川上村に来て、お餅の存在感がとても大きくなりました。
移住して初めての秋、「祭りがあるから手伝って!」と地元の方にお誘いいただきました。祭りの前夜、神社に行くと、そこには餅を蒸しあげる蒸気と、人々がせわしなく動き回る熱い光景が広がっていました。
次々に蒸しあがるお餅を臼に移して、杵で「ぺたんっ!ぺたんっ!」と手際よく、ついてはこねていく地元の方たち。つきあがったお餅をどんどん丸めていきます。
途中、きな粉や醤油が出てきて、みんなつきたてのお餅を頬張ります。贅沢なおやつの時間。「塩入れ過ぎちゃう?」「蒸し過ぎたなぁ」などなど、地元の人たちの舌はとても肥えていて、それぞれ感想を言い合います。
夜10時を回った頃にようやくつき終わり、境内にたくさんのお餅が並びました。
お祭りの当日、今度は子どものお餅つきが行われます。
これは「千本杵つき」。樹齢10数年の若い木でつくった杵で、子どもの成長を祈願してお餅をつくのです。
午後になると、お餅まきが始まりました。昨夜つきあげたお餅を、およそ2時間ものあいだ、まき続けます。
「ゲームもテレビもない昔は、祭りが何よりの楽しみだったんだ」と地元の人が教えてくれました。私は、この2日間の非日常感に驚き、ゲームでもテレビでも得られない、唯一の体験をしたのでした。
盛大な秋祭りを終えても、節目ごとにお餅が登場します。
年末には、家々でお祀りしている神様へのお供えをするためのお餅つきが行われるのです。
家庭に立派な杵と臼があることに、私はカルチャーショックを受けました。
年が明け、1月7日は、山の神様のお供えのためにお餅つきをします。歴史ある林業の村らしく、1年に3回、1月・6月・11月、と、お祭りをして山に入らない日があるのです。
また、お餅を通じて、旧暦の暮らしを感じることもできます。
例えば、端午の節句を祝う「子どもの日」は、ここ高原集落では、5月5日ではなく、6月7日なのです。理由は、古くから使われてきた季節のものが、新暦ではまだ時期が早くて使えないからだそう。
端午の節句には、餡の入ったお餅をホオの葉で包んだ「でんがら」と呼ばれるお団子をつくります。少し朴葉の匂いが移った、初夏の爽やかなお餅です。
お餅にまつわるお話を聞いていくと、季節のことや祝いのありよう、失われてしまった習慣への郷愁に触れることができます。時代が変わってもなお、健やかな成長への祈願、山の恵みへの感謝の気持ちをお餅に託す暮らしに、私は豊かさを感じるのです。
高原に暮らして2年半。お餅つきに慣れるにつれて、伝統行事への愛おしさが増している今日この頃です。
Writer|執筆者
早稲田 緑Waseda Midori
2013年に東京から川上村へ移住。吉野林業の独特なシステムに心惹かれ、吉野林業そのものをプロモーションすることを活動の軸にしながら、新たな林業の“関わりしろ”を作る活動を行っている。