奥大和ライフジャーナルOkuyamato Life Journal

大淀町 2022.12.27 / コラム

農家になるなんて想像もしなかった夫婦が大淀町で歩む、二面性のある暮らし

文=吉川沙知子(吉川農園/沙々商店

大阪から大淀町に移住してきて4年が経ち、

「·····吉川夫妻? あぁ、農家やってる夫婦でしょ」

今では、そう認識してもらえるようになってきました。

無肥料・無農薬で種からお米や野菜を育て、それをもとに糀や味噌を作ったり、漬物を漬けたり、お庭で燻製をしたりして、「なんだかもう、すっかり農家さんだね」なんて言われます。

そう、そうなんです。さながら、農家の暮らしを満喫しています。

だけど一方では、自宅から徒歩圏内のスーパーに買い物に行き、端から端まで食品を物色したり、大阪時代とさして変わらない自分もいます。

お米や野菜は作っているけど、お肉やお魚はがっつりスーパーに頼っています。

ふと周りを見ると、猟銃の免許を取ってイノシシを捌いたり、ヤギを飼ったりと、より自給する生き方を選んでいる人たちがいて。私たちは全部自給できている訳じゃないので、「自給自足」と言うには「中途半端」だと感じる人もいるかもしれません。

住んでいるお家は古民家なのに、家の半分はリフォームされていて現代風の装い。そこを活かして壁紙を北欧カラーでまとめましたが、日本の古民家好きにはちょっと物足りないかも?

壁紙を張り替えたダイニング

自宅がある場所も、町内で一番多く建物が立ち並ぶ街の中。駅までも徒歩5分と、そこそこ便利。田舎なのに、田舎らしさが少し弱めの地域に住んでいるところも、「中途半端かもな…」と感じるところのひとつです。

食への危機感が「自給」への期待に変わる

さて、みなさんが田舎へ移住したいと思うのはどんなときでしょうか?

自然の近くに住みたい。
のんびり暮らしたい。
農業がしたい·····とか?

私が田舎に興味を持ち始めたのは、食への危機感からでした。

もしも街のスーパーから食品が消えてしまったら、毎日の主食にさえ困ってしまう。その「与えられているから生きられているだけ」という事実に、ある日唖然としたのです。

大阪の岸和田市にある岸和田港近くの商店街で生まれ育ち、生活に必要なものはなんでも、近所のおっちゃんおばちゃんのお店で、お金で買うのが当たり前でした。道路はアスファルト、港はコンクリートで固められ、土に直に触れる場所はほとんどありませんでした。

田んぼや畑を見ることも稀で、遠足で出かけたときなどに、風景の一部として目にするくらいのもの。そこで自分が食べているお米が栽培されているということすら、よくわかっていなかったような気がします。

「社会で活躍して認められる=仕事で結果を出す」ことだと思っていたので、大人になって都会に出てからは、とにかくがむしゃらに働いていました。お金というものさしで自分の価値が決まる。それが当たり前のことだと思っていたんです。

だから、「農家になる」なんて想像もしていなかった。

ただ、段々と「ほんの少しでも、自分の手で日々の食べるものを生み出せたら、どんなにいいだろう」という淡い期待を抱くようになりました。

毎日の中で見えてきた「農家になる」という選択肢

大阪で開催されていた田舎暮らしフェアに参加したことがきっかけで大淀町と出会い、2018年の秋には、夫婦で地域おこし協力隊となってこの町にやってきました。そして活動するなかで、稲刈りを手伝わせてもらい、「コンバイン」という機械があることや、玄米になるまでに「乾燥」や「籾摺り」という作業があることもはじめて知りました。

はじめて見たコンバインの迫力には驚いた。

春、ぬかるんだ田んぼの中に足を踏み入れ、ドキドキした日。
土を鍬で耕すのも、はじめてでした。

農家さんたちと一緒に山に行き、畑作業をして、知らない葉っぱの名前をひとつずつ覚えました。小学生の頃に戻ったみたいに、なにもかもが新鮮で、1年がすごく濃密に感じられました。

運命とは不思議なもので、そんな日々を過ごすうちに、いつのまにか私たち夫婦が想像もしなかった「農家になる」という選択肢が見えてきたのでした。

お米作りをイチから教わる。

夫は昨年、「吉川農園」を立ち上げ、専業農家になりました。

夫も街育ちで、まったくの農業未経験者。専業で農業をすると決めることは彼にとっても大きな決断だったと思いますが、今ではすっかり農業の魅力にハマって、大阪にいたときよりもなんだかいきいきとしています。

