奥大和ライフジャーナルOkuyamato Life Journal

大淀町 2022.7.27 / コラム

土着民だけどエイリアン。大淀町に住み続けてしっくりきたのは、「ハイブリッドなまち」という位置づけ。

写真・文=菊田恭子(marusica

私が住んでいる「大淀町」は、奈良県のほぼ中央、吉野郡の北に位置し、「吉野の玄関口」と紹介されることが多い町だ。まちなかを吉野川が流れていて、自宅からは紀伊山地の山々が見えるにも関わらず、幹線道路や電車が通っているので近郊都市へのアクセスも便利。生活するには困らない田舎だなと思う。

でも一方で、「なんにもないな」と思って暮らしてきたことも事実。

初めて会った人には「奈良の吉野から来ました」と言うことにしている。大概の人が、「あ、吉野から。遠いところから来られたんですね」と会話が成立するからだ。

奈良の北部の人にも同じように自己紹介をする。「吉野から来ました。大淀町なんですけどね」と話しても、「あ、聞いたことあるなぁ」という反応がほとんど。結局「吉野の近くなんですよ。天川村とか行かれます? 絶対にうちの町を通ってますよ」と付け加えることになる。

吉野山に行くにしても天川村に行くにしても、通り道。近くのスーパーや道の駅でバーベキューの食材を買うのに立ち寄る、「通過点な町」なんだなぁ…と感じている。

都会で住む意味と田舎で暮らす意味

若いころは都会への憧れもあって、京都の大学に進学が決まったときは実家を離れる気満々だった。

両親から出された条件は「大学へは家から通うこと」だったけれど、どうにかなるだろうとタカをくくっていた。しかし、2年間続けた交渉は実を結ばず、片道2時間半の電車通学を4年間続けることになる。

当時はよく「え! 吉野から来てるの? 通ってるん?」と驚かれた。

友達が家に泊まりに来たときは、明かりの少なさと星の多さに感動されたことを思い出す。それでも近くに駅があったからなんとか通うことができた。単線で本数は少ないが、今日も夜遅くまで電車の音が響いている。

就職活動は、当然のことのように大阪や京都の企業をまわった。

会社員か公務員になる選択肢しかないと思い込んでいたあの頃。当時主流だった金融業界には目もくれず、興味のある企業ばかりを受けた。しかしご縁がなく、結局自宅から車で15分ほどのところにある企業に就職した。また都会からは遠のいた。

休日は興味のあることに費やし、平日は会社員として働く。そんな風に暮らしていたので、地元のことはなにも知らないままだった。

貿易実務の仕事はそれなりに充実し、後輩もでき、仕事をすっかり任せられるようになったころ、急に大阪本社への異動となった。最寄り駅から近鉄電車で天王寺まで。片道1時間半の通勤時間はどうにも無駄としか思えず、「大阪に住めばいいんちゃうん?」と言われることもあったけれど、気がつけば「大阪は私にとっては住む場所ではないなぁ…」という気持ちに変わっていた。

都会は働く場所であり、遊ぶ場所であり、刺激をもらう場所。憧れはすっかり薄まり、自らが移動することで手に入る物事もたくさんあるとわかってきた。たまに買い物をして、たまに友だちと食事をして、お酒が入れば最寄り駅まで電車に揺られて帰ればいい。仕事が終わってから観劇もできる。そんな日々を送りながら、田舎に暮らしてはいるけれど都会の生活も満喫できる、そんな環境に住んでいることに気がついていく。

そうするうちに、興味の幅はだんだん広がりはじめる。

山登りを始めた。
カメラに興味を持った。
コーヒーのおいしさに感動し、コーヒー教室に通った。

師匠であるパン屋のご夫婦には奥大和のいろいろな山へ連れていってもらった。朝が早い登山。集合時間が午前5時でもまったく苦ではなかった。

山登りに行くうちに、地元への興味も湧いてくる。都会から田舎へ移住してきた人たちの生活ぶりも目にすることで、私の町はどうなんだろうと考えるようにもなっていく。

この町の魅力ってなんだろう?

