奥大和ライフジャーナルOkuyamato Life Journal

吉野町 2023.3.12 / コラム

本当の意味での吉野の生活が始まった、「国栖Core」と宮守当番の話

文=澤木久美子(アトリエ空一級建築士事務所)

たまたま友人に誘われて訪れた吉野。

移住先を探していたわけでもなく、親戚などが居たわけでもなかった。「縁もゆかりもない」という言葉通りだったのだけれど、吉野に移り住んだ今となっては「ご縁があったからこそ」としか思えない。

前回寄稿した記事で書いた「旧阪本家住宅」の調査をしながら、実はもうひとつ同時進行で始めていた空き家に関する活動について、今回は触れてみたいと思う。

そもそも私自身が借りたいと思って空き家バンク制度に登録し、実際に空き物件を内覧させてもらった時にわかったことがある。それは、立派な空き家がたくさんあるものの、大き過ぎたり、水廻りに問題があったりして、うまく活用が進んでいないということだ。

空き家バンクに多くの問い合わせがきているにも関わらず、ニーズにまったく応えられていないという状況がわかったら、空き家のことがどんどん気になり出した。おそらく全国共通の課題ではあるのだろうけれど、今思えば地域の事情も知らないくせに、こうすればいいのに、ああすればいいのに、と生意気な言葉を発していた気がする。

それでも、何かせずにはいられなかった。

吉野町が実施する「協働のまちづくり推進交付金事業」制度を知り、活動計画を立てて応募した。ありがたいことに採択され、「空き家を活用し、シェアハウスでコミュニティを再生!」という活動を“よそ者”である私が始めることになった。自分に何ができるのか、深く考えもせずに動き出してしまったわけだが、始めてみたら協力してくれる人も出てきて、2年目にはチームとなって「空き家活用のリアル・セミナー」なるものを計画し、町内の同意をいただけた地区で「セミナー+懇話会」を3回開催することができた。

とは言え、とは言えなのだ。セミナーを3回やったくらいでは何も変わらない。そんな簡単な問題ではない。ごちゃごちゃ言っている間に、言ってる本人が“やりたい”と思ったことをすればいいのだ。シンプルに「それしかない!」と思った。

2021年の年明けの集いで、「私が自分で空き家を借りてシェアハウスやります!」と口に出して言ってみた。すると程なくして物件を紹介され、見に行ったのが今の「国栖Core」になった。

photo by Ayumi Takano

国栖という地区は知っていたし、知り合いも数人いたけれど、まさか自分がそこへ行くことになるとは想像もしていなかった。

紹介された物件は元旅館。旧国道沿いに、大きな建物が敷地一杯に建っていた。古民家と言うほど古くはない昭和の建物だが、水回りの設備は手を入れないと使えない。正直なところ初めはピンとこなかったが、1週間ほど悩んだ後、ふと思うところにハマって「ここでやろう!」と決めた。

決めてからは早かった。図面を書きながらやりたいことがどんどん見えてきた。心配はお金のことだけだったが、これも手段を見つけて奔走した。まさに奔走だった。やりたいことをやるためだったので、しんどかったけれど苦しくはなかった。むしろ楽しかった。

工事を始めるにあたって、まずはお隣とお向かいに挨拶に行った。どこまで挨拶に行くべきなのか判断に迷ったけれど、空き家が多いこともあり、ひとまず3軒と区長さんのところだけには行くことにした。

その後、組長さんが来てくださって、近所の仕組みや区費・組費などのお金のことを色々教えていただいたけれど、正直何が何だかほとんど理解できなかった。

そして工事が終わる頃、1枚の紙がポストに入っていた。

宮守当番(神社のお世話役)についての集まりがあるので必ず1軒お一人は参加ください

「必ず、なんや……まだ住んでないんやけど……」と若干ビビりながらその日の参加を予定した。

宮守当番会議当日、地区の集会所には20人弱の人がコの字に並べられた長机を囲んで座っていた。ほぼ初めての方ばかりで緊張したが、会議は淡々と次第通りに進んでいく。これから1年間続く宮守当番のすべきことの説明を聞いた。これもほとんど理解できなかったけれど、どうやら月一で地元の神社に集まり、掃除をしてお祭りをするらしいことだけはわかった。

