日香村に移住し、農家として2013年に就農。余計なものを一切使わない“ミニマル(最小限)”という理想を胸に、自然栽培のお米を育てている。

生きる力を身につけるために、選んだもの

瀬川さんが生まれ育ったのは、埼玉県のマンション密集地。商業施設や飲食店などが立ち並ぶ、農業からは縁遠い場所だった。ファッションが好きで流行を追いかけていた20代の頃は、アパレルの仕事をしたり、ワーキングホリデーを利用してオーストラリアを訪れたり、東南アジアを旅してまわるなど、働き方や場所に縛られることなく自由に過ごしていた。

30歳を迎える頃、アパレル雑貨の会社に就職。営業マンとして好きな仕事ができている充実感のなか働くも、しばらくするとある疑問が生まれた。

雑貨を購入するお客さんのなかで、どれだけの人が末永く使ってくれるんだろう。街中にモノが溢れ、ネットでも売買ができ、すごいスピードで大量に消費されていく。そして自分自身もその消費のなかで生きている。流行を求める仕事をして生きてきた自分が、そのスピード感についていけなくなってることに気づき始めて…今までずっとしてきたことが何の意味も成さない、そう思ったらすごく怖くなって…。

その頃、“奇跡のリンゴ”で知られる木村秋則さんが話題に。木村さんの話をきっかけにそれまで意識を向けてこなかった食べ物について、農業について、考え始めるようになった。

当時はまだ結婚していなかったけれど、一緒に暮らしていた舞は、食べることが好きで、食に対してすごく意識を持っている人で。逆に、当時の俺は食にはまったく関心がなくて、スーパーに行ってもとにかく安い食材を選ぶんだけど、その横で舞はちょっと高いものを選んでた。彼女は、この食材がどこでどうやってつくられたものなのか、地産地消という考えもずっと持っていたんだよね。

少しずつ食や農への興味が膨らんでいく瀬川さん。本を読んだり、調べたり、話を聞きに行くなどしていくなかで、自然農の祖である福岡正信さんや、野口種苗研究所の野口勲さんの種の話に触れ、農業に対する興味は益々強くなった。

特に野口さんが語る種の話は、瀬川さんの心を大きく揺さぶった。種は絶対的な存在であり、種がないと食べ物は生まれない。代々その土地土地で繋がれてきた種が、地域特有の野菜や食文化を育んできた。種を採り、次の年へ、次の世代へ、残すことの意味。今まで知ることのなかった世界を知り「生きる力を身につけたい」という衝動にかられたという。

これからの人生をどう過ごしていくのか改めて考えたとき、「彼女が気にする食べ物を自分でつくれたら、すごく素敵なことなんじゃないか」、そんなシンプルな想いに至った。

舞さんの握ったおにぎりを初めて食べたとき、瀬川さんはそのおいしさに驚いたという。
握り方ひとつ、気持ちひとつで味は変わる。食べ物のすごさを知った瞬間だった。

自らの手で食べ物をつくり、生きる力を身につけるために“自然農法”を学ぼうと、三重県にある「赤目自然農塾」に通うことを決断し、会社を退職。お付き合いしていた舞さんと結婚し、当時暮らしていた静岡からふたりで奈良の地に移り住んだ。

塾に通いながら働こうと、研修に入った農場で出会ったのが、「のらのわ耕舎」の中村さんだった。この出会いから明日香村との繋がりが生まれ、農地を借りられることになり、独立を決意。「農業次世代人材投資資金(旧青年就農給付金)」を活用し、2013年に「minimal life」を立ち上げ就農した。

お米づくりを始めて知った、土地を守っていく責任

瀬川さんは現在、明日香村と高取町にまたがって農地を借りている。作付面積は年々増えてきている。

その土地ごとで田んぼの形状も、水の流れも、土の性質も異なる。田んぼ同士が離れた場所にあるため、見てまわるのにも時間がかかり、機械を運ぶときはトラックを借りるなど、効率が良いとは言えない。自分の都合だけでは動けず、スケジュールをたてるのも大変だ。

ひとつ関わる土地が増えると、地主さんや総代さん、周辺の農家さんなど関わる人も増えていく。その土地その土地の問題や、地域の困りごとに触れる機会も多く、単にお米をつくっているだけではない「土地と関わる責任を強く感じる」と瀬川さんは話す。

“生きる力を身につけたい”って想いで農家になったんだけど、でもひとりじゃ生きていけない。食べ物をつくる農地っていうのは、ずっと昔から誰かが保ってきたもので、移住してきた自分の立場だと、それをお借りして初めて作物をつくることができる。その農地にはたくさんの人が関わっているから、農業は地域みんなの問題なんだって感じた。

ましてや、農産物は自然の力で左右される要素が大きいし、無農薬・無肥料での自分のやり方だと、土地の力をいただくしかない。そこに自分がどれだけの関わりを持ってやれるかってところが勝負なんだけど、際限がないよね。どこまで手を尽くしていいか分からない世界。答えもないし「こうしたから絶対にうまくいく」とは言えない。台風がきたら一発でこけるとか、猪に入られるとか、ダメになる要因はいくらでもある厳しい仕事だよ。

