奥大和ライフジャーナルOkuyamato Life Journal

明日香村 2020.3.12 / コラム

Matsuyama caféで会いましょう

文=吉本幸史(天理市役所)
写真=吉本幸史・松本昌

生まれ育った地元との繋がりの薄さを寂しく思う気持ちは常にあった。

18歳のときに明日香村を出てから、街で暮らし、街で働く日々。たまに実家に帰って家族と会う。村と僕との距離がこれ以上近くなることはない。それが僕らの世代のスタンダード。そう言い聞かせてきた。

でも、急速に進む少子高齢化で秋祭りの子ども神輿がなくなったことと、いま住む街の児童公園で我が子を遊ばせていることが時に交錯し、寂しさとやるせなさがふと頭をよぎる。40歳、人生もあと半分かと感傷的になっていた頃に、幼馴染みである松本昌が独立して明日香村でカフェを始めると言い出した。

駅前の倉庫がカフェになった

2019年4月にオープンした彼の店は、近鉄飛鳥駅のすぐ近くにあった。店の名前は「Matsuyama Café」。

以前は農協の倉庫だった木造の広い空間に、大小の木のテーブルと細いスチール脚の椅子がゆったりと並んでいる。窓や壁には古材が印象的に使われ、店内は古さびた感じと、小洒落た感じが同居し、なかなかの雰囲気に仕上がっていた。お父さんに手伝ってもらいながら、半年間かけてほとんど自分で改修したそうだ。

ランチは月替りのプレートで、メイン料理を2種類から選べる。

運ばれてきた皿の上には、気心の知れた農家から仕入れたり、近くの直売所で顔見知りと話しながら買ったりした野菜がふんだんに盛られていた。店に野菜を提供してくれている農家の一人がホールスタッフとして働いてくれていることもあり、メニューづくりの際には、翌月にどんな野菜が出回るかを教えてもらっているという。

ランチタイムが終わると、カフェの時間が始まる。大和郡山市にあるコーヒー焙煎所「K COFFEE」の豆でいれたカフェラテと、自家製マフィンを一緒にいただく。

冬の今、マフィンには金柑や苺など、地元でとれた果実がつまっていた。家族と、友達と、それぞれに会話をしながら午後をまったりと楽しんでいるお客さんが、店に馴染んでいた。

故郷・明日香村でチャレンジの連続

小学生時代、僕らは一緒に少年野球をしていた。昌は4番でファースト。体も大きく、打席に立てば長打を期待できた。彼はスイミング教室にも通っていて、夏の水泳大会では群を抜いて活躍していた。そして、絵が上手だった。

地元の中学から隣町の高校に進学し、大学は大阪の芸術大学に進んで美術を専攻した。今の彼が持っている、黙々とした忍耐強さと作品を生み出す創造力は幼少期から培われていたが、それは大学でさらに磨かれたのだと思う。

しばらく助手として大学に残った後、明日香村で古民家カフェの草分け的な存在である「カフェことだま」の立ち上げに参加し、カフェ経営と料理を学ぶ。修行を終えた後も、飲食店の立ち上げや「アスカゲストハウス」の運営に携わった。

また仕事のかたわら「あすか手創りマルシェ」という手づくり市を主催したり、「槻ノ宴」という音楽要素も盛り込んだイベントを手伝ったりしていた。

石舞台古墳のある公園で開かれた「槻ノ宴」のひとコマ

大学に入ると同時に村を離れたきりだった僕とは対照的に、昌は生まれ育った村で、自分なりの生きる道をずっと模索してきたのだ。

そんな彼がつくった「Matsuyama Café」を支える人に会いたくて、スタッフとして働いている白坂由希さんと、彼女のご主人の白坂隆三さんが営む「福仁和農園」を訪れた。

西に二上山が見渡せる高台の畑では、ネギが収穫時期を迎えていた。白坂さんは無農薬野菜やオーガニック野菜を生産していて、季節に応じてミニトマトやジャガイモ、ミントやローズマリーなどのハーブをカフェに納入している。

明日香村に移住して農業を始めたこと、週1回農家仲間と朝市「明日香ビオマルシェ」をしていることなどを、突然の訪問だったにも関わらず白坂さんは優しく話してくれた。帰り際に3本のネギをくれた。太くて綺麗なネギだった。

白坂さんに対して、「僕は村を出てしまったけれど、明日香村を何卒よろしくお願いします」という気持ちと、「何か応援したい」という気持ちが芽生えた。なんとも不思議な感情だった。

人の集まる“場”が新たなことを生み出す

「店を持って、何か実現したいことってあるのか?」と昌に聞くと、「自分が来て欲しいと思う人たちが、来たいと思うような店にしたい。そして店を通して、みんなが繋がってくれたら嬉しい」と言った。

「来て欲しい人って?」と聞くと、「ずっとここに住んでいる人、昔は住んでいたけれど今は住んでいない人、移住してきた人、旅行できた人、かな」と教えてくれた。

なるほど、昌が言う「来てほしい人」の中では、白坂さんは「移住してきた人」で、僕は「昔は住んでいたけど、今は住んでいない人」というわけだ。そして、僕は「Matsuyama Café」を通じて白坂さんに出会い、親しみを抱くようになった。

これは多分、僕たちの間に昌という人と「Matsuyama Café」という存在があるからこそ生まれた関係性だ。

大学の職を退き、生まれ故郷で働きはじめてから10数年、順風な時もあれば辛酸をなめたときがあったことも知っている。でも、その中でも彼は、村を支えてきた親世代や、新しい考えを持つ移住者たち、旅行者たちとの出会いを重ねてきた。そのみんなから学びを得て肥やしにし、自分の店に結実させたのだ。

本人は「成り行きだよ」と言う。

彼は突き抜けた「経営者」でも「料理人」でもないかも知れない。起業する人には、「お店を経営したい人」と「技術を活かしたい人」がいるというけれど、一番は「人の繋がりを生み出す“場”をつくりたい」という、彼のような人間がいてもいいのではないだろうか。

今の日本のローカルにおいては、人々が集まれる“場”が、新しいことを生み出す可能性を秘めている。僕たちの故郷である明日香村において、「Matsuyama Café」がそんな新しいことを生み出す“場”になっていくことを、僕も陰ながら応援していきたいと思うし、そこを通じて、僕自身と明日香村の距離を少しでも縮められたら、とても素敵だと思う。

Writer|執筆者

吉本 幸史Yoshimoto Koji

一般社団法人飛鳥観光協会事務局長。1979年、明日香村生まれ。東京での出版社勤務を経て、2006年に奈良県へ戻り天理市役所入庁。「天理駅前広場コフフン」の立ち上げなどに携わる。2021年より現職。

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