川上村の剣道交流大会と範士八段・上垣功先生の言葉が照らす、「温故知新」という真ん中の道。
写真=百々武 文=赤司研介(imato)
小手あり! 勝負あり!
振り上げた右手に鈍い痛みを感じたその瞬間、僕の剣道初試合はあっけなく幕を閉じた。紛れもない初戦敗退。日本語というのはよくできたもので、本当に「あっ!」という間の敗戦に、何をどうしていいやらわからなかった。茫然自失とはこのことか。
良い剣道でした。お疲れ様でした。
所属する「都祁剣道クラブ」の僕より歳の若い先生が、短い言葉で声をかけてくれた。悔しさと情けなさと、少しの恥ずかしさもあったけれど、「良い剣道」という一言に込められているいろんな意味と、その言葉を選んで渡してくれる先生の心模様に打たれて、年甲斐もなく込み上げるものがあった
流れるままに、たまたま辿り着いた文筆業を営んで早15年。
相も変わらず遅筆の悪癖は抜けず、体験させてもらってから半年以上が過ぎてしまったけれど、これは昨年10月に開催された「川上村第20回記念剣道交流大会」に出場させてもらったときの一幕だ。
剣道を習うようになって一年とちょっと。四十路を過ぎて武道の道に足を踏み入れることになるなんて、つくづく人生は何が起こるかわからんもんだなと、息子と通う週二日の稽古のたびに思っている。
決して頻繁ではないが、日頃から川上村を訪れることは度々ある。
源流の村。吉野林業発祥の地。人の手で育てられた、樹齢400年を超える杉の巨樹群は「歴史の証人」と呼ばれ、国道沿いに店を構える「徳岡」さんの昔ながらの柿の葉寿司と草餅は、僕の身近では「黄金セット」と呼ばれている。
高原という集落には「貝谷製麺所」というおいしい素麺屋さんがある。我が子が幼い頃は村の歴史と自然を体感できる「森と水の源流館」にも幾度となく出かけた。友人が勤めていたこともあって、今もときどき、雄大な山々を眺めながら食事ができる「匠の聚(たくみのむら)」のカフェにも寄らせてもらう。
そんな川上村の現在の人口は1,300人ほど。全国のほとんどの自治体同様に人口減少の大波はこの村にも押し寄せ、どうしたって子どもの数は少ない。だが、この日の川上村立武道場には県内外から多くの子どもたちが集まり、ものすごい熱気が会場に満ちていた。
背筋を伸ばし、礼儀作法を重んじ、大きな掛け声と共に稽古の成果を発揮しようと奮闘する子どもたちの姿は胸に迫るものがある。西洋化の一途を辿る社会のために、いよいよ失われつつある日本古来の文化の美しい側面を感じずにはいられなかった。
コロナウイルスの感染対策で入場制限を行うようになる前は、来場者が2,000人を超えた年もありました。
そう話すのは、全国に170万人いる剣道人口のうち60人ほどしかいない剣道範士八段をお持ちの上垣功さん。
村の出身者で、村在住の御年76歳。剣道を始めた13歳から今日まで、63年ものあいだ修練を続けていらっしゃる先生で、大学卒業後はメーカー企業で会社員として働きながら大阪工業大学の剣道部で監督を務めたのち、Uターン。その翌年に剣道大会を企画し、以後も村と大学との官学連携を後押しするなど、20年にわたり村内外の人の縁を結んでこられた先達だ。
剣道交流大会は20年前、「青少年の健全育成」と「地域活性化」という2つを目的にスタートした。
上垣さん:大会事業を進めるにあたっては、歯軋りするほど悔しいことや、天に向かって叫びたくなるほど嬉しいことなど、本当にいろんな出来事がありました。
そうしたいろいろがあった中でも、特に上垣先生が心を動かされるのは、会場で誰かのちょっとした心遣いに触れたときだという。
上垣さん:たとえば僕が出て行こうとしたときに、さっと足元を揃えてくれる方がいる。そんな人って最近おれへんのです。気遣い、目配りをぱっとしてくれる。やってほしいと思ってるわけではないんですよ? でも、知らずのうちにお気遣いいただく。懸命にやって、心も体も疲れ切っているときにそういった気持ちに触れると本当にありがたい。大会が成功することはもちろんうれしいけれど、そういうちょっとした仕草、お気遣いに感動するし、万感胸に迫るものがありますよね。
上垣先生が子どもたちを指導するときに必ず伝えることが3つある。ひとつは「足元を揃える」こと、もうひとつが「約束を守る」こと、そして最後が「挨拶をする」こと。