そして最後に宮長さんからのお言葉があり、「ではせっかくなのでここで新しく来られた…」と私が紹介され、前触れもなくご挨拶することになった。

11月の大祭には「正装(男性は白タイ、女性はそれに見合った服装)で出席ください」という知らせが入り、それらしい格好で参列し、立派な直会(宴会)の御膳をいただいた。そして次の日から引き継がれて、私の住む「1組」というグループでの宮守当番が始まった。

神社の祭礼には毎月一度の小祭と、年に5回の大祭がある。正月祭(1月1日)、二の正月祭(2月最初の日曜日)、八朔祭(8月31日)、亥の子祭(10月最初の亥の日)、そして11月の秋祭りを最後に1年のお役目が終わる。

小祭の日は朝8時に神社に集まり、みんなで手分けをして社務所の中や境内の掃除をし、お供えの用意を整えたらみんなで祝詞をあげる。お供えするのは酒、水、塩、と洗い米。大祭にはさらに尾頭付きの鯛(海魚)、あまご(などの川魚)、野菜・果物、乾物・菓子、そしてお鏡餅が供えられる。

残念ながら感染症対策でごくまき(餅まき)は中止になり、一度も見ることがなかったけれど、毎月のご奉仕をしながらご近所さんとも馴染みになり、いままではああやった、こうやった、とお話を聞かせてもらった。

「1組」は15世帯ほどで構成される、一番大きな組らしい。そのほとんどが毎月この当番に参加する。ご夫婦で参加される世帯もあり、掃除の合間にお茶やお菓子で休憩する時間は貴重な情報交換の場となる。この神社のある大字(おおあざと書いてこのあたりの人は「だいじ」と呼ぶ)には「7組」まであるため、宮守当番は7年に1度しか回ってこないらしい。それを考えると、なんと絶好のタイミングだったことか、と思った。

この当番のおかげで、私はこの地区に住み始めてすぐにご近所15軒近くの方々と顔馴染みになることができた。

正月を迎える準備は3日ほどすることがあって大変だったし、大晦日の日は夜中まで神社に詰めて初詣の方をお迎えした。11月の最後の大祭では餅つきが再開して、やはり3日前から準備に関わった。それでも以前に比べたら随分簡略化されているのだと聞いた。

地元の神社をみんなでお守りしている状況が昔から変わらず続いていることに驚きつつ、こうして近所が支え合ってつながっているんだなぁ、と強く実感した。実際、当番が終わってしまったら、月1回とはいえ顔を合わせることのなくなってしまった方もあり、なんとなく寂しさを感じたりもした。

私が「国栖Core」で仲間と始めた月2回のお昼の食堂「水曜食堂」や、月1回の夜の居酒屋「どてや」には、いつもご近所さんが来てくださる。宮守当番を一緒にしてきたからこそ、気に掛けてくださっているのだろうと、本当にありがたく思う。

国栖という場所には、独特の優しさを感じる。言葉にするのは難しいけれど、住んでみなければきっと感じることのできない、私にとってはとても有難い、静かな優しさだ。同じ吉野町の中でも、地区によってそれぞれ違うものだなぁ、と少しずつ違いが分かってきた今日この頃。

外から来た「外人(とびと)」であるからこそ、私がみなさんのお役に立てることは何なのか、考えながら楽しいことを企てていこうと思う。

Writer|執筆者

澤木 久美子Sawaki Kumiko

静岡県出身。大学卒業後、大阪・神戸の設計事務所や企業に勤務後、神戸にて設計事務所を設立。2018年から吉野町に通い始め、ゲストハウスを運営することになり、2021年に移住。「国栖Core」主宰。

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