奥大和ライフジャーナルOkuyamato Life Journal

川上村 2020.10.1 / コラム

じいちゃんが植えた木を父が育て、俺が伐る

写真・文=百々武(写真家)

室町時代から500年続く「吉野林業」発祥の地、奈良県川上村。木という命を扱う林業に触れたくて、川上村で林業を営む中平武さんの現場に同行した。

6時30分、武くんの自宅から集合場所まで彼の車に乗せてもらう。

1977年、川上村生まれの武くんと僕は同い年。下の名前も同じ武。

彼は19歳から山に入り始めた。当時はバブルの下り坂。材木の値段が下がり始めた頃だったが、それでも今より栄えていたという。本格的に外国産材の輸入が増え、値段はどんどん下落。廃業する人も見てきた。今は、ヘリコプターを使って木を山から下ろすと経費が嵩み、利益は出るか出ないかの瀬戸際だ。

今日の現場で、杉の皮を一生懸命剥いでいるけど、果たして売れるか。コロナの影響で値段が安くなる可能性もある。杉は中の色がピンクだったらいい値がつくけど、黒かったらめちゃめちゃ安くなる。ある程度はわかるけど、伐ってみないとわからない。バクチみたいなもんやわ。

そう言いながら、武くんは小さく笑う。

彼の祖父は入之波(しおのは)という地区の奥で炭焼きをしていた。雑木山を伐って、炭を作り、里に売っていた。やがて石油がエネルギーの中心になり、都市ガスの整備、プロパンガスの普及で炭や薪の需要がなくなった。武くんが物心ついた頃に祖父は引退。その山にいま、檜と杉が植えられて60〜70年になっている。

祖父が伐って、出して、植えてを繰り返し、それを父が手入れして、いま武くんが除伐している。

まだお金にはなってないけど、俺が生きているうちに材として出せるか、どうか…

7時00分、集合場所に全員が揃い、山道を歩く。

清流、滝、木々の間を30分、黙々と歩き現場に到着。今日の工程を打ち合わせた後、朝食をとる。「歩いた後、外で食べる朝飯はめっちゃうまい」と彼は豪快にコメを口に放り込んだ。

間伐して山に風を通さなあかん。放っておいたら根が張らへんから土砂崩れになるし。密植のなかの木がグッと伸びていくと、隣の木は弱ってくる。それを「落ち木」と呼んでるねんけど、いずれ「落ち木」は隣の木に負けて立ち枯れになってしまうから伐る。

あと枝と枝が絡んできたら間伐やな。隣の葉っぱで日が当たらんようになってきたら、年輪が細かくなるねん。お日さんがよう当たりだしたら年輪が太くなる。年輪が細かい方が強度が強くなる。

神社仏閣やと1センチで10年から11年。1年で約1ミリ。間伐で広げすぎると急に年輪が大きくなって強度の差ができて割れてしまう。年数に応じて木と木の間隔を調整してる。伐り出すときは生きてるか分からへんけど。息の長い仕事や。ほんまに…

伐採する杉にロープをかける。本日の一本目。

倒した木に傷がつかないよう、周辺の低木を刈り取る。枝葉の量や風を計算し、倒す方向を決め、チェーンソーで受け口を調整していく。

狙った場所に樹齢130年の杉が倒れる。
「ドン!」という音が静かな山にこだまする。

経験に培われた一連の所作は美しい。すぐに倒した木の皮を剥ぐ作業に取り掛かる。同じ面積になるように定規で測り、全員で皮の隙間に道具を差し込み剥いでいく。

皮を剥がれた杉の表面に触れてみた。水分が浮き出てしっとりとしていた。

木が水を吸い上げていることを感覚する。剥いだ皮は神社仏閣や家屋の屋根として使用される。

皮取りは一緒や昔も今も。やってることは。80年前の写真もこんな感じやったわ。違うのは、ヘルメットとチェーンソーとヘリコプターくらいちゃうか。

伐って皮を取り、運ぶ。長い時間を経て先代と繋がる熟練の手仕事。連綿と受け継がれてきた山のこと。そのバトンをいかに次代に繋いでいくか。

一人ではできない仕事やから。今のメンバーやったらあと10年もしたら仕事ができなくなるから、若い人を育てていくことが必須になる。森、山を育てていくことと並行して人を育てていかないと、歴史が途絶えてしまう。休憩時間でもなんでもいいねんけど、昔はこやったああやったと見聞きした話を若い人に伝えることも含めて、歴史が途絶えてしまうから。

人を育てることは難しい。自分でちゃっちゃとやってしまったら簡単やけど、あれやっとけ、これやっとけ、でできる子やったら一人前。あれしてこれしてこうしといてやって1から10まで言うたらその子のためにもならへん。6か7まで言ってあとは本人に考えさせて。危険な仕事やし。怪我させられへんから、どうしても厳しくなる。誰か怪我させてもあかんし。

川上村の林業を守り育てること、家族を養うこと。
生きることと直結していて、仕事に想いと誇りがある。

見渡す限りの山に木がある。これ自然に生えたんじゃない。人の手で植えられたわけやから。人の手で還していかんなあかん。

祖父の代のずっと前から続いている森との共生。彼はその循環の只中に立っている。

この仕事は誰かがせんとあかんよって。

彼の言葉の振動が僕の中で共鳴する。
同じ時代を過ごす誰もが、どこかで、何かに、生かされ、生かし、生きている。
生まれて死んで終わりではない。
八百万の存在と共に人は、自利と利他の絶妙なバランスを築いてきた。
それは、有り得るべき未来へ木を植えているかのように、川上村の木々が教えてくれる。

Writer|執筆者

百々 武Dodo Takeshi

1977年、大阪生まれ、奈良育ち。写真家。高取町在住。2009年、活動の拠点を東京から奈良に戻す。2017年、奈良県川上村に移住。匠の聚事務局で勤務。川上村での暮らしで体現する真っ新な時間を撮影。

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