奥大和ライフジャーナルOkuyamato Life Journal

吉野町 2020.2.14 / コラム

修験の地、吉野

写真・文=片山文恵(KAM INN

日本の山岳信仰、修験道(しゅげんどう)。

1300年を超える日本独自の自然信仰だが、聞きなれない方も多いだろう。「山伏(やまぶし)の格好をして山の中で修行を積む人々の信仰」といえば通じるだろうか。古くは単に“修験”と呼ばれていた。かつては日本中、山のあるところには必ず修験の信仰が生きていた。

日本三大桜の名所として有名な奈良県、吉野山。紀伊山地の入り口とも言えるこの地に修験道の根本道場「金峯山寺(きんぷせんじ)」はある。

私がはじめて吉野を訪れたとき、修験道に関する知見はまったくなかったが、金峯山寺を前にして、今まで感じたことのない感覚が全身を駆け抜けたのを今でも鮮明に覚えている。あれは何というか、土地の醸し出す原始的な力強さ、そのようなものだったと思う。

そして今、私は吉野で暮らし、行者(山伏)として修行をしながら宿の女将をしている。
これを人は“ご縁”と言うのだろう。

修験の道

吉野山の行者たちが口を揃えて言う言葉がある。

「すべては山に入ったらわかる」
「修験の神髄は体感しないとわからないものだ」
「すべての本質はお山が知っている、それは言語化できるものではない」

修験とはいったい何なのか。触れたことのない世界を知りたいと思った。

修験道は言ってみれば、ありとあらゆる宗教がごちゃまぜになっている原始的な信仰だ。あまり体系化されていない信仰だからこそ、同じ修験道でも山によって随分と信仰のかたちが異なる。

吉野の修験道は密教色が強い。

私たちはこの道に入るとき、密教僧のように得度受戒し、名を与えられる。一度入ったら戻れない道だ。今の生涯を終えるまで(宗教的には来世も)、この世が少しでも良くなるように、皆の願いがより確実に神仏に届くようにと修行を続ける。

その中で「菩薩行(ぼさつぎょう)」という最も基本的な修行がある。私たちは常に菩薩行をして生きる。「菩薩行」とは、世のため人のために常に祈り、行動し、尽くすこと。得度し、名を与えられた瞬間から私たちは、他のことを祈る存在に生まれ変わるとも言えるだろう。生まれ変わる。だからこそ、戻れない。

私は吉野に移住するタイミングで会社員を辞めた。

そのときは「私は一心に宿がやりたいのだ」と認識していたが、今思えば私は「菩薩行」がしたかったのだと思う。皆が安心できる場所、すべての柵(しがらみ)や重荷から解放される場所をつくりたくて、吉野で宿の女将になった。

得度をするかどうか、とても時間をかけて考えたが、ひとつひとつ分析していく中で、私の中のいろんなものがつながった。一度入ると引き返せないこの道を進むことを決めた。

2018年の春、
私は得度し、行者となった。

修行をするとは

修験道の世界は基本的に口伝(くでん)であり、その教えは文字で学ぶのではなく、自らの体を使った修行によって五感で感じるのが基本である。

「実修実験」という言葉が修験の語源であり、それは読んで字のごとく「修行を自ら実践することで験(しるし)があらわれる」という意味だ。「験」というのは、法力とも言い換えることができようが、つまりは祈りを神仏に届ける力である。

「修行」というと、どんなイメージを思い浮かべるだろうか。

滝に打たれる、座禅をする、山を歩く、お経を読む…修行と一言に言ってもさまざまなものがあるが、毎日行う基本のひとつに毎朝の「勤行(ごんぎょう)」がある。

「勤行」とは朝一の祈りの儀式、読経であるが、勤行を日々欠かさず行うことで、抖擻行(とそうぎょう:山の修行の意)をはじめすべての修行の質が上がると言われる。これは「感度が上がる」と言い換えられるだろう。

毎日毎日、365日、同じ時間に、同じことをする。そのうちお経は空(そら)で言えるようになるし、各所作や作法も考えずとも自然に体が動くようになる。ただただ“今”にだけ集中できるようになる。

呼吸、声、太鼓の音、日が昇る時間、線香の煙の漂い方、足の痛み、虫や鳥の声、空気の湿度、自らの精神…。

そして気が付く。
すべてつながっていることに。

毎日、誰も見られていなくても欠かさずつづける勤行。
毎日、同じことを繰り返すだけに思える勤行。
この行為もきっと、何かにつながっているのだ。

1年目の冬、「あぁ、これか」と思った。
これはまだうまく言語化できない。あのときは感動した。

見えてくるもの

そんなさまざまな気づきがどんどん増えていくのが修行の工程なのだろう。
この「あぁ、これか」が繰り返される中で

「あぁ、これが伝わる祈りか」
「あぁ、これが私たちか」
「あぁ、これが世界の本質か」

今世ではないかもしれないが、そう気づける日が来るのだと思う。

このようなことを修験では「野性の感覚を取りもどす」と表現される。私たちは、「太古の昔、“野生動物”から“人間”になったことで、何か大切なものを失った」と考えるからだ。

その“何か”は、自然の中にある。

木、草、花、虫、岩、風、水…自然の中にあるすべてのものは言葉なきメッセージを常に語りかけている。

人の言葉にはできないそれは、その中に身を置き、その身にこびりついたものを削ぎ落してゆくことで、少しずつわかってくる。それを知るために、私たちは修行をする。それを知り、世の中をより良くするために、私たちは修行をする。「みんな幸せになれ」と願い、その祈りを届けるために修行をする。

