映画のご縁をきっかけに。「光明寺子屋」の仕掛け人が生み出す相乗的な化学反応。
写真・文=菊田恭子(marusica)
「お寺ってどんなイメージ?」と聞かれてあなたはどう答えるだろう。
法事のときに訪ねるところ、観光スポット、座禅や写経などの体験の場、はたまたありがたいお説法を聞ける場所という人もいるだろうか。
最近は「イケ住」なんて言葉も目にするようになり、「住職」という言葉もポピュラーになってきたようにも思うけれど、個人的には日頃から訪ねることが多いわけでもなく、お寺は特別な場所というイメージだった。
私の住む大淀町にある龍王山光明寺。歴史も古いこのお寺のご住職と関わりを持つことになってから、少しずつ縮まっていくお寺との距離感。人との出会いで固定観念は変わっていく、という話をしていきたい。
お役をいただいた母に伴い、カメラ片手に訪ね始める。
光明寺の門徒の子である私は、小さい頃からお正月、お盆、報恩講(浄土真宗の開祖・親鸞の祥月命日の前後に営まれる法要)の際には仏壇の前に座り、ある時は父が、ある時はお寺の住職が唱えるお経をわからないなりに唱えて育った。
母は毎月の月命日を欠かさず、仏壇のお花も絶やしたことはない。どちらかと言えばお寺は身近にある家庭だとは思う。ただ、子どもの頃は何かと「早く終わらないかな……」と思っていたのは確か。
2007年から2019年までの12年間、母はお役をいただいて、しょっちゅうお寺に通うことになる。時には数珠づくりワークショップ、時には京都への参拝やローズガーデンへの遠足。子どもたちを集めて流しそうめんやかき氷で賑わすミニ縁日。もちろんお彼岸や報恩講のお参りに来られる参拝者のお接待もあった。
月のスケジュールは結構な頻度で、お寺の行事で埋まっていたように記憶している。
意外にお寺っておもしろいこともしているんだな。
母がお役をいただいてから、私の中でお寺との距離が少しずつ縮まっていった。やがて写真が趣味なこともあり、母の付き添いでカメラを持って法要に出かけるようになる。
住職の三浦明利さんは、なんと歌手としての活動もしている方。
のびやかな声が心地よく本堂に響く。その姿を撮ってみたいと思いお声がけすると、快諾をいただき、以降撮影係として時々写真を撮らせていただくことになる。撮った写真はお寺の広報に載せていただいたり、どうやらお役に立てているようでありがたい。
お寺で映画?! おもしろそうな予感。
お寺で「映画塾」なるものを開催しようと思うので、写真を撮ってもらえないか?
昨年の終わり頃、三浦さんから連絡をいただく。その時は具体的なことは何も聞かなかったけれど、ただただ「これはおもしろそうだ」という予感があった。わくわくして、二つ返事でお受けした。
後から聞くと、映画塾が企画されたきっかけはこういうことらしい。
ある日、奈良県出身の映画プロデューサー・河井真也さんから三浦さん宛に連絡が届いた。聞くと、奈良を舞台に映画を制作したいと考え、以前テレビで観た「歌う住職」を思い出し、著書を読み、三浦さんをモデルにしたシナリオを作成。勝手にモデルにしたのでご本人に確認を取るために連絡をしたというのだ。そして後日、わざわざ東京から大淀町まで会いに来たという。
奇しくも三浦さんが歌手として活動を始めるきっかけとなったのが、河井さんが手がけた映画との出会いだった。その映画と音楽に影響を受け、音楽を始め、歌手活動をするまでになったのだった。そして河井さんから、自身がプロデュースした映画をお寺で上映してはどうかという提案があり、あれよあれよと2年間に渡る上映スケジュールが決定した。
映画塾はどんなものになるのか。私は何をすればいいのか。最初のやり取りは、「撮影係としてスケジュールが合う日にお寺に来て、好きなように写真を撮ってください。河井さんもご紹介するので、菊田さんの写真にも良い影響があるかもしれませんね」というような内容だったと記憶している。
私にとっては、「これは何か広がりがあるかもしれない。あわよくば映画のプロデューサーさんとお近づきになれて、今後の私の人生に大きな変化があるかもしれない!わー!」などと勝手に妄想し、「映画塾」への期待が膨らんでいった。
しばらくして、三浦さんから「顔合わせの集まりに出席できませんか?」という連絡をいただく。
有名なプロデューサーに紹介してもらえる日が本当に来るなんて。
少し緊張しながらお寺に出向く。約束の時間より少し早く着いたけれど、すでに人が集まっている様子。「こちらへ」と通された部屋には長机が置かれ、ずらっと椅子が並んでいる。
あれ、なんだろう。思ってたのと、ちょっと違う……
軽い気持ちでやってきた私は、そう心の中でつぶやきながら空いている席に着いた。顔ぶれを見ても知らない方ばかり。ただひとり、母と一緒にお役をしていた方の顔を見てホッとする。
机の上にはレジメが置かれ、「光明寺子屋」の文字が。
三浦さんから河井プロデューサーの紹介があり、河井さんの挨拶。その後、各スタッフが自己紹介をと促され、軽い気持ちで引き受けたことを少し後悔しながら私もみなさんの前で名を告げ、簡単に挨拶をする。
あー、巻き込まれた!!
