奥大和ライフジャーナルOkuyamato Life Journal

上北山村 2023.1.20 / コラム

山と自然と地域の人が、いつもすぐそこにある暮らしから。 − mossumo(モスモ)はじめました −

文=久米恭子(mossumo

上北山村の好きなところ。

どこにいても否応なしに緑が目に入ること。
間近にそびえる山々の新緑や紅葉が、ぐいぐいと押し寄せるように迫ってくる。
壁や地面、木の幹や枝までも、よく見ると多種多様な苔の緑に覆われている。
雨のあと、山の間からもやが沸き立つ墨絵みたいな景色。
ふいに見かける驚くほど鮮やかな色の昆虫や、ふとすぐ近くに現れる動物。

多彩な天然の色が、人工物よりも圧倒的に多く視界に入るこの村での日常の風景は、住み始めた当初から変わらず鮮やかで、日々移り変わる見ごたえがあります。

上北山村に住んで、気づけばもうすぐ7年。

2016年2月、結婚とともに移住しました。それまでの17年間造園業界で働くなかで、植物好きが加速していたことと、子どもの頃から父母のふるさとの農村風景が好きだったこともあり、「田舎暮らし」に抵抗感はなく、新たな生活を楽しみにしながらやってきた奈良県南部の村。

来てみてまず印象的だったのは、覆いかぶさるような山の急傾斜と、獣よけの網で天井まで囲われた畑、そしてごうごうと吹き荒れる家を揺らすほどの強風でした。私が住む西原地区は、冬になると山の間を通り抜ける台風レベルの風が日常的に吹くところなのです。

「あれ? 想像していた“のどかな田舎”とはちょっと違うな……」と思ったものの、住み始めた年の春から、大台ヶ原の特別保護区域「西大台」の入山受付の仕事で大台ヶ原に通うことになり、日々行き帰りの途中で雄大な山並みや道端のもりもりと生命力あふれる植物を眺めるうちに、山村の風景がどんどん好きになっていきました。

岐阜県内の人口10万人都市にある、何千人もが暮らすニュータウンで育った私には、その市の3倍の広さがあるにもかかわらず「人口500人の村」というサイズ感がうまくイメージできず、引越し前に開かれた夫の同僚の皆さんとの食事会で「500人といっても、知らない人もいますよね?」と尋ねたところ、「いや、大体みんな知ってるよなあ」という答え(役場職員という仕事柄もあるけれど)に、「そんな感じなのか……!」と驚いたことを覚えています。

そして現在、総面積の97%は森林で、残りの3%に人が集まって暮らしている広くて小さなこの村で、もちろん会ったことのない人もまだまだいるものの、出かける先々で見知った顔に出会い言葉を交わせる距離感を心地よく感じながら暮らしています。

上北山村には4つの集落がありますが、地区と年代の枠を越えて話せる人がたくさんできたのは、住民グループ「がんばろらえ!かみきた」に加わったことが大きなきっかけでした。

大台ヶ原へ通う日々が始まるのと同じ頃、役場から地域活性化を考える会合への呼びかけがあり、知り合いをつくるのによさそう、という気軽な動機で参加。数回にわたって行われた会議やワークショップを経て集まったのは、自分たちでできることから暮らしをにぎやかにしたい、楽しいことをつくっていきたいという思いを持つメンバーです。

これまでの約6年間で、村内外いろんな人たちの交流の場や、上北山村を知ってもらう機会をつくるために、マルシェやカメラ教室、謎解き、スタンプラリーなどいろいろなイベントを開催してきました。

なかでも、月に一度開かれる「かみきた山のめぐみ市」は、農地がほとんどない山村ながらも自家用に栽培されている野菜や村民の手作りの品を集め、時には軽食などの出店も並ぶミニマルシェとして続けて約60回になります。

買い物に来た人同士で話が弾む様子や、村の子どもたちが「大きくなったねえ!」などと声をかけられているところを販売テントの中から見るのがうれしくて、こうして村民同士が顔を合わせる場所になっていることが続けているやりがいになっています。

そして、1年ほど前から新たな取り組みを始めました。

私が住み始めた当時は約560人いた村の人口は、現在450人ほどになり、着々と減少が続いています。住民が減るにつれて増えゆく空き家。けれども住みたい人がいても借りたり買ったりできる家は少なく、徐々に朽ちていく家がたくさんあります。

それを知るうちに、「どうにかもっと動かしていく方法はないのかな?」と思うようになり、その思いも、上北山村の豊富な「苔」の魅力にはまって地面や壁をルーペで覗く趣味も共有する小谷雅美さんとともに、「mossumo(モスモ)」という名で「上北山村の苔と暮らしを考える」ユニットを結成。

清流に面した魅力的なロケーションにある、けれども長年閉ざされてボロボロになってしまっていた空き家を借りて、改修を始めました。

ひとまず抜け落ちていた床を土台から直し、ある程度使える状態まで整え、いろんな人にこの場所の良さと私たちが好きな上北山村の空気を体験してもらうレンタルスペースとして活用しようと進めています。

それと合わせて、村内の空き家をひとつずつ活用につなげていくことを目指して、お家の管理や手入れのお手伝いをする事業のスタート地点に立ったところで、わくわくしつつこれからの展開を話し合っています。

かつて造園の仕事をしていた頃の日々は楽しいこともたくさんあったし、年数を重ねてできることも増え、やりがいもあったけれど、次第に様々なことに囚われて心の中が行き詰まり、幸い丈夫なため体や心を壊すことはなかったけれど、「このままここに留まっていてはいけない」と思い、引き剥がすように生きる場所を変える道を選びました。

そして今、縁あってこの村に住み、新しい仲間や多くの人との豊かな関わりができ、やりたいと思うことにいろいろと出会えています。この場所の山や人との距離感と、人工物や情報の圧の少なさに居心地のよさを感じています。私は、今の暮らしにたどり着けて本当によかった。

そんな私と同じように、人と物が密集している地域よりも山村での暮らしのほうが向いていて、居心地よく感じる人はもっといるに違いない。そう感じているから、そんな人に向けて、暮らす場所としての上北山村をおすすめしたいし、縁がつながってここに住むことを決めた人を応援したいのだと思います。

この先いろんな変化もきっとある。けれど、「上北山村、おもしろいよ!」と言い続けていけるよう、楽しみながら暮らしていこうと思っています。

Writer|執筆者

久米 恭子Kume Kyoko

岐阜県出身。学生時代に農学と林学を学んだ後、植栽と庭づくりの仕事に従事。2016年に上北山村に移住し、2022年から苔と暮らしを考えるユニット「mossumo(モスモ)」としての活動中。

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