奥大和ライフジャーナルOkuyamato Life Journal

上北山村 2023.2.14 / コラム

山に導かれ -霊鳳山景徳禅寺-

文=桃蹊(書家) 写真=赤司研介(imato

長男が30歳になろうとしていますから、上北山村とのご縁はもう30年以上前に始まりました。

私たち夫婦は夫の家業である奈良市の旅館を手伝いながら、暇さえ有れば仏像彫刻や書をし、貧しくも豊かに暮らしていました。とりわけ呑み(鑿)友達の大仏師・由谷倶忘(よしやぐぼう)さん(当時は倶忘さんが独立した頃の名「六九拾」からムクさんと呼んでいました)の柳生の工房で過ごす時間が私たちは大好きでした。

ある時、上北山村から一人の男性がいらっしゃいました。

その方は、村おこしのため、また村の主要道路(国道169号)で交通事故が多いことから観音様を村に祀りたいとおっしゃいました。

夫が直ぐに「由谷さんの仏像ならば間違いはない」とお伝えしますと、村には大仏師にお支払いするほどの予算はないのでと、部屋の棚に飾ってあった私が彫った聖観音を指さされました。

夫は喜んでいましたが、私は躊躇いました。祈りの対象としての仏像を彫っていたわけではなく、ただただ木を彫り形になっていくことが愉しかったわけですから、勿体ないお話でした。

夫の方が正確に全体を形作ります。

ただ、力強い肉感的な仁王像や不動明王が多く、ご希望は観音様でしたので、私たちは聖観音を村に納めることにいたしました。

しばらくして聖観音立像を祀るお堂が完成し、開眼法要(霊を入れる法要)のご案内が届きましたので、私は夫と共に出席させていただきました。

永平寺様(福井県にある曹洞宗の大本山)から三人の僧侶がお越しになり、厳粛な法要の後には、どこにこんなに大勢の方がいらっしゃったんやろうか?と思うほどの村の皆さんがお集まりになり、お餅やお菓子を撒いたり賑やかなお祭りとなりました。

聖観音のお堂を守って下さった村の方からは、毎年鮎やトチのお団子が届きました。私たち家族は三人の子らに恵まれ、夏には上北山の施設に泊まり、自然豊かな山遊びをさせていただきました。

家族のように温かく迎えてくださり、いただく鮎はもちろん、猪鍋や野菜の美味しかったこと。森の匂いと水の清らかな冷たさは家族の大切な思い出です。

夫が病に臥せって、義父、義母を続けて看取った翌2009年、夫も他界し、吉野は随分と遠いところになってしまっていました。

夫の十三回忌を迎えようとする頃、上北山村に納めた仏像のことが気になっていましたところ、私の刻した聖観音は景徳寺さんにあるらしいと知り、驚いてしまいました。教えて下さったのは、ご縁を導いて下さった方のご不幸を伝えるお友達でした。

景徳寺さんは、夫生前より毎年、お盆には檀家さんのもとへいらっしゃるためにうちの旅館にご宿泊になっていらっしゃいます。ご住職は御勤めにお越しですからゆっくり世間話をする時間もなく、まさか景徳寺さんに聖観音があるとは思いもしないことでした。

改めて景徳寺さんにご連絡を入れ、聖観音に逢いたい旨をお伝えして快諾頂きました。

ご縁の方のお悔やみを申し上げなければならないことと、老いた両親にも仏像を見せてやりたい思いもあって、妹の運転で12月の奥大和旅行に出かけました。

30年ぶりの聖観音との再会です。

禅宗の立派なお寺は奥深く、ご案内いただいた本堂の右手奥に聖観音の姿を見つけました。刻した頃より木の色も落ち着いて壊れているところもなく、行方が分からないと知った時のことを思えば本当に大事にしていただいていることが直ぐに理解できて、心から有難いと思いました。

私が刻した最初の観音様ですので、若々しいお顔やなあと感じたり、彫り方などを細かく確認しておりますと、その横で90歳近い両親が黙って神妙にいつまでも手をあわせています。それはもう、なんとも言葉にできない気持ちになりました。

水音がどこからともなく聴こえてきます。山からの水なのでしょうか?

初冬の境内には年に二度咲くという大きな桜が満開で、目を見張りました。ご案内いただき薬師堂まで登る道々、色とりどりの山茶花(さざんか)が咲いていました。

薬師堂のある場所から眺める山また山の景色の言葉にできない深さと美しさを両親、妹に見てもらうことができてしあわせに感じ、深く山の空気を呼吸しました。

景徳寺さんから歩いて直ぐの近年できたばかりの「フォレストかみきた」さんで宿泊し、昔からの知り合いのように接してくださる地元の方と温泉に浸り、穏やかな時間を過ごしました。

書を志し奈良に根をおろして40年。

30年ぶりの奥大和の旅から帰って自分自身を振り返る時間を得て、これからの生き方を考えるようになりました。かつて夫と野山を友として、必要なものは大抵は自分達で作っていたものづくりを愉しむ暮らしを懐かしく思うようになりました。

嫁ぎ先の家族を皆見送り、三人の子らも社会人となりました。コロナ禍が世の中を大きく揺さぶる中、家業のことも子らと相談をして、残りの私の人生の舵を切り換える決心をしました。

多くの方が観光や研修にお越しになる奈良の、住んでみればその四季を愉しむ余裕もなく走り続けた生活から身の丈の暮らしに帰り、奈良という神様や仏様を深く感じて生かされているご縁を丁寧に大事に過ごしたいと思っています。

そういえば、聖観音を要望いただいた方のご縁で、下北山村の前鬼山小仲坊さんにと、夫に役行者と前鬼後鬼の彫刻依頼があり、お納めしたことがありました。それがつい最近、身の回りを整理している時に、夫が描いた役行者と前鬼後鬼の図面と、前鬼山小仲坊さんから仏像のお礼に頂いた封筒が出てきたのです。

まだ一度も行ったことのない前鬼山さんに夫の仏像はあるでしょうか?

奈良は不思議な磁力を持っていますから、また驚くような新しい脚本が用意されている予感がしています。

家業を次の世代に見守りながら引き継ぐことができたと同時に、墨を使う仕事に専念できるようになり「art _scene」という私の小さな居場所をつくりました。夫と子と学んできた狂言大藏流の稽古場であり、音楽ライブや美術展示も可能になりました。

人との関わりは墨を描くのと同じ光の錯覚のようです。「art _sceneギャラリー」で出逢う錯覚の現象を、これから見つめていきたいと思っています。

Writer|執筆者

桃蹊Yanai Naomi

奈良市在住。1977年、鎌倉円覚寺居士林で禅(栽松軒足立慈雲老師)に出逢い「桃蹊(とうけい)」の名を戴く。1982年、東京学芸大学芸術科書道科を卒業後、奈良に移住。1983年から故今井凌雪に師事。

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