「お山は何でも知っている」

このときの“お山”とはつまり、自然すべてのことである。静かに山と対峙するとき、皆で山に修行に行くとき、その時々で山が語りかけてくることは違う。そのメッセージをはじめて認識したとき「あぁこれが修験なんだな」と思った。

山はいつも私たちに語りかけている。

吉野という境界の地

少し化学の話をしよう。

私の元々の専門は有機化学なのだが、すべての化学反応は物質と物質の境界で起こる(その境界のことを専門用語では界面という)。別の物質同士が触れ合い、お互いに影響を与え合うことで反応が起こるのである。

文化の発祥・発展も化学反応と同じだと思う。
文化も信仰も、境界で生まれ、発展する。

ひとつ例をあげよう。

妖怪。彼らはよく「辻」という道の境界や、「夕刻」という昼と夜の境界にあらわれたという。これは、人々の「境界の向こうには何があるのだろう?』という想像力が、目に見えぬものに対するセンサーの感度をより鋭敏にしたのだと思う。

さて、勘のいい方はピンときただろうか。
この吉野という修験道が生まれた地。
この地にはさまざまな境界がある。

紀伊山地の入り口であり、吉野川という大きな水場と山が隣り合い、離宮と里が隣接し、中央構造線が通るプレートの境界であり、それは植生の境界でもある。この場所は、人も、獣も、植物も、無機物も、さまざまな異質なものが交差し、影響を与え合う地なのだ。修験道という大きな山の信仰がここで生まれたのは必然だったのだろう。

山は異界

現在、私はこの山に住んでいるわけだが、山の情報の豊かさには驚くべきものがある。もはや豊かというか、嵐である。ありとあらゆる情報がなだれ込んでくる。山を歩くということは、その情報の濁流の中を掻き分け押し分け泳いでゆくようなものである。

しかしその情報は明確ではない。小さな小さな信号の集まりである。

すべてのものから出される信号が、混ざり合い、増幅し合い、減衰し合う“山”という場所で、私たち山伏はそれらの信号を感知する。香り、方角、強さ、湿気、時間、場所、身体の変化、温度、揺れる葉、虫、そして目に見えぬものたち…センサーがたくさんあればあるほど得られる情報量は増える。そこから得た感覚情報で、私たちは山を、修験を学んでゆく。

これが山を歩く、という行為である。

その信号は未来から現在から過去へととどまることがない流れであるため、とどまって考えている暇はない。常に受け取り続けるしかない。「考えるな、感じろ」の世界だ。

音楽を聴いたとき、美しいものを見たとき、優しい言葉を聞いたとき、意図せぬタイミングで涙が出ることはないだろうか。人の作り出すものは良くも悪くも大きく感情を揺さぶるからだろう。人のつくりだすものは情報こそ限られているが、そのエネルギーは大きい。それに対して、自然の情報量は多いが穏やかだ。

これらを波動にたとえると、人のつくる情報は「振幅は大きいものの、波長や振動数、振動方向のバリエーションが限られている」のに対して、自然が発する情報は「振幅は小さいがその他のバリエーションが無限」と言える。

無限ということは、それは宇宙ではないか。

自然のフラクタル構造。マクロな宇宙は、ミクロの自然に宿るのだ。
その宇宙を体感として学んでゆくのが、修行として山に入る意義ではないかと私は思っている。

山は、宇宙なのだ。
それが、山が異界といわれる所以なのだと思う。

もともと私は奈良の生まれではない。海のそばで生まれ、海のそばで育った。山は私にとって「年に数回行くわくわくする場所」、ハレの地であった。高校生のころは天才科学者マイケル・ファラデーに憧れ、多感な時期を化学の世界で生きてきた。当時の私は化学、もしくは科学が世界を豊かにすると信じていた。

当時、祖母が言ってくれた印象的な言葉がある。

「これからは新しい時代じゃ。男女関係なく何でもできる。宗教やら古いもんは気にせんでええけぇ、しっかり勉強してやりたいことをやるんよ」「文恵さんは私の夢をぜんぶ叶えてくれとる。ありがとう」

祖母は理系だったが、祖母の時代は、女性には研究職の道がなかったため、唯一理系として働ける数学教員の道を選んだ。そんな祖母から私は数学を教わり、祖母の夢も一緒に背負って理系の大学へ進学した。

そんな私が初めて「吉野」という言葉を意識したのは大学院生のころ。奈良の会社に勤めることを決めたときにもらった友人の言葉がきっかけだった。

奈良に住むなら、絶対に吉野の金峯山寺に行って。御開帳のときに行って。あそこには私が見た仏像の中で一番衝撃だった仏像がある。ものすごく青くてでっかい仏像。蔵王権現。絶対に行って。

ご縁とは不思議なものであり、きっとその時から私と吉野のご縁は繋がっていたのだろう。あれよあれよという間に私はこの吉野山の上、金峯山寺まで徒歩10分のところに住み、得度までしてしまったのだから。

どんな小さなことでも、何かにつながっている。
ここにいるとわかる。

科学では証明できない不思議なことが、自然に還ることで響いてくるものが、確実にあるのです。
言葉では伝わらぬ深い部分をぜひ、体感しにおいでください。

Writer|執筆者

片山 文恵Katayama Fumie

岡山生まれの元理系女子。2017年に吉野町に移住。ゲストハウスの女将であり、金峯山寺の行者。原始的な信仰、修験の生きる地で文化と信仰を継承し、現代語で伝える者として、講演やツアーなどを企画する。

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