そして、私なりに「近場のいいところ、近場の魅力を発掘したい」という思いが募りはじめる。ずっとこの町に住み続けてきた土着民だけど、一番身近なコミュニティには属していないので、誰を頼って、どこに行けば話ができるのかがわからない。我ながらエイリアンのようだ。

それでも、「この町の魅力とはなんだろう?」と思いを巡らせてみる。

商店街の雰囲気は風情があって素敵だから、あの一角でコーヒーショップをするのはどうだろう。いや、一杯500円のコーヒーが根付くのか? でも、天川方面への観光客は下市口駅で乗降するのだから、おいしいコーヒーショップがあれば立ち寄ってくれるはず。できればお土産も置きたいし、近所の人の交流の場にもなってほしい…と妄想は膨らむ。

そうこうするうちに、また地元勤務になった。急に時間ができたこともあり、写真教室に通いはじめたのだけれど、これが私に大きな変化をもたらすことになる。

今まで会ったことがない業種の友達もたくさんできた。働くことの多様性、組織に属する意味。フリーランスの可能性。地元に根付いて働く友達を見て、「あれがない」「これが足りない」と短所ばかりに意識を向けている自分に気がつく。

住んでいるだけでなんにも知らないんだな…。

コロナ禍で人にも会えない時期。積極的に町に目を向けた。

隣町のあの橋までカメラを持って歩く。
あのスーパーまで歩いて、買い物をする。
いつも車から横目で見ていたあの公園の桜を撮りに行く。

家から見えるあの小山の桜並木を歩いてみよう。知らなかったけど、けっこういいところあるんだなぁ。

公園から桜越しに見える大峰の山々

鳥居の向こうには近鉄電車の「青の交響曲」が走る

お寺での講演会には人々が集まり

素材にこだわったカレーは絶品

おひとりで育てられているバラ園は入園無料

午後には売り切れている人気の「二十世紀梨」

吉野山へは車で20分。天川までは40分。少し行けば世界遺産でちょっとお散歩、なんてことも当たり前にしていた。見過ごしている価値を見出すことで、もっと豊かでわくわくした生活が送れるような気持ちになっていた。

不便と便利のあいだという可能性

17,000人あまりの町にはスーパーが3つあって、ホームセンターは4つある。ドラッグストアも3つあって、100円ショップや衣料品店もある。

個人のお店ももちろんで、JAや道の駅も含めると日々の生活に困ることはまずない。欲を言えばもう少し外食の選択肢があって、特にからだに優しい食材にこだわるお店があったらいいなぁと思ったりはする。でも、今の世の中、価値を見つけて遠くからでも人は来てくれる時代になったから、いつかお店をする人も現れてくれるだろう。

そんなふうに考えると、こんなちょうどいい町はないんじゃないかと思えてくる。

田舎といえども生活するには不便がない。最寄り駅まで徒歩圏内。平日は大阪に勤めに出かけ、週末はアウトドアを楽しむような、ハイブリッドな生活ができる。これこそがこの町の魅力なのかもしれない。

お隣さんとのお惣菜のやり取りは今でも健在。子どものころは玄関に採れたての野菜が置かれている、なんてことも日常だった。ご近所付き合いはつかず離れず、新しい空気の循環もされればいいなと思う。

ずいぶんお世話になった総合病院が移転し、廃墟のようになった建物の取り壊しがようやく終わった。ここには新しくこども園ができ、高齢者の憩いの場所もできる計画。取り壊しが始まると決まったときから毎日変わっていく景色を写真におさめている。記憶が薄れていくなか、記録として残し、また新しい歴史が始まる。

建物の変わりゆく姿を撮っているつもりだけど、周りの景色から季節の変化に気づく。今まで見えなかった遠く大峰の山が写っている。

「小さすぎない町だから、かえって何も生み出さない、生み出せないのか?」と思ったりもするが、改装されたスーパーには今までにはなかった、からだに優しい商品が並べられていたり、こだわりの喫茶店ができたりと、確かな変化も感じている。

相変わらず私は何も生み出してはいないけれど、モノとコトをつなげていく人にはなれるのではないか。つながりから芽が出てわくわくが育っていけば、このハイブリッドな生活がさらに快適になっていくのかもしれない。私が知ったまちの魅力を共有していくことで、興味を持ってくれる人も増えて、もしかしたら大淀町へ移住する人も出てくるかもしれない。

そんな野望を抱きながら、つながった人やモノコトを写真と文章で伝えていきたいと、今密かに思っている。

Writer|執筆者

菊田 恭子Kikuta Yasuko

大淀町出身・在住。大学時代に所属した文芸部で書くことの楽しさを覚える。現在、地域の魅力的な人たちや興味深いものごとを写真と文章で伝えたいと「marusica(マルシカ)」の屋号で活動中。

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