上垣さん:技術が向上することや大会で優勝することよりも、この3つをしっかりできることの方がどんなに素晴らしいか。そして、そういうことを人が見ていないところでできる人間になりなさいと、子どもたちには伝えとるんです。誰かがどこかで見てくれていて、そのことを喜んでくれるからと。古い考えかもしれんけど、外国にも日本人のそういう心、文化から学びたいと思っている人は多いんですよ……。
上垣先生はこれまで、剣道指導者として招かれて、フランスやイギリスを度々訪問している。日本の文化を伝える者として世界と交流しているからこそ、よりその意味を感じていらっしゃるのだろうということは想像に難くない。
上垣さん:千利休が、「稽古とは一より習ひ十を知り十よりかへるもとのその一」という言葉を残しているんやけど、芸事は十を知ったらまた一から習うというのが基本。それを5年10年とかけて繰り返していくうちに、段々と「味」というものが出てくる。修錬を積み重ねなければ、そこには辿り着けない。私はそう理解しています。
これは剣道でいう「守破離(しゅはり)」。まずは先生から教わったことを忠実に守りしっかり稽古する。次に他からも良いものは取り入れ、基本を破り発展させていく。そして最後に、そこからも離れて自分流をつくっていく。そのための稽古はもちろん厳しいですよ。甘やかすことはできないから。でも、厳しい稽古をこらえて続けていくなかで、奥ゆかしさや礼節、敬う心が自然と育まれていくんです。
「それともうひとつ……」と、上垣先生は言葉を続ける。
上垣さん:剣道の中には、たとえば「結ぶ」という文化が残っています。剣道着も袴も、剣道具も、どれも結ぶことで身につける。効率を考えたら、きっとマジックテープのようなものにした方がいいんやろうけど、それを頑なにやらないのは、文化を守っとるんです。正座も、和室も、剣道も、日本古来の物事はそれぞれ意味があってその形をしている。私は日本人として、それらを守りたいし、次の世代にも守っていってもらえるよう今後も育成に励んでいきたいと思っています。
明治維新以降、日本の伝統的な教えや暮らしは「古いもの」というレッテルを貼られ、少しずつ淘汰され、西洋的な効率の良さを是とする「新しいもの」にその座を明け渡してきた。着物が洋服になり、和室が洋室になり、座卓がテーブルになり、食生活も洋食が中心になった。それに伴い、人々が培ってきたさまざまな伝統的技術や知恵、経験も少しづつ失われている。
昭和の時代、田舎の人々は稼げる街へと若者たちを送り出した。50年後、少子高齢化が進み、全国の小さな集落のほとんどは存続の危機に直面している。人口減少はこの10年でさらに加速し、いたるところで神社仏閣、祭りや慣習が廃れ、途絶えてしまうだろう。
剣道をはじめとする武道も、いずれは存続が難しくなるかもしれない。ふと思う。
日本らしいと感じる風景が、どんどん消えて無くなっていく……。
決して「昔の方がよかった」などと言いたいわけじゃない。古くからの文化・慣習によって差別を受け、我慢を強いられ、傷つけられた人がたくさんいることもまた事実だからだ。「古いもの」の中には、ひどく悪い物事もたくさんあって、それらは間違いなく淘汰・改善されるべきだと思っている。
だけど僕がひとつ投げかけたいのは、その「古いもの」の中には、実は私たちが失わない方がいい美しい物事もたくさん含まれているんじゃないか、ということだ。それらが「古いもの」として一緒くたにされ、淘汰されようとしている気がしてならない。
行事や神事がなくなったとき、行為や形に内包された集落の記憶や経験、育まれるはずのアイデンティティやつながりも失われる。
剣道が失われたとき、先人たちが錬り上げた技術や精神性はもちろん、付随するさまざまな文化も消えて無くなる。
古いものにも、新しいものにも、どちらにも良い面と悪い面がある。過去を古いと捨て去るのではなく、懐古主義に陥るのでもなく、古きに学び新しい道理を得る「温故知新」という真ん中の道を照らしたい。
上垣先生のお話を伺った帰り道、川上村の雄大な山々を眺めながら、そんなことを思った。
Writer|執筆者
合同会社imato代表。編集者/ライター。1981年、熊本県生まれ。神奈川県藤沢市で育ち、2012年に奈良県に移住。宇陀市在住。2児2猫1犬の父。今とつながる編集・執筆に取り組んでいる。