私もしっかり農作業のお手伝いをしつつ、この秋からは「沙々商店 (ササショウテン)」という名前で、予約制の小さなお茶飲み場をスタートさせました。

玄関の奥は小上がりになっていて、500円でお茶が飲める。

店頭でお米や野菜を販売。

私だけでは「専業農家をしています」なんて胸を張れる自信はありませんが、夫婦揃って田畑で作業する時間はとても楽しいし、収穫したものを調理して日々のごはんをつくることや、買ってくれた誰かの喜ぶ顔を見ることには、この上ない幸せを感じています。

大阪に住んでいた頃は、「与えられるものから選ぶ」ということしかできませんでした。特に食に関して、自分たちで生み出す術を持たない私たちは、なんて無知で無力なんだろう、と強く思ったものです。

「農薬を使っていない」とか、「添加物が入っていない」とか、「作り手の顔の見える」とか、そういう選択肢の中から自分たちに合うものをお金で買っていて、それはそれで満足していたけれど、自分たちで生み出す力がなかったことが強い危機感や焦燥感になっていたのだと思います。

時にはスーパーで市販されるお菓子を買ったりもするし、ジャンクフードを食べたりもするけれど、そうしていたって今は、「自分たちで日々生み出すもの」と「社会から与えられるもの」のバランスがとれているからか、何があっても生きていけるという安心感があります。

田舎なのに田舎らしくない町も、古民家なのに半分は現代風なお家も、夫にくっついて(背伸びをして)農家を名乗りながらお茶飲み場をオープンさせちゃう自分も、なんだかとっても愛着がもてるのです。だって、大淀町にはちゃんと田舎の部分があり、今のお家にはちゃんと古民家の部分があり、今の私はちゃんと自分の手で食を生み出せている実感があるから。

今年は2町(約2ha)の田んぼの収穫を終え、来年は3町の田んぼで稲作予定。

畑での野菜作り。

これまでもこれからも、二面性とともに生きていく

思えば、私はいつの時代も、中途半端で二面性のある人でした。

真面目に社会人をしながら、バンドでエレキギターを掻き鳴らして歌ったり、飛び込み営業をしながらほっこり自宅でパンを焼いたり。幼馴染のあいだでは「最初に結婚して専業主婦になりそうだ」と言われていたのに、なかなか結婚せず仕事ばかりしていました。

そんな私が今では田舎へ移住し、農業に携わっている。

どっちつかずな私も、中途半端な暮らしも。すべて、その時々の私に必要な挑戦であり、成長の過程。一足飛びに何か理想を実現することなんてできないから、ひとつひとつコツコツと日々を積み重ねていくのです。

私の人生もまだまだ道の途中で、ここからどう変化していくかわからないけれど、自分が満足できるぐらいは、日々の衣食住を作って生きていきたい。

お家の改装の様子。町内の左官屋さんに来てもらって、みんなで漆喰塗りを体験。

真っ白な本漆喰を塗り終え、すっかり田舎のおばあちゃん家みたいなお茶飲み場スペースができました。

自家採種した種を瓶に入れて並べています。少しずつ数を増やして、種をつなぐ場所にしたい。

お茶飲み場「沙々商店」は、まだ始まったばかりですが、私と同じような、田舎暮らしや農家になるなんて考えたこともないという人たちに、自分の手でモノを生みだす喜びや地味な日常を大切にすることでの深まり、みたいなものを伝えられる場所になっていくといいなぁと考えています。

毎日大切に育てているお米やお野菜、自家採種している種が必要な人に受け継がれていき、それがいずれ、その人たちの自給のひとつになったり、暮らしに根づいていくのが、今の理想です。

私たち夫婦だって4年前まで、農業のことなんてなーんにも知らなかった。

「農家さん」と呼ばれると、なんだかこそばゆいくらいですが、普段の食卓や毎日のワンシーンが農家のそれだなと感じるとき、とても満たされます。

街育ちの私には、この二面性のある街中の、二面性のあるお家で歩む、二面性のある暮らしがとってもしっくりきていて、毎日がとても幸せです。

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