瀬川さんは苦笑いしながら、「でも…」と言葉を続ける。

自分は生産者であり、それを自らの手で売るところまで全うしてる。自然に寄り添ってつくることも含めたら、俺の仕事にはすべてが詰まってるし、これ以上のものはないって思ってる。初めは「半農半X」みたいな感覚が正直あったんだけど、やっぱり百姓として、農家として、周りの人に認めてもらいたい。しっかりとした生産者としてありたいって欲が今はすごくある。一昨年、農業まつりに初めて出品したら新人賞だったの。表彰式とかあってさ、賞状ももらって。純粋に嬉しかったよね。

風のように生き、この地にやってきた自分の役割

春になると、瀬川さんの田んぼは一面にレンゲの花が咲き誇る。

レンゲはお米にとって良質な栄養にもなる。米づくりに化成肥料を使う場合、花が咲く頃に土を耕してしまうため、種が結ばれず、翌年咲くことはないのだそう。肥料を使わない瀬川さんの田んぼは、開花して種を結んでから耕すため、毎年自然とレンゲの花が咲く。

毎年毎年レンゲが咲く。循環という意味でも、その方がいいなって。自分は都会育ちで、食べ物も意識してなかったのに、今この自然豊かな場所でお米をつくってる。そして、この土地をまた次の世代に引き継いでいきたいと思ってる。

そのためになにができるのか。瀬川さんは自問する。

自分は今、この村に住んで、この村の土地で働いているから、この場所に生活のすべてがある。青年団に入ったり消防団に入ったり、夏祭りの企画や準備を一緒に進めていったり、そういう場には積極的に出て、地の人にまず自分を知ってもらいたい。そうした交流が土地を活性化させる第一歩かなと思う。

今、江州音頭を習っていて、それは自分の楽しみでもあるんだけど、やっぱり地域の人たちみんなに喜んで欲しい。直で感じる生音ってなによりも人の心を高揚させてくれるし、大人が本気で楽しんでいれば、それを見る子供たちにも伝わると思う。いつか自分が暮らす地域の夏祭りでも唄いたいな。

地域の夏祭りでの盆踊り。 稽古を重ね、去年初めて櫓(やぐら)の上に立ち、音頭取りを務めた。

移住者は風で、地の人は土で、混ざり合って“風土”になっていくのかな。今まで好き勝手に生きてきて、やりたいことやって、流行り追っかけて。土地に執着もなかったし、今もないつもりなんだけど、なぜか農業という仕事を選んで今もやっている。そしてこれからもやっていきたいと思ってる、ってことはもうずっとここに根を張るイメージで、根を張るってことは、いずれ土になっていくことだと思うから。

気がつくと、保守的になっている自分がいて(笑)。奈良の人ってよく保守的ってよく言い表されるけど、当然といえば当然。土地を守り、家族を守っていく使命感みたいな考え方って大事だなって思う。土地の想いを受け継いで、村や集落が繁栄していく。そして次の世代へとまた引き継いでいく。そんな願いと想いを持って、この土地で暮らし、「ミニマルライフ」として仕事を続けていきたい。

毎年、仲間たちと行っている田植え祭り。唄ったり、踊ったり、演奏したりしながら、

大人も子どももみんな一緒に手植えする光景はとても賑やか。

地域に愛され、地域の顔となるお米でありたい

仲間と運営する「明日香ビオマルシェ」で、瀬川さんのお米はとても人気だ。ビオマルシェに足を運ぶ人々は、新米の季節がやって来るのを心待ちにしている。

毎年、収穫から半年も経たないうちに売り切れてしまうというが、瀬川さんは、地域の人たちに食べてもらうことを大事にしながら、この地を訪れた人や土地に想いを持つ人たちにも届けたいと考えている。昨年から「ふるさと納税」のお礼品にも名を連ねた。

この地域のお米として買ってもらえることが理想。新たな商品開発も仲間たちと一緒に取り組んでいきたいし、しめ縄づくりも続けていきたい。そのためにまず、米づくりをしっかりやっていく。そして、米を育んでくれる、自分や大切な人たちが暮らすこの土地をより良くしていく。地域のことをもっと深く知って、もっと深く関わって、もっと大事にしていくその先に、自分の活路が切り開かれていくんだと思う。

古代米の青藁を使用したしめ縄を毎年手作りしている

風のように生き、この地に移り住み、始めたお米づくり。瀬川さんの明るい笑顔、人柄や想い、エネルギーを乗せた風が吹き込まれ、この地域を耕しながら、土となり繋がれていく。

「日本人のほとんどが日々口にするお米をつくるという仕事ができて、ただただ幸せだよ」と笑う瀬川さん。

今年も、自然の恵みをいっぱいに吸い込んだ力強いお米が、たくさん実りますように。

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