心の中で大きく叫んだ。
「映画塾」は2年間を通じて色々な学びを提供する「光明寺子屋」の一部に過ぎなかった。映画上映は2か月に一度。その他の月は三浦さんが担当し、コンサートやこどもまつり、書道体験などバラエティ豊かな内容が企画されていた。そして、私の名前は「写真撮影担当」という肩書きと共に、しっかりとスタッフ欄に記載されていた。
今後の運営について、スタッフの参加日程や役割について……と話は進行するも、私の気持ちは穏やかではない。
聞いていたのと違う。写真係に任命されているやん。好きな時に行けばよかったんじゃないのん……。
頭の中は「?」だらけ。しかも、私以外のスタッフの方々の様々な経歴に若干の引け目を感じながら、第一回の会議が終了。
こんな気持ちで2年間、参加できるのだろうか……。
そんな私の心のうちを知ってか知らずか、定期的に三浦さんから連絡は届く。私は「こんなに大層な企画だとは思わなかったので、お役が自分に務まるかどうか不安です」と正直に告げると、「来られる時に参加してもらったらいいですよ」というお返事。その言葉にホッとして、とりあえずやってみることにする。
そして、第一回目の映画塾の日がやってきた。
いよいよ動き出す「光明寺子屋」のものがたり。
「お寺で映画を上映する」と聞くと、小学生の頃、体育館に全校生徒が集まって鑑賞したような題材を思い浮かべるかもしれない。しかし、映画塾での上映ラインナップはそういうのじゃない。実にエンターテイメント性に溢れている。
記念すべき第一回上映作品は、南極大陸に置き去りにされた樺太犬のタロ・ジロと、高倉健扮する南極観測隊員が1年後に再会する様を描いた『南極物語』(1983年公開)。実話に基づいて制作された作品で、撮影に3年余をかけた大作映画だ。河井プロデューサーが初めて関わった作品でもある。
受付開始の1時間前にお寺に集合し、準備をスタート。仕事の振り分け、受付台の準備。スタッフ同士の会話もだんだんと弾み出し、お手伝いの子どもたちも加わる。私はその様子をカメラに収めていく。
なんだかいい雰囲気。和気あいあいとはこういうことだな。
駐車場、受付、本堂。それぞれの役割を雑談も交えながら進めていく。やがて受付時間になり、あちこちから参加者がやってくる。
参加者の中には懐かしい顔もちらほら。近所に暮らしながらも会うことはない同級生。何十年も経って、お互い大人になって、もはや見覚えのない顔なのに時間は一気にタイムスリップ。あれやこれやと昔話に花が咲く、予期しなかったうれしい出来事だった。
参加者はきっとお寺の活動を支援している方が大半だと思っていたけれど、河井さんの講演を聞きたい方や『南極物語』を観たい方など、たくさんの参加者に足を運んでいただいた。
ファインダー越しに見る笑顔が溢れる交流の場
いよいよ上映がスタート。
1983年の公開当時、家族で大阪まで出かけ、映画館での席取り合戦に敗れ、もみくちゃになりながら大人に混じって立ち見で鑑賞した思い出が蘇る。本堂のスクリーンに映し出されたタロとジロの物語。涙を流している方もいた。
我ながら、すっかり映画に浸った。時の移ろいを感じながら、CGもない時代にたくさんの犬たちに演技をつける、極寒の土地での撮影。様々な苦労が想像される。上映が終了すると、本堂は自然と拍手に包まれる。
河井プロデューサーの講演が始まる。動物プロダクションもなかった時代に動物映画を作る苦労、出演交渉の話、撮影場所やお金の話など、今見たばかりの映画の制作秘話が次々と語られる。私も写真を撮りながら話に聞き入る。
改めて『南極物語』の本当の物語を知った気持ちになった。参加者も食い入るように話を聞き、時々笑い声が本堂に響く。質問コーナーではたくさんの人が手を挙げ、様々な質問を投げかけた。
最後に設けられたお楽しみタイムでは、子どもたちも手伝って、あみだくじ抽選会が行われた。終わってみれば、盛り上がって予定時間はかなりオーバーしたものの、第一回目は滞りなく終了。参加した私の母も、久しぶりに会った同級生も「楽しかった、次も参加するわ!」という言葉を残して帰っていった。
当初、なんだか腑に落ちない部分があった私の気持ちも、気づけば「楽しかった!」に変わっていた。
三浦さんの行動力はどこから来るのだろう。お話しをしていても、すべて受け入れるという気持ちが溢れているように感じる。
次回の上映は、三浦さんが音楽活動に影響を受けた岩井俊二監督作品『スワロウテイル』。 内容からして、お寺で上映するには不向きな映画であるように個人的に思わなくもないけれど、それをもさらりとやってのけるボーダーレスなところも三浦さんの魅力なのだろう。
今流行りの「多様性」という言葉をわざわざ掲げるのでもなく、集まったスタッフを見ていると、その人その人の特徴を見出す力を感じる。異業種の人が集まり、知恵を出し合い楽しんでいる様子がファインダーを通して伝わってくる。
さて、第一回を終え早4ヶ月が過ぎた。この時はまだ、今後光明寺子屋で行われる「こどもまつり」に予想をはるかに超える親子が参加がすることになるとは想像もしていなかった。
一本のダイレクトメッセージから始まった、小さな町のお寺の物語を、私はファインダー越しに見続けることとなるのだけど、そのお話は、また今度。
Writer|執筆者
大淀町出身・在住。大学時代に所属した文芸部で書くことの楽しさを覚える。現在、地域の魅力的な人たちや興味深いものごとを写真と文章で伝えたいと「marusica(マルシカ)」の屋